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根岸お行の松 因果塚の由来
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根岸お行の松 因果塚の由来
三遊亭円朝
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 9 of 15

9

爺「伊之助という男は何うやら私(わし)が知ってるものらしい、それと一緒に此処(こゝ)へ御座るというは、こりゃ私の家(とこ)へござらッしゃる客衆かも知れねえ、まア兎も角くも私のとこへ来(き)さっせえまし」

と云われて地獄で仏に逢った気のお若さん、ホッと息をついて、それでは何分ともにと言っている後(うしろ)に、一突き不意を喰(くら)って倒れた悪者の勘太、我と気がついてまだ遠くは往(ゆ)くまい、折角見かけた仕事も玉を逃(にが)しちゃア虻蜂(あぶはち)とらずで汽車賃の出どこがないと、己(おの)が勝手で尾(つ)いて来ていながら直ぐ懐のグレ蛤(はま)を勘定いたし、おっ掛けてまいッたが、今度はお若一人でない、老爺(おやじ)が側にいるのでうっかり手出しがならず、様子をうかゞっておるうちに、何うやらお若を老爺が連れて行(ゆ)きそうだから、ドッコイ左様(そう)うま/\仕事の横取はさせねえと、己(おの)が心にくらべて、

勘「この阿魔太(ふて)えあまだ、大金を出して抱えて来たものを途中から逃げさせてお堪(たま)り小法師(こぼし)があるものか、オイ爺(とっ)さん、此奴(こいつ)のいう事ア皆(みん)な嘘だ、お前(めえ)を詐(だま)すんだぜ、ハヽヽヽヽ」

と己(おの)が非を飾ってお若を連れ行(ゆ)こうとするので、田舎爺は呆れましたが、男のこえが耳なれておりますから提灯をさしつけ、顔をのぞいて見ると聞覚えのある声こそ道理で、老爺が一人息子の碌でなし、到頭村内(むらうち)にもいられず今は音信(いんしん)不通になっている勘太でげす。田舎爺は老(おい)の一徹にカッと怒り、

爺「わりゃア勘太だな、まだ身持が直らず他人様(ひとさま)に御迷惑をかけアがるか、お女中さん何も怖(おっか)ねえことアごぜいましねえ、この悪たれは私(わし)が餓鬼」

といううちに早や言葉が潤(うる)んで参ります。親子の情としては然(さ)もあるべきことでございましょう、我子が斯様(こんな)碌でもないことを致し、他人(ひと)を悩めると思いましたら堪りますまい。

爺「さア、これからは己(おれ)が相手になる、この甚兵衞(じんべえ)が相手じゃ」

と敦圉(いきま)きまするので、流石の勘太も親という一字には閉口致しましたか、這々(ほう/\)の体(てい)で逃げて仕舞います。そこで甚兵衞爺さんお若さんを我家へ連れて戻り、婆アどんにも一伍一什(いちぶしじゅう)を斯々(かく/\)と語り、今夜は遅いからまアお休みなさい、明日(あす)にもなれば伊之助を尋ねて参りますからと親切にいたしてくれまする。さて、伊之助でございますが、品川の火事騒ぎでお若にはぐれ、いろ/\と尋ねましたが薩張り知れない。そのうち最終列車はシューコト/\と出て仕舞い、只だ心配に心配をしぬいている。翌朝(よくあさ)になって再び停車場(ステーション)に参り探しましたが知れないので、駅夫などに聞合(きゝあわ)すと、昨夜の仕舞い列車に乗りこんだらしいので、自分も兎に角神奈川へ参って探そうと汽車に乗り、停車場に着いて聞合して見れど、何をいうにも夜更(よふけ)のことで雲を捉(つか)むような探しもの、是非なく甚兵衞の家(うち)へ尋ねて参り、お若さんと再会の条(くだり)に相成るのでございまする。

六

伊之助の神奈川停車場(ステーション)へ着きましたは、お若さんが此処(こゝ)にまいって甚兵衞爺さんに助けられた翌朝(よくあさ)のことでございますから、なか/\お若の行方を探ることが出来ない、左様(そう)かと申して再び東京へ帰りましたところで、これとても何う探したら分ろうという目的(めあて)が付きませんので、あゝ困ったな、己もこまるがお若さんは嘸(さぞ)難儀をしていなさるだろう、あゝいう方だから一人歩きしたこともないに、方角も知れぬ土地に来てどんなに困るか知れたもんじゃアないから、それにしても不思議だ、何うしてまア神奈川まで一人来なすったろうか知らん、大方己が前の汽車で来ていると思いこんでゞあろうが、あゝ困るな、可愛そうでならないことをした、こんな事なら品川まで出掛けずに、新橋から一緒に乗るだッたにと、いろ/\と悔んでおりましたが、今更何(なん)といっても仕方がない、一旦甚兵衞爺さんのとこへ落著(おちつ)いて探したら分らぬこともあるまい、お若さんの方でも屹度(きっと)いろ/\に探していなさるに違いないから、と伊之助はよう/\決心いたしましたから、久々で甚兵衞のとこへ尋ねてまいる。村の入口には眼になれた田舎酒屋の看板と申すも訝(おか)しいが、兎に角酒屋の目印となっておりまする杉の葉を丸く束ねたのが出ています。皆様がお名前だけはお馴染になっていらッしゃると申しますと、私(わたくし)どもは近接(じき/\)にお馴染かと仰ゃる方もございましょうが、明治の御代に生きているものがなか/\思いもよらぬことで、今を距(さ)ること四百十八年も前で後土御門(ごつちみかど)帝の御代しろしめすころ、足利七代の将軍義尚(よしひさ)の時まで世を茶にしてお在(いで)なされた一休が、杉葉たてたる又六(またろく)の門(かど)と仰せられたも酒屋で、杉の葉を丸めて出してある看板だそうにございます。そうして見ると此の目印は余ほど古くからあるものと見えまする。さて序(ついで)でございますから一寸(ちょっと)申しておきますが、一休様は応永(おうえい)元年のお生れで、文明(ぶんめい)十三年の御入寂(ごにゅうじゃく)でいらせられますから、浮世にお在遊ばしたことは丁度八十八年で、これほど悟りをお開きなされたお方は先ずない。仮令(たとえ)ございましたとて俗人が存じておりますは、此の坊さん程お近附(ちかづき)はありませんでげす。その酒屋の隣が甚兵衞の家(うち)でございますから、伊之助はズン/\這入ってまいる。スルと奥の方で若い女の声がして甚兵衞爺さんも婆さんも頻(しき)りに慰さめている様子。ハテ悪いところへ来たわい、誰か客があるのか知らんと思いましたが、引返(ひっかえ)して出て行(ゆ)くも変ですから、

伊「爺やさん、お達者でございますか」

と声をかけますと、甚兵衞は、

爺「婆さんや誰か来たようだぜ、ちょっくら見て来さっしゃい」

というので婆さんは入り口へ出てまいると、伊之助が立って居りますから恟(びっく)りいたし、挨拶もいたさずに、

婆「やア、来さしッた/\、お若さん、伊之助さんが来さッした」

と喜ぶので伊之助もおどろきましたね、婆さんがお若さんと呼びますからは、確(たしか)にお若が此処(こゝ)に来ているにちがいない、と不思議で堪りません。お若は老人夫婦と何うか伊之助を探す手だてをと相談しているところでげすから、飛立つ思いで出てまいり、此処でお互いに無事の顔見て安心いたし、それから甚兵衞の厄介になって暫らく居ますうちに、お若さんのお腹(なか)は段々と脹(ふく)れて来るので、遠走りもすることが出来ぬところから、遊んでもいられません。と云って外(ほか)に何もすることがない。田舎ではございますが追々開(ひら)けてまいり、三味線などをポツリ/\と咬(かじ)る生意気も出来て来たは丁度幸いと、伊之助は師匠をはじめ、お若は賃仕事などいたし、細々ながら暮している。そのうちにお若は安産いたし、母子(おやこ)とも肥立(ひだち)よく、甚兵衞夫婦は相変らず親切に世話してくれます。お若伊之助は夫婦になって田舎で安楽に暮して居ります。生れた子供も男で伊之助のいの字とお若のわの字を取って岩次(いわじ)と名をつけ、虫気(むしけ)もなくておい/\成長してまいるが、子供ながら誠に孝心が深いので夫婦も大層喜んでいました。これより暫らくは夫婦の上には何事のおはなしもございませんが、末になると全く離魂病の骨子(こっし)をあらわし、また因果塚のよって起(おこ)ることゝ相成るのでございます。こゝに品川の貸座敷に和国楼(わこくろう)と申すのがございまして大層流行(はや)ります。娼妓も二十人足らず居り、みんな玉が揃っているので、玉和国と、悪口をいう素見(ひやかし)までが誉(ほ)めそやしているぐらいでげす。今日は暇だと申しても一人で二人ぐらいのお客は屹度(きっと)ある。忙しいと来たら五六人ずつはありますからなか/\廻しが取れません。甚助(じんすけ)をおこす客もあるが怒(おこ)って出て行(ゆ)くものゝないも訝(おか)しい。それで安直店(みせ)と来ていますから滅法な流行りかた、この楼(うち)に小主水(こもんど)と呼ばれて全盛な娼妓がある、生れはなんでも京阪(けいはん)地方だと申すことで、お客を大切(だいじ)にするが一つの呼(よび)ものになっています。この小主水の部屋から妹分で此のごろ突出(つきだ)された一人の娼妓(こども)は、これも大阪もので大家(たいけ)の娘でございましたが、家(うち)の没落に身を苦界(くがい)に沈め、夜(よ)ごとに変る仇枕(あだまくら)、朝(あした)に源兵衛(げんべえ)をおくり、夕(ゆうべ)に平公(へいこう)をむかえております。この者の名を花里(はなざと)といい頗(すこぶ)る美人でげすから、忽(たちま)ちのうちに評判になり、

○「コウ熊ア、玉和国の花里てえのはすばらしいもんだとよ」

△「ウム左様(そう)よ、土地第一(でえいち)の別嬪(べっぴん)だとよ」

○「手前(てめえ)おがんだか」

△「己(おい)らア、仕事を仕舞うと直ぐこれで三晩おがみに来るが、彼奴(きゃつ)流行妓(はやりッこ)だからなア、まだお目にぶら下らねえのさ、今夜ア助見世(すけみせ)に出アがるとこでもと先刻(さっき)から五度(ごたび)まわったが、よく/\御縁がねえのだ、明日(あす)の晩は半纒を打殺(ぶちころ)しても登楼(あが)らねえじゃア気がすまねえや」

○「素敵に逆上(のぼせ)ていアがるわ、顔も見ねえ女に夢中になる奴もねえぜ」

△「馬鹿奴(め)、美人(いゝ)に極ってらア」

なんかと騒ぐものもあるほどでげすから、其の全盛は思いやられます。軍艦が碇泊(ていはく)すると品川の宿(しゅく)は豊年でございます。皆様御存知のとおり海上にあって毎日事務をとってお在(いで)なさるお方々でげすから、何(いず)れの港になりと船が泊りますることになると、それ/″\にお暇が出て日頃の骨休みをなさる。成程そうでございましょう。軍人方でいらせられますから、いざ戦争という場合になりましては申すまでもないことで、甲板に屍(かばね)をさらすとも一歩もお引き遊ばすなどという卑怯未練な方はございません。陸軍たりとて海軍たりとて勇武の御気象には少しの変りもない、日本固有の大和魂というものがお手伝をいたしますからでもございましょうが、我邦(わがくに)軍人がたの御気象には欧洲各国でも舌を巻(まい)ておるそうで、これは我が某(ある)将官の方に箱根でお目通りをいたしたとき直接(じき/\)に伺ったところでございます。これはお話が余事に外(そ)れ恐れ入りましたが、左様な御気象をお持ち遊ばす方々で在(いら)せられますから、ナニ暴風怒濤(どとう)なんぞにビクとも為さる気遣いはない、併(しか)し永暴風雨(ながしけ)をくっては随分御困難なもんだそうで、却(かえ)って戦争をしている方が楽だと仰せられた軍人もございました。そういう御難儀を遊ばしていらッしゃるんでげすから、港々にお着(つき)遊ばしたときは些(ちっ)とは浩然(こうぜん)の気もお養いなさらずばお身体が続きますまい。それでげすから軍艦が碇泊したというと品川はグッと景気づいてまいる。殊に貸座敷などは一番に賑(にぎわ)しくなるんで、随分大したお金が落るそうにございます。娼妓のうちで身請の多くあるは品川だと申しますも、畢竟(ひっきょう)軍艦の旦那に馴染を重ねるからのことかと存じまする。丁度紅葉(もみじ)も色づきます秋のことでげすが、軍艦が五艘(ごそう)も碇泊いたし宿(しゅく)は大層な賑いで、夜になると貸座敷近辺は恰(まる)で水兵さんで埋(うま)るような塩梅、何(いず)れも一杯召食(きこしめ)していらっしゃる、御機嫌だもんですから、若い女子供は怖(おっか)ながるほどでございました。それでなくってさえ流行(はや)ります和国楼、こういう時には娼妓達(こどもたち)は目もまわるように忙がしい。中々一人々々のお客を座敷へ入れることは出来ません、名代(みょうだい)部屋には割床(わりどこ)を入れるという騒ぎで、イヤハヤお話になったものでございませんが、お客様がそれで御承知遊ばして在(いら)っしゃるも不思議なものでげすな。従って娼妓達が勤め向きもわるいが、馴染になって在っしゃるお客様は、アヽ彼奴(あいつ)も気の毒な、斯う牛や馬を追いまわすようにされちゃア身体が続くもんじゃないよ、なんぼ金の為に辛い勤めをするんだッて、楼主(ろうしゅ)があんまり慾張りすぎるからわるい、政府でも些(ちっ)と注意して一夜(ひとよ)のお客は二人(ににん)乃至(ないし)三人より取らさねえように仕そうなものだ、なんかんと御自分の買馴染が一座敷へ三十分と落著(おちつ)いていられないのを可愛そうに思召しもございましょう。例の花里花魁(おいらん)でございますが、この混雑(ごった)かえしている中に一層忙がしい、今日で三日三晩うッとりともしないので、只眠いねむいで茫然(ぼっと)して生体(しょうたい)がない。お客のお座敷へ出ても碌々口もきかないが、さてこれと名ざしてお招き遊ばさるゝお方はそんなことには頓着(とんじゃく)はなさりません、只花里々々と夢中になっていらッしゃる。いま花魁の出ているは矢ッ張り軍艦(ふね)のお客で、今夜は二回(うら)をかえしにお出でなされたんでげすから、疎末(そまつ)にはしない、頻(しき)りに一昨夜(おとついのばん)の不勤(ふづとめ)を詫していると、新造(しんぞ)が廊下から、

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