八
翌朝主人は番頭を呼んで何かコソ/\話を致しましたが、やがて番頭の平助は何れへか飛んで往き、暫く経って帰って来まして、またコソ/\話をしましたが、解ったと見えまして、
主人「羽織を出してくんナ……文七や供だよ」
文「ヘエ」
と文七が包を持って旦那の後へ随いて観音様へ参詣を致し、彼れから吾妻橋へ掛りました時に文七は「あゝ昨夜此処ン処で飛び込もうとしたかと思うと悚然とするね」と云いながら橋を渡って参りました。
主人「本所達磨横町というのは何処だえ、慥か此所らかと思うが、あの酒屋さんで聞いて見な左官の長兵衞さんというお方がございますかッて」
文「ヘエ……少々物を承ります、エヽ御近所に左官の長兵衞さんて方がございますか」
番頭「それはね、彼処の魚屋の裏へ這入ると、一番奥の家で、前に掃溜と便所が並んでますから直に知れますよ」
主人「大きに有難う存じます、それから五升の切手を頂戴致します、柄樽を拝借致します、樽は此方で持って参りますから」
と代を払って魚屋の路地へ這入って参ります。此方は長兵衞の家は昨夜からの騒ぎでございます。
兼「何うするんだよ、何処へお金を遣ったんだよ」
長「何処へって遣っちまったよ」
兼「お金を預けた処をお云いな」
長「預けたんじゃアねえよ、遣っちまったんだてえに、解らねえ、昨夜から終夜責めてやアがって些とも寝られやアしねえ、己だって遣りたくはねえが、人が死ぬってえんだ、人の命に換えられるけえ」
兼「ふん、人を助けるなんてえのは立派な大家の旦那様のする事だよ、娘が身を売ってお前の為に百両拵えてくれたものを、ムザ/\他人に遣っちまうてえ奴があるかえ本当に、何処かへ金を預けて置いて、又賭博の資本にしようと思って、本当に其の金はどうしたんだよ、何処へ遣ったんだよう」
長「己だって遣り度くはねえ、余り見兼たから助けたんだ」
兼「ふん、見兼て助ける風かえ、足を掬って放り込むだろう」
長「誰が放り込む奴があるものか」
とグズ/\いつている処へ、
主人「ハイ御免下さいまし」
長「おゝ、無闇に開けちゃアいけねえよ……見っともねえ、そんな形をして、人が来たんだよ、己が挨拶をするまで其処に隠れていねえ」
兼「見っともないたッて誰が斯んな形に仕たんだよ」
長「えゝ大きな声をするな、見っともねえから二枚折の屏風の後へ引込んでな、え、もう開けても宜うがす」
主人「御免下さいまし、長兵衞さんと仰しゃる棟梁さんのお宅は此方で」
長「えゝ何に棟梁でも何んでもねえんで、ヘヽヽ縮屋さんかえ」
主人「イエ私は白銀町三丁目近江屋卯兵衞と申しまして鼈甲渡世を致すもので、此者をお見覚えがございますか……何うかよく此の奉公人の顔を御覧なすって……文七此方へ出て此のお方のお顔を見な」
文「ヘエ/\、此のお方……アヽ、此のお方でございます、昨晩は誠に有難う存じます………旦那様此のお方が私を助けて下すったに違いないので」
長「おゝ此の人だ、お前だ、何うもまア宜かった、お前に金を遣ったに違えねえね……賭博の資本に他へ預けたんじゃアねえ、チャンと証拠があるんだが、まア宜かったノ」
文「ヘエ、何うも、是は何うも、昨夜は暗くって碌にお顔も見えませんでしたが、お蔭様で助かりまして有難う存じます」
主人「其の折はまた此者が不調法な詰らん事を申し貴方に御苦労を掛けまして、何とも何うもお礼の申上げようがございません、まったくは此者が泥坊に奪られたのではございません、お屋敷へ忘れて参りましたので、此の者が宅へ帰らんうちに金子はお屋敷から届けて参りましたから、何うしたのかと案じて居りまする処へ此者が帰って参りまして、金子を出しましたから、不思議に思いまして、段々調べて見ますると、まったくは賊に奪られたと心得て、吾妻橋から身を投げようとする処へ、これ/\のお方が通ってお助けなすったという事ゆえ、取敢ずお礼に出ましたが、何んとも何うも恐入りました、有難う存じます」