Chapter 5 of 6
五
礼助の予め期したやうな事は何も起らずに、彼と彼女達の交渉は毎日此程度を出なかつた。これは礼助の安堵であつたが同時に焦慮であつた。焦慮と云つては強きに過ぎよう、が、唯何となく物足りない気持ち、とだけでは云ひ済まされぬものであつた。しかし礼助は平然として朝寝をし、目が覚めれば彼女達と外に出た。外に出て、今日は昨日より親しくなつたな、では明日はこの親しさから更に先の親しさに進まうと思つて帰つて来るが、明日になると、第一日の朝と同じところから歩み出さねばならないことが分る、それより外に仕方のないことが分る、礼助はこの失望に似た心持ちを毎日繰り返してゐた。
なじみを一日一日と加へてゆくのは、ただ康夫とだけだつた。この四つになる子供は、始めのうちは礼助の傍へも来なかつたが、二日目には、ああしろかうしろといふやうになつた。両手をぶらりと下げたまま奇妙なしかめつつらをして、「幽霊――いうれい!」と礼助の上へのしかかつて来るやうになつた。礼助は幽霊の康夫に追ひ廻されて座敷中を逃げた。逃げながら、座敷の片隅にゐて康夫を見守つてゐる実枝と目を合せた。実枝は、
「康夫さん、そんなおいたしてはいけません。」と子供を叱つた。
「子供はぐんぐん大きくなるものだな。」
「ほんとに。自分のお婆さんになるのはちつとも気がつきませんけれどね。」
さう云はれて、礼助は実枝も本当に老けて来たなと思つた。新京極のカフエの鏡で礼助は自分の爺むささを明かに知つたが、彼女も必ずしももう若くはない。四つになる子供の親に、確かに違ひない。
「かうしてお互に年とりますなあ。あなたはお茶の稽古をして。」
「さうして、あなたは朝寝坊をして。」
「違ひない。」
礼助は哈哈と笑つた。