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くじらようかん
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くじらようかん
澤西祐典
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 4 of 6

3

鯨羊羹を作っていた和菓子屋が潰れた。創業二〇〇年を誇る老舗だったが、洋菓子屋やコンビニで手軽に甘いものが入手できる時代に、伝統だけで生き残るのは至難の業であった。むろん、新商品の開発や価格調整を行ったり、営業努力を重ねてはいたが、時代の波には抗えず、店の看板を守ることができなかった。

鯨羊羹の店が潰れたという知らせは、高校生の健一にとって床が抜けるような衝撃を与えた。いや、床が抜けるという表現でさえ生ぬるく、足元に底の見えない穴が開いたような衝撃が走った。鯨羊羹に対する想いは、なにか失敗をしでかすたびに健一のなかで蘇り、いつかは鯨をつくる計画を実現させようという熱意がふつふつと湧いた。しかし、確信めいた自信がある一方、その覚悟はいつまで経ってもぼんやりとしたもので、せいぜい、高校を卒業したら鯨羊羹の和菓子屋に就職しようという程度のものだった。

しかし、倒産の知らせが健一に火をつけた。もう計画が叶わないとなると、却って、どうにかして鯨をつくれないかと真剣に考えるようになった。錦玉羹と道明寺羹について調べ、鯨羊羹を再現できないかと作ってみることもあった。けれど、菓子作りの素人が職人技を再現できるはずもなかった。

そんな調子であったので、和菓子屋が、親戚筋の力を借りて営業を再開すると聞いたとき、健一は一切迷わなかった。

「和菓子職人になる」

高校の卒業を待たずして、健一はそう切り出した。工業系の学校に通っていたので、ゆくゆくは技師になるのだろうと思っていた親は、息子の突然の宣言に驚くよりほかなかった。訳を問いただしても、

「小さいころから決めていた」

の一点張りで、その頑な態度に押し切られ、両親も承諾してしまった。奉公先の宛てを訊ねると、健一は尾道にある和菓子屋の名前を答えた。事情を詳しく知らない両親はさりげなく別の店も薦めてみたが、取りつく島もなく、健一は決心を固めているようだった。

両親を伴ってお願いに行ってみると、店は再開が決まったばかりで、人手は欲しいが、いつまともに給料を払えるようになるかわからないと釘を刺されたが、健一がねばり強く頼みこみ、なんとか店に置いてもらえることに話がまとまった。といっても、ただ働き同然の丁稚奉公のようなもので、仕入れや配送の手伝いといった外回りが主な仕事であった。

一度立ち行かなくなった経験をもとに、店は看板商品のリニューアルを行うとのことだった。鯨羊羹もその例外ではなく、味を守るより、いまの人たちの好みに合わせて改良を加えるとの話だった。健一はそれを聞いて、少なからず動揺を覚え、伯母の家で口にした砂糖そのもののように甘かった鯨羊羹の味を懐かしんだ。店主らの試みを何とかして止めようとしてみたものの、真剣に店の看板となる味について議論を交わす職人たちを前にして意見を差し挟むことは到底できなかった。何より、工房で作られる、鯨羊羹の表を飾る黒い錦玉羹を見て、鯨羊羹には味を伝えるより、もっと大事な使命があると健一は直観した。黒光りする錦玉羹が流し込まれた羊羹舟が居並ぶさまは、まさに鯨がそこに現れたような存在感があって、思わずはっと息を呑む美しさだった。鯨が背中に日の光を転がして見せびらかすように、薄く張られた錦玉羹の膜は艶やかな光を照り返している。

その美しさが守られるならば、他は二の次で構わない。人一倍、鯨羊羹に思い入れの強い健一がそう思ったほどだ。

月を跨いでの試行錯誤の末、もち米をつぶして作る道明寺羹の甘さをぐっと控えることに決まった。昔は保存のために大量の砂糖を入れていたのだが、それは冷蔵庫もないころの話で、今となってはその甘さが鯨羊羹が敬遠される理由の一つになっていた。

お店が再オープンを迎え、新しい鯨羊羹は好評を博し、お店はまずまずの再スタートを切ることができた。健一も雀の涙ほどとはいえ、ようやくお給金らしいお給金を受けとった。健一は親族の話し合いの結果、伯母の家で厄介になっていたのだが、初めての給料が出ると、鯨羊羹を人数分買って帰り、日ごろの感謝を伝えた。普段は鯨羊羹に見向きもしない将昭も、この時ばかりは素直に食卓を囲み、健一の買って帰ってきた鯨羊羹を口にした。

「味が良うなったな」

将昭が目を丸くしてそうつぶやいたので、健一は我が事のように誇らしく思った。

お店が軌道に乗ると、健一も少しずつ、菓子作りの仕事を任されるようになっていった。最初は一日餡を混ぜる仕事を任された。絶えず立ち昇ってくる砂糖の匂いにまみれながら、何度も指南を受けて、焦がさないよう巨釜を攪拌する。

健一は体力に自信がないわけではなかったが、工房で求められる膂力はまた別物だった。全身で大べらを使って、掻き混ぜる。腕の力はもちろん、調子を取りながら体全体を使って釜の中身を動かし続ける。そのうちにコツが掴めてきて、力を無駄なく行き渡らせる要領が呑みこめ、必要な筋力も備わって体の動きと釜の中の動きが見事に調和するようになった。同時に、自分が別のいきものの一部に、それこそ鯨の一部になったような恍惚とした気分が生まれる。大海原で、海流に身を任せつつ、尾で舵を取る大鯨。健一はふとした時、そんな空想にふけっている自分自身に気がついた。

Chapter 4 of 6
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