五
藤浪君は初めて三谷さんを見かけた時から、何処となく貞代さんに似た人だと思った。それで、特別に興味を持っていた。そこへ射落し自由と聞かされたのである。三谷さんが益綺麗に見え始めた。三谷何子さんだろうと思っていたら、貞江さんというのだった。名まで貞代さんに似通っている。縁があるように考えた。しかし藤浪君は調査部で、三谷さんは学芸部だ。直接交渉がない。部と部が隣り合っているから顔丈けは始終合わせる。差当りのところ、朝、お早うと挨拶するぐらいの程度に過ぎない。
「駄目だね。切っかけがない」
と藤浪君が歎息した。
「切っかけは拵えるのさ」
「君は巧いな、この間話し込んでいたじゃないか?」
「友人の保証人の娘が梶原さんの同級生だ。それを切っかけにして話したのさ」
「遠いところから持ちかけるんだね」
「近いところがなければ仕方がない。僕は昨日食堂で西遠寺侯を切っかけに使ったよ」
「何ういう具合に?」
「西遠寺侯にいつでも会える人間がいれば、何処の社でもその資格丈けで月五百円出すというんだ。それを話したのさ」
「何も関係のないことじゃないか?」
「関係なんか構わないんだ。新聞人として興味のある話を持ちかけるのさ。それじゃ西遠寺さんにお目にかゝる研究が一番出世の近道ですわねと言っていたよ。本当です。大いにやりましょうってな次第さ」
と小西君は着々やっているのだった。
年が改まって、藤浪君は学芸部へ転勤を命じられた。切っかけが天降ったのである。三谷さんと一緒に働くことになった。もう一方、小西君は政治部へ廻って、無暗に出て歩く。社よりも官省へ詰めている。
「何うだい? 内を外じゃ射落しの都合が悪いだろう?」
と藤浪君が同情した。
「もう鳧がついたんだよ」
「早いんだね。これは驚いた」
「いや、拙速さ。当って砕けてしまった」
「駄目か?」
「うむ。少し自信があり過ぎた」
「男を下げたね」
「何あに。年が二つ上だ。胸板を射貫かれなくて、却って仕合せさ」
と小西君は負け惜しみを言っていた。
藤浪君は三谷さんの御機嫌を取り始めた。貞代さんの場合に鑑みて、自信は禁物と思っているから、一意専心だった。仕事の上の交渉から追々親しみを加えて、個人的の話題に触れるようになった。何かの切っかけで、三谷さんの方から年を訊いた。
「二十六です。あなたは?」
「婦人に年を訊くのは失礼よ」
「それじゃ当てます。四でしょう?」
「もっとよ」
「五?」
「オホヽ。もっとよ。私、姉さんよ」
「そんなことはないでしょう」
と藤浪君は目を丸くした。お世辞を使ったのだ。一つ上と見ている。貞代さんも一つ上だったから、それに異存は更にない。
「本当よ。一つ上よ」
「すると大いに敬意を表さなければなりません。四つ上の姉さんです」
「まあ!」
「年は一つ上でも、入社が三年前ですから、都合四年の先輩です」
「厭よ。そんなにお婆さんにしてしまっちゃ」
「ハッハヽヽ」
射落し専門の奴が側についているのでは敵わない。しかし三谷さんにしても、一生独身で通す積りもなかったから、それから一年ばかりたって、藤浪君の申込に応じた。藤浪君は満足だったが、婚姻届を出す時に、貞江さんの年が自分より三つ多いことを発見した。
「失敗った」
「あなた、申訳ございません」
「二つ鯖を読んでいたんですね」
「でも仕方なかったんですわ。初めに一つ上と申上げてしまったものですから」
「苦情じゃないんです」
「嘘をついたようですけれど、堪忍して戴きますわ」
「しかし三つも違うとは思いませんでした」
「私、それですから、年が上ですからって、お断り申上げたのに、あなたは年の上の人が好きだと仰有って、御承知下さらないんですもの」
「一つ上の人が好きだと言ったんです。しかし苦情でも何でもありません。唯余り徹底的だから驚いたんです」
「何が徹底的?」
「騙し方が」
「まあ。ひどいわ」
婚期を逸した貞江さんとしては年を二つぐらい内輪に言うのは当然のことだ。子供のある奥さんでも十ぐらい匿しているのがある。婦人には戸籍年齢の外に通俗年齢があるものだ。結婚してから、その間の開きを発見して吃驚した藤浪君は迂濶を免れない。三谷さんがもっと若かったら、他の連中が疾うに射落している。射落し志望者は皆二十五六の青年だから自分の年と較べて見て、差控えていたのだった。偶藤浪君は貞代さんの聯想から一つ年上でも堪能出来る心境にいた。年上と聞いて直ぐに一つと思い込んだまゝ、一向研究して見なかったのである。
しかし本人の言う通り、今更苦情ではなかった。家庭は円満だった。貞江さんは社を引いて内助に努めた。以来四年になるけれども未だ子宝に恵まれない。幸いにして藤浪君はそれを不足とも感じていないのらしい。後から結婚した小西君はもう二人の子持ちで、ウン/\言っている。奥さんもナカ/\大抵でないようだ。貞江夫人に至っては家庭が極く閑散だから、よく容色を保って、昨今通俗年齢が主人より二つ下ということになっている。藤浪君は社の方が忙しい。ソロ/\認められ始めた。もう慣れっこになってしまって、家庭が珍らしくない。屈託は仕事にある。入社以来六年、これからが本式だと思っている。
「何うだい?」
と小西君が藤浪君の肩を叩いた。
「相変らずだ」
「久しぶりで何うだいと言っているんだよ」
「宜かろう」