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また、いつかかういふことがあつた。何の用事であつたか看守につれられて中庭へ出て行つたときのことである。中庭をつききり、向ふの廊下の入口へもうだいぶ近づいたらしいと感じたとき、古賀はおもはずはつとして一間ばかりもわきへとびのいたものである。間髮を入れずその瞬間に、何か大きなものが上から、たつたいま古賀があるいてゐたあたりへはげしい音を立てて落ち、ついでもののこはれる音がしたのであつた。きいてみると、囚人が屋根へ上つて屋根瓦の破損箇所を修理してゐたのであるが、何かの拍子にあやまつて束にした瓦をおとしたのであつた。少しおくれてあるいてゐた看守もその時の古賀にはおどろいて、えらいもんだな、みんなさうなるものかな、と感心してゐた。――これらは耳の鋭敏によるといふよりも、からだぢゆうの全神經の微妙な統一の結果であらう。
――心が狂ふであらう、といふ眉に火のつくやうなさしあたつての苦惱がそのやうにしてやゝうすらいでみると、こんどはしかし、心に餘裕がなかつたために今までかへりみずにゐたひとつの苦悶があたらしくはつきりと浮きあがつて來るのであつた。今後の自分はどうしたものであらう、どういふ考への上に心を据ゑて生きて行つたものであらう、といふ問題である。みじめにうちくだかれ、踏みつけられた今となつては、昂然と眉をあげておごり高ぶつてゐた過去の自分といふものはみぢんにくだけてとび、自分が今までその上に安んじて立つてゐた地盤ががらがらと音を立てて崩れてゆくことを古賀は自覺せずにはゐられなかつた。えらさうなことを言つて強がつてゐたつてだめぢやないか、何もかも叩きつけられないうちのことさ、と意地わるくせゝら笑ふこゑを古賀ははつきりと耳近くきいた。ただただ與へられた運命の前に頭をたれてひれふすよりほかにはなかつたのである。今までは、どんな場合にもつねに一つの焦點を失つてゐなかつた。内から外から彼を通過するあらゆるものはみんなその焦點で整理され統一された。今はさういふものがなくなつてゐる。だがさうかといつて、苦しまぎれになんらかの觀念的な人生觀といふものを頭のなかにつくりあげ、そこに無理に安住しようとしたところでそんなことができる筈のものではない。古賀はよるべのない捨小舟のやうな自分自身を感じた。悲しいときには子供のやうな感傷にひたり切つて泣き、少しでも心のらくな時にはよろこび、その日ぐらしの氣持で何日かを送つた。彼はまだ打撃をはねかへし、暗のなかに一筋の光を見るだけの氣力をとりかへしてはゐなかつたのだ。從來、自分の立つてゐた立場にひとまづ歸り、そこから筋道を立ててものごとを考へてみるだけの心の餘裕をとりかへしてはゐなかつたのだ。彼が再たび起ち上つてくるまでには、なほ長い暗中模索の時が必要とされたのである。――さうしてかなり長い時を經たのちに、古賀が最初に心を落着けたところといふのは、一つのあきらめの世界であつた。それは必ずしも宗教的な意味を含んで言ふのではない、捨小舟が流れのまゝに身を任せてゐるやうにすべてを自然のまゝに任せきり、いづこへか自分を引ずつてゆく力に強ひて逆らはうとはせずそのまゝ從ふといふ態度であつた。なるやうになるさ、とすべてを投げ出した放膽な心構へであつたともいへる。今まで輕蔑し切つてゐた、東洋的な匂ひの濃い隱遁的な人生觀や、禪宗でいふ悟りの境地といつたやうなものがたまらない魅力をもつて迫つて來たりした。さういふ氣持におちつくための方法として古賀は好んで自分の貧しい自然科學の知識をほじくり出し、はるかな思ひを宇宙やそのなかの天體に向つて馳せ、やがてはほろびるといはれる地球のいのちについて考へたりそれからそのなかに住む微塵のごとき人間の姿について思ひを潜めたりするのであつた。すると世の人間のいとなみがすべて馬鹿馬鹿しいもののやうに思はれて來るのである。さういふ考へが一段と高い立場であり、窮極の行きどころのやうに一應は考へられてくることはなんとしても否めない事であつた。「社會」から隔離されてゐるこの世界にあつては、ひとり古賀のやうな異常な場合でなくてもすべての人間にとつてかういふ考へが支配的になる根據はあつたのである。しかし古賀はひとまづそこに落着きはしながら、心の奧ではそこが畢竟一時の腰かけにすぎないといふ氣持を絶えず持つてゐた。理論的に問題を解決してゐない弱味をはつきり自覺してゐたからである。いはば、それは、はげしい打撃にうちひしがれた彼の感情がずるずるべつたりに到達した場所にすぎなかつた。昔彼の立つてゐた立場はまだ少しも手をふれることなくそのまゝであつた。そして心の奧底では、古賀にはやはりその立場を信ずる氣持があつた。そこへやがてはもどつて行ける時がくるやうな氣持がほのかにしてゐた。――彼がしばらくでも腰をおちつけてゐたその立場が案外に早く崩れねばならない時がしかしやがてやつて來た。古賀が第一審の公判廷に立たされる日がさうしてゐるうちに近づいて來たのである。
あたらしい身を切るやうに切實な問題が、さらにもうひとつ急速な解決を迫つてきた。公判廷においてどういふ態度をとるべきか、從來自分の守つて來た考へにたいしてはどうでなければならないかといふ問題である。古賀は懊惱し、息づまるほどの苦しみにさいなまれた。食慾は減り見るかげもなく痩せはてて久しぶりで逢つた山田辯護士が聲をあげておどろいたほどであつた。理窟の上からはしかしこの問題は、大して考へるまでもなくすでに早く古賀の頭のなかで解決されてゐた。ただ明かにわかつてゐることを踏み行へないところに懊惱があつたのである。くりかへしくりかへし古賀は自分に問ひ自分に答へてみるのであつた。――さうではないか? なぜといつて自分はもちろん一定の確固たる理由があつてその立場をとるにいたつたものである。ところでその後自分は思ひがけない不幸な目にあつた。だが、さうした個人的な不幸といふものが一體なんであるか? 人がどういふ不幸にさらされねばならないか、それを誰が知らう。どんな慘めな目に逢はうとも、自分をしてさうした立場をとらしむるにいたつた原因が除かれない限りは自分はその立場を棄てえない筈である。棄てたといへばそれは自らをあざむくものであらう。もちろん、失明した今の自分は自分たちの運動から見れば一箇の癈兵であるにすぎない。しかしそれは、自分が今まで抱いてゐた思想を抛棄しなければならないといふ理由にはならず、いはんや從來の考へが間違ひであつたといふことを宣言しなければならないといふ理由にはならないのである。……
時にはまた自分の内部にうごめいてゐる醜惡な他の自分を擁護するために、あらゆる有利な口實を探し出し、ならべたて、それが決して醜くはないこと、それこそがほんたうの自分であることを論證しようとして全力をあげることもあつた。が、次の瞬間には彼はあわてて苦しげに頭をうちふり、自分自身をはつきりと眞正面に見据ゑ、思ひきり冷酷に言ひ放つのである。――今更になつてあれやこれやと、はづかしくもなくよくいへたもんだ、あらゆる暗い運命ははじめつから承知の上ではなかつたのか。不幸な目にあつてゐるのは何もお前ばかりでない、こゝへ來てからだつてお前はすでに多くのさうした不幸をその目で見た筈だ。昨日もお前の筋向ひの房にゐた同志が發狂した。その時の叫び聲はまだお前の耳に殘つてゐるだらう、お前の受けた不幸は偶然的な特殊なものであり、それだけ大げさに考へあまえた氣持でゐるかも知れないが、もつと普通でしかもはるかに(原文七字缺)がどれほど多く世間には行はれてゐることか。そしてさういふ不幸の根を(原文十二字缺)ためにはじめたお前の仕事ではなかつたのか。それにいまさら土壇場になつてやれなんの、やれかんのと。……
古賀は恥ぢた。人氣のない闇のなかで彼はひとり心で赤くなつた。
つひに古賀はある程度に心を決するところがあつた。しかしその決定的な態度といふものを山田辯護士にすら告ぐることなく彼は公判廷にのぞんだ。彼には自信がなかつたのである。きめておいても最後の場合、どうなるかも知れはしないといふ不安が絶えずあつたのである。そして一度思ひが年老いた彼の母の身の上に走るとき、その不安がますます大きなものになつて行くことを古賀は感ぜずにはゐられないのであつた。
古賀は母にはもう長いこと逢つてゐなかつた。母はその年、彼の捕はれた事實を知つて郷里から出て來、遠縁の家に身をよせてこの町に滯在してゐたのである。古賀の失明の事實は役所の方から一應知らせたらしい樣子であつた。母は幾度も面會に來たが、失明後の古賀は頑固に拒んで逢はずにゐたのである。逢つた瞬間の恐らくは胸もつぶれんばかりの老いた母の心の驚ろきといふものを想像するに堪へなかつたのである。
古賀が最後に母と別れたのは四年前の秋であつた。
ある爭議に關係してしばらく入獄し、やがて保釋出所した古賀はその年久しぶりで故郷へ歸つたのである。わづかの入獄期間中にも状勢は變つてをり、出て來た彼はある種の決意を要求されてゐた。その決意を固めるには時日の餘裕をおいてなほいろいろと考へて見なくてはならず、陰ながら母に長い別れを告げる爲にも一度は歸郷する必要があつた。母は地主で同時に村の日用品を一手に商ふ本家の伯父の家に寄食してゐた。
――わざと裏口から這入り、茶の間で伯父や伯母と挨拶してゐる間、母は臺所で何かごそごそと仕事をしてゐるらしい樣子であつた。その後ろ姿がこつちからも見えた。しかしその樣子は仕事はもう疾うにすんでゐながら、わざとさうやつていつまでも手間どつてゐるといふふうに古賀には見えた。やがて伯母によばれ、ぬれた手をふきふきやつて來たがその顏はむつと怒つてゐるやうな表情であつた。
「歸つただか」と低くふるへるこゑで、一口だけ言つた。古賀はその表情のかげに、激情を辛うじておさへてゐる、一と皮むけば泣き出すにちがひないものを見てとつた。
伯父伯母との間には格別話すこととてもなく三十分も坐つてゐる間にもう言葉はとだえがちであつた。好人物の夫婦であつただけに強い事は言はなかつたが、やはらかい言葉のなかにはげしい非難の針を含んで古賀を刺すのであつた。伯父は古賀の小學校時代の同級生の消息についていろいろ語つた。地主の息子で東京に遊學してゐたものは多くその年の春卒業してゐた。だれそれはどこへ就職したとか、だれそれは嫁をもらつたとかいふはなしを伯父はするのであつた。それが單純なニユースといふより以上の意味をもつて語られてゐる事は明らかであつた。父の死後、わづかばかり殘つた田地を賣つてそれを學資として上京してゐた古賀だ。母はその間、伯父の家に身を寄せて彼の卒業の日を待つてゐたのだ。それがもう一年足らずといふときに突然警察からよばれ、不吉な知らせを受けとらなければならなかつたのである。
母の居間にあてられてゐる三疊の部屋にはいり、古賀はそこで始めて母と二人きりで向ひあつた。母の顏を目の前にしげしげと眺め、五十の坂を越すと人はどんなに急速に老いるものであるかといふことを古賀ははじめて知つたのである。
「よう丈夫で歸つたのう」といふと、母の日に燒けた頬にはみるみる大粒の涙がつたはつた。
翌日から古賀は、遊んでゐる間にと東京で引受けて來た飜譯の仕事にとりかゝつた。少しは金にもなるのだつた。夜、母は机に向つてゐる息子の側でおそくまで針仕事をしてゐた。時々、「これ、通してけれ」といつて目をこすりこすり古賀の前に針と絲とを出すのであつた。古賀の若いたしかな目は待つ間もなく針めどに絲をとほすことができた。絲を絲まきにまく手傳ひをさせられることもあつた。さういふ息子の姿を見るときの母の目はやさしくうるんでゐた。母は東京での古賀の生活について少しも聞かうとはしなかつたし古賀も別に話はしなかつた。母は息子を信じてゐたのだ。惡者であるといはれてゐた息子は、歸つてみれば昔よりもやさしく言葉や態度はぐつと大人びて何か頼もしいものさへ感ぜられるのだつた。
三月ほど經つた。東京からはしきりに手紙が出來し、歸らなければならない日が近づいてゐた。さういふある晩、古賀は村から五里はなれたT市へそこの劇場にかゝつた新派劇を見せに母を連れて行つた。母は歌舞伎でないことを不滿がりながら、しかし子供のやうに喜んだ。幾つかの番組のなかに母と子を主題にした劇が一つあつた。結末は通俗なハツピー・エンドだが明らかにゴルキーの母をいくぶんか模したものであつた。見てゐる母はいくども吐息をついて言つた。