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鴨川を愛して
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鴨川を愛して
新村出
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 2 of 2

続鴨川を愛して

白河のみかとの歎き孔子の語かものほとりに立ちて憶ほゆ

わか愛を注ける鴨の川波の永久に静けく逝くか嬉しも

加茂川にそって上流にいくと、いまも水は清く、流れは野趣にとんでおります。上賀茂のあたりから上流に住んでいる人たちの話では、いまも夏はカジカの声、冬は千鳥のさえずりがきかれるということです。

私は、かねてから、この加茂川の美をよみこなしたものはないものかと、いろいろ調べているのですが、どうも、あまり残っていないようです。

『鴨川集』という幕末にできた歌集があります。私は、これを大学の図書館から借りてきて、この中に多少とも鴨川の美をうたったものはないかと調べてみたのですが、これは鴨川の美そのものをうたった歌ばかりを集めたものではなく、京都に縁のある歌人が京都をうたったものにすぎませんでした。

また万葉時代にさかのぼってみると、大和の木津川の一部分を鴨川といったことがわかりました。しかしこれも京都の鴨川ではないから参考になりません。では、そのころの鴨川と京都の鴨川との間に、名前をつける上でなにか縁故があるのだろうかとも考えたのですが、これも、どうやら没交渉らしいという結論になってしまいました。

ただ一つ『古今集』の編集者の一員であった紀貫之の歌に、鴨川という言葉は出てきませんが「川風寒く千鳥鳴くなり」という歌があります。私は、実はこれも鴨川ではなくて、桂川ではないかという推察を試みたことがあるのです。というのは、ご存じのように、貫之は『古今集』を編集したあと、何十年か経ってから土佐守(いまの高知県知事)となり、四年あまり土佐の国に在勤しておりました。任期を終えた貫之は、帰途、船で大阪から淀川をのぼって、月の明るい桂川にはいり、そこで都からの迎えの牛車に乗って京都の自邸に戻ったということですから、あるいは、そのとき千鳥の鳴く声をきいて感想をよんだのではないか、このように想像をめぐらしたのです。ところが、これもだんだん吟味していきますと、意外にも、それは川に千鳥が舞っている絵をみてよんだものだとわかり、いささか失望した次第です。

『源氏物語』には一カ所ありましたが、『枕草子』にはとくに鴨川をうたった文句が見当たりませんでした。『枕草子』で学位をとった大阪学藝大学の田中重太郎君にもきいてみましたが、やはり『枕草子』には鴨川のことを書いた部分はないということでした。

このほか、紫式部が荒神口のあたりで一条天皇の中宮上東門院(藤原道長の娘彰子)に仕えていたころに書いた『紫式部日記』というのがあります。この日記には、相当鴨川の美を叙述したものがあります。しかしながら、それも自然美なのか、御殿の中につくられた池とか流れのような、人工をほどこしたものか、はっきりしません。むしろ、これもほんとうの自然美ではなく、御殿の中につくられた人工美についての言葉にすぎないということがわかって、いささか失望せざるを得ませんでした。しかし、このようなことは、調査したり研究したりしているとしばしば出合うことで、このようなことがたくさんありました。

ただ賀茂神社神主出身の鴨長明が書いた「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、流れに浮かぶうたかたは……」という書き出しの『方丈記』に出ている鴨川の叙述がよほど有数なものです。短文ですから、すぐに読めてしまいますが、あれを珍重せざるを得ないのです。

私も、二、三十年前は、おつきあいで折り折り木屋町筋の宴会にいきましたが、当時は鴨川の洲に流しの演歌師などがいて二階から金をつつんでほうってやったりしたものです。近年はまったくそういうところへ出入りしないものですから、ああいう風雅なことがいまでも行なわれているのかどうかもしらず、ただ文献に徴して歌人香川景樹が川西の五条あたりに住んでいたことがあるということを知ったり、香川景樹の先輩にあたる小沢蘆庵の家集『六帖詠藻』などをみて、鴨川の美をうたったものを折り折りに発見しながら、たのしみ半分にいつしか歳月を経てしまいました。もともと非常にのんきな調べものですから、いまだにはかばかしいものがなく、残念に思っている次第です。

ところで近年、下鴨森本町に、生活科学研究所のある生研会館というのができております。あそこは鴨川の近くで、下鴨の森林美はもとより、比叡山や東山をはじめ、西山、北山の一帯が見渡せる非常に景色のいいところです。ここで毎月一回、われわれ老人株のもの二十数人が集まって「流水会」という小さな会合を開いております。私は閑人ですから、毎回喜んでその会に出入りし、話の仲間入りをしております。べつに目的もなにもない会合で、ただ昔物語りをして、今昔の変遷のあとを追慕したり、鴨川の美を語ったり、四方の山水の美を話したりする、一種の風流団体のようなものです。

ここは、不幸にして川辺から少しはなれているため水の音はきこえませんが、行く途中、出町橋や出雲路橋を渡って川の流れをのぞみ、気分を新たにしていきますから、席上、川の流れの話がよく出ます。こういうことで、私は老を養いながら「愛水」という号のごとく“水の流れ”を愛しつづけているのです。『論語』に、「子在二川上一曰、逝者如レ斯夫。不レ舎二昼夜一」(子、川のほとりに在りていわく、逝く者はかくの如きかな、昼夜をおかず)とあります。孔子さまが水のほとりに立って、こんこんと流れる水のさまをみて、こういったというのです。そして、人世観なり世界観を描いたというのです。私も、年とともに、水の流れを賛美する気持ちが強くなり鴨川を愛する念がますます高まるようになってきました。

●図書カード

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