1
街頭はもう白熱していた。併し白い太陽は尚もじりじりとあらゆるものを照りつけ続けていた。そして路面からの反射光線は室内にまで火矢のように躍り込んでいた。捜査本部では、当事者達が一台の扇風機を囲んで、汗を拭きながら、捜査の方針を練っていた。
「首があると、被害の見当も、それで大体わかるのだが……」
刑事課長は溜息を吐くようにして言った。
「首はしかし、あの溝には、絶対に無いですね」
黒い不精鬚の刑事が煙草に火をつけながら言った。
「例えその首が見つかったところで、五週間からになれば、腐敗して了っているに相違ないから、それで被害者の身元を探り、そこから犯人を探すことは困難だろう。被害者の身元がわかる位なら、あれほど新聞で書立てたのだから、被害者と関係のある者から届けて来る筈だよ。届出人が無いところを見ると、被害者には身寄りが無いのだろうから、その首が見つかっても、身元は矢張わからないに相違ない。それより、被害者が女であることだけはわかっているのだから、女の持物とか、女の衣類などから探った方が早くないかね」
署長はそう厳粛な口調で云った。
「犯人は相当の知識階級のようにも思われますね。首と胴とを、別々にして捨てるなどと云うことは余程考えて……」
司法主任がそう云いかけているところへ、受付係の巡査が、急いで寄って来た。
「署長殿。首無し死体事件の、犯人も被疑者も、両方とも知っていると云う男が参りました。お会いになりますか?」
受付係は姿勢を正しながら云った。
「参考までに会って見よう」
署長は眼をるようにしながら云った。受付係は急いで戻って行った。急に緊張した空気が漲って来た。
「この方です」
受付係の巡査がそう云って、そこへ伴れて来たのは、身窄らしい洋服の、蒼白い顔の青年であった。
「僕は本当に知っているのです。犯人は間違いなく笠松博士ですよ。そして被害者と云うのは博士の令嬢です」
青年は眼をきょときょとさせながら喘ぐようにして云うのだった。
「貴下は、何うしてそれを、知っているのですか?」
署長は微笑を含みながらそう云って、青年に椅子をすすめた。
「僕は知っています。僕は、笠松博士の研究助手として、博士のところにいたのですから、何もかも知っているのです。詳しく申し上げると長くなりますが……」
=暗転=
笠松博士には、前々から、観念構成虧欠症性の微弱徴候と、誇大妄想狂的精神欠陥とがあった。併しながら博士をして、外科医術の研究に躍起の努力を続けさせたのは、その精神的欠陥であろう。笠松博士は、そのような精神的欠陥のために、医術の上にも、極めて奇怪な怖ろしい理想を抱いていて、常にその理想が可能であることを信じていたから。
「――外科医学の最大の理想は咽喉部の接合である。Aの首をBの胴体に接合することである。そこまで行かなければ外科医術を完全と云うことは出来ない。腕とか脚とかの接合なら、手先の少し器用に動く田舎の藪医者にだって、容易に出来る。併し、咽喉部の接合は、胸部とか腹部とかの複雑な機関部の、何んなに困難な大手術よりも更に遥かに困難である。何故かと云うと、他の部分の接合に於いては、動脈も静脈も神経も、何れも生きているものと生きているものとを接合させて、直ぐそれが活動機関を構成するように出来るのであるが、頭部と胴体との接合の場合は全然別項の困難が伴って来る。即ち、胴体からその首を切取ったとき、胴体も首も、何方も死んで了うからである。例え、胴体と首とを切離してから、胴体も首も×時間だけは生きているものとして、そして又その×時間内に、Aの首をBの胴体に接合することが出来るものとしても、何れも仮死状態にまで衰弱している胴体と頭部とを、何うして同時に活動を開始させることが出来るかと云う問題である。頭部と胸部とは、神経系統の活動から云うと、相互扶助的関係にあって、両方同時に活動を開始しなければいけないのだが、それが果して可能か何うかが疑問である。他の部分の接合に於いては、麻酔剤によって仮死体とはなっていても、脳細胞と神経とが麻痺しているだけで、血液は依然として流動しているのであるから、麻酔剤の消耗と同時に、脳細胞の活動も神経系統の活動も開始するわけであるが、頭部と胴体との接合に於いてはそれが無いのである。麻酔剤によって活動を中止されている上に、血液の循環を遮断されて、脳細胞が果して生きているか何うかである。併し、何んな困難を突破してもそこまで行くだけの意気がなければ、外科医学はやらん方がいいと思う。勿論これは、外科医学上の最大の理想で、実現することが、果して人類の幸福かどうかはわからんことだ。それは全く怖ろしいことになる。そして社会の不平等が一入激しくなるだろうから、社会人類のためには、却って害毒を流すことになるかも知れない。併し、私は外科医として、例え社会人類には害毒を流すことになるにしても、何うしてもそこまで研究を進めて行きたいと思う。そして、今に、諸君の若い美しい奥さんなり恋人なりの首を取って来て、私のところの婆さんの首と換えるのも面白いからなあ。その時までには、諸君も、私に敗けないだけに研究して置いて、その首を取戻して行かんといけないね。偖て、それではこれから……」
笠松博士は、半分ほども銀色の白毛の混っている長い顎鬚を静かに扱きながら、私達学生席の方を、学生の一人一人の顔を睨みつけるような眼をして、錆のある声で朗々と続けて行った。それはむしろ、話ではなく、朗読の口調であった。講堂には冷厳な異常の雰囲気が籠って、私達学生席からは、荒い息音さえ立たなかった。誰も彼も、凝っと息を殺して、吸付くようにして博士の口元を凝視しているのであった。
初講義の挨拶を兼ねての、総論的序説と云うよりもそれはむしろ、怖ろしい奇術の前口上を聞いているようで、私は背中の辺をぞくぞくと銀線のようなものの走るのを感じた。そして博士は、睨みつけるような眼で私達学生席の方を視詰めながらも、その口元には絶えず微笑を含んでいるのであったが、併しそれは何処となく凄味のある微笑で、睨むようにして視詰めているその眼の表情を更に冷厳なものにしていた。
私達はどうしても笠松博士に親しむことが出来なかった。私が幾分でも博士に親しむことの出来るようになったのは、笠松博士の臨床外科医術の研究助手として、博士の邸内にある病院続きの研究室へ通うようになってからであった。それも、博士との直接的な感情ではなく、博士の令嬢を介して初めて感じられる間接的な感情であった。
笠松博士が、自分の研究の助手として、何故特に私を選んだのかは、私に取っては疑問であった。併し、博士は、追々に、私と令嬢とを、結婚させようとしているのらしかった。同時に、博士は、自分の研究を、私に引継がせようとしているのらしかった。それが私には疑問なのであった。その学理的研究に於いてよりも、臨床医術に於いて知られ、魔術師のように、手先の器用な博士が、何故、殊にも手先の不器用な私を選んだのかは、私にはわからなかった。それを善意に解釈するなら、博士は、博士自身の精神的欠陥と頭脳の不透明とを自覚して、自分に欠けている部分を、私によって補おうとしたのらしくも思われた。そして又それを悪意に解釈するなら、博士は、外科医学上の私の新発見を盗んで、それを自分の魔術師の指のように器用な手先で直ちに臨床医術に応用しようとしたらしくも思われた。私は、手先は極めて不器用であったが、頭脳の透明と敏感と優秀である点に於いては、級中で、私の右に出る者は勿論無かったし、博士も私には遥かに及ばなかったから。
笠松博士はそして大学の講堂では外科医術上のその奇怪な自分の理想を、遠い遠い先の単なる理想のように云っていながら、実はもう、博士は既にその可能を信じきっているのであった。そして、その可能を信じきっているばかりではなく、自分の研究室では、既にその奇怪な実験に取掛っているのであった。それは全く、戦慄せしむる研究であり、奇怪きわまる実験で、研究室は地獄図絵さながらであった。何処から攫って来るのか、博士は何時も生きている人間を拉れて来て、それを実験台に載せるのであったから。
「先生! 先生の研究が、果して可能なものとしても、犠牲が酷過ぎはしませんか?」
私は屡々のことそんな風に云わずにはいられなかった。
「犠牲? 研究のためには何んな犠牲も仕方がないじゃないか? それが悪ければこの研究は抛棄するまでさ!」
呶鳴るような、吐棄てるような、それでいて厳かな響のある声で博士は吼えるのであった。厳格で而も凄味のある声であった。私はするともう、猫の声に脅え戦く鼠のように、博士の声に縮みあがって了って、何ももう云うことが出来なくなるのであった。それは何故なのか、その心理現象は私自身にもわからなかった。
「併し、儂は、何処までも続ける。厭なら君は止めるがいい。誰が何んと云おうと儂は医術のために続けるから」
笠松博士はそう喚きながら、私を研究室の扉の外に残して置いて、研究の実験に供する女を部屋の中に拉れ込むのであった。
私はもう全くどうしていいかわからなかった。そして私は博士が怖ろしくなって来ていた。精神的欠陥のある博士は、何時、私までもその研究の実験材料に供するかも知れないような感じが、私の衷には日に日に激しくなって来た。併し、私がそうして博士を怖れるようになって来た頃には、私をどうしても博士から離すまいとする一つの感情が、私を固く縛っているのであった。それは博士の令嬢を通じての感情であった。令嬢と私との間に沸騰している恍惚感であった。私と令嬢との間では、一度として(愛)とか(恋)とか云う言葉を使ったことはなかったが、私は併し、令嬢の眼の中に含む表情や微笑の中に含む表情から、言葉以上の意志表示を判然と受取ることが出来た。令嬢も亦そして、私の眼や微笑から、私の意志表示を、判然と受取っていたに相違なかった。そして私と令嬢との間には、お互いがそれを言葉では云わないだけに、恋愛者同士の恍惚感が次第に激しく沸騰して来るのであった。総ゆるものを焼き、総ゆるものを灰にするような、令嬢に対する私の愛情は、博士に対する恐怖感をさえ乗越えて行った。そして私はむしろ、笠松博士の、奇怪な医術上の理想に、却って、未練を抱き出した。若しそれが、奇怪な理想ではあるにしても、学理の上で、少しでも可能の曙光が見え、そして、それが博士の手で博士一代に完成することが出来なかったら、私はその後を継いで研究を続けたい気がするのであった。
併し、笠松博士のその奇怪な実験は、何時も失敗に終った。麻酔剤によって仮死の状態に置かれてある人体は、首を切断されたまま、恰も泥人形の首がげたように、何うしてももう附着しなかった。両方の切口には、赤黒い血がねとねとと附いているのに、何処に血管があるのかもわからず、筋肉さえが、粘土のように脆くなっているのであった。博士は、麻酔剤以外の、何か強烈な劇薬物を、この仮死体の上に作用させているに相違なかった。仮死体はそして、最早、×××になって了っているのであった。
「先生! 麻酔剤の他に何か薬品を使ったのですか?」
私はそんな風に聞いて見ずにはいられなかった。
「当然のことじゃないか?」
博士は吐捨てるようにして云うのだった。
「何をお使いになったのですか?」
「そんなことがわからんでどうする?」
博士はもう酷く機嫌が悪くなっていた。そして博士は、自暴自棄的に、死体の各部へぷすぷすとメスを入れるのであった。博士の頭は、発作的に、最早、滅茶苦茶に狂って了っているに相違なかった。それは単に博士ばかりではなく、傍にそれを見ている私でさえが、首を切断した胴体は、首のついていたときよりも更に大きく不恰好で無気味で、何んとなくこう変になって来るのであった。何もかもを、滅茶苦茶に打毀して了い度いような、狂的な焦燥が、嵐のように全神経を吹捲くるのであった。そして博士は、私のその感動を、私の幾十倍の激しさで感じていたに相違ない。博士は先ず、既に首を失っているその胴体から、更に、両脚を切断するのであった。と、首と両脚を失った胴体は、尚一入無気味に、不恰好になって、横の方へばかり大きく大きく拡って行くのであった。