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比較神話学
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比較神話学
高木敏雄
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 10 of 20

第二節 人文神話

社会の進歩と云い、人文の発達と云うは、果して何事を意味するや。人類の歴史は、之を無数の時期に、区劃することを得可く、若し社会は絶えず発達し、人文は永久に進歩するものとすれば、各の時期は、之を其以前の時期に比して、一層完全なる可く、之を以後のそれに比して、一層不完全なる可し。而も発達と云い、進歩と云うは、要する比較的の称呼に過ぎずして、絶対の完全は到底之を現実にし得可からざるが故に、此意義に於ては、凡ての時代は不完全なる可し。不完全なるが故に、進歩し、発達す。其不完全なるは、即ち完全に赴くの原因にして、簡単に云わば、不完全、完全を生じ、欠如円満を生ずるなり。絶対の完全円満は、進歩の極点、発達の極致、即ち人文の終極にして、社会は最早此以上に発達する事を得ず、人文は最早これより進むこと能わず、其結果は社会の終滅、人文の死滅、人類の絶滅、即ち世界の最後なる可く、凡てのものの終りなる可し。不完全或は欠如は、或点より見る時は、社会の不調和の義なり。人間の罪過罪悪の義なり。苟くも社会に発達のあらん限り、人文に進歩開展の絶えざる限り、社会はその不調和を、免かるること能わざる可く、人間の罪過罪悪は到底絶ゆること能わざる可し。其不調和とその罪過罪悪と、動機となり、原因となり、因果の連鎖永久に繋がりて、進歩を生じ、発達を来たし行くは、是れ即ち、真正の調和にして、或点より観察するときは、不調和即ち調和、欠如即ち円満、極言すれば罪悪は人文開展の動機なり。

希臘神話の神統論は、此点に関して、甚だ興味ある著しき例証を与う。天神ツォイスを首にして「オリムピヤ」の山嶺に、神座を有する万神は、何れも当時の希臘国民の社会神或は人文神、国家の主宰者、社会の擁護者にして、かの山上の神界は、希臘当時の国民に取りては、人間社会の理想なりしなり。然れども、このツォイスの神界の発達の歴史を、神話の記する所によりて、観察するに、此最後の完全なる社会組織に達するまでに、凡そ三個の階段を経たり。其間には、数度の激烈なる争闘あり、流血惨憺たる事件あり。二回の大革命を経て、はじめてツォイスの社会組織は、成就せらるるに至りしなり。素より希臘神話の性質として、かの神話的記事の中には、多くの天然的分子を発見し得可く、従て其記事の、天然的解釈を施し得可き、十分の余地を有することは、既に神話学者の屡ば論ぜし所にして、悉く之を人事神話として解釈する能わざるも、更に他の一面より観察するときは、其神話の根柢に、一種の社会観の伏在することも、また等しく争う可からざる事実なるを知る。こは神話形成時代の希臘国民が、無意識的にその経験より得たる、一種の社会観にして、凡て完全なるものは、不完全なるものより生じ、前者は後者を排して、之に代る者なりとの観念に外ならず。社会の発達は、不和衝突、争闘の結果なりとの一種の社会観、かの神話の裏面に存するなり。

其はじめの、天然的分子を含むこと甚しき、天地開闢に関する部分を除きて、人文神話的性質の、稍明かなる部分に就て、之を述べんに、第一回の主宰神は、天神ウラノスにして、第二回の主宰神は、天神クロノスなり。「オリムピヤ」神界の主、アテーネの父、天神ツォイスは、第三回の主宰神なり。クロノスはウラノスの末子、ツォイスも亦た、クロノスの末子なり。ウラノスの宇宙主宰倒れて、主権クロノスの手に移り、クロノスの世界政治覆えりて、主権遂にツォイスの手に帰するに至りしは、决して尋常一様の継承相続の結果には非ずして、純然たる一種の革命の結果に外ならず。簡単に述べんにウラノスはその末子クロノスに殺され、クロノスの末子ツォイスは、其独特の武器電光霹靂を恣にして、其父の軍を滅したるなり。共に無上の大罪悪にして、比類なる大不祥なり。而もこの大罪悪を犯せしツォイスは、遂に第三回即ち最後の宇宙政治の主権を掌握して、宇宙の主、世界の首、「神と人との父」として、無上の尊崇を受け、最高最上の人文神と仰がるるに至れり。一見甚だ理解し難きが如くにして、而も深く之を考え見るときは、甚だ了解し易き神話なりと云わざるを得ず。此神話の中に見ゆるツォイスの罪悪は、後に至りて、宗教上の問題となり、此の如き大罪悪を犯せし神を以て、国家の最上神とすることの、甚だ理由なきを論じて、神話の妄誕不稽を唱うる者、多きに至れり。此の如きは、要するに、偏狭なる道徳上の議論にして神話の根柢に横れる、太古の純直自然なる思想観念を、洞見し得ざるに出づ。

父子の衝突、尚一層之を広く云わば、前代と後代との衝突は、固より一個の不祥たるに相違なかる可し。而も此不祥は、場合によりては、大なる目的に向ての犠牲として、之を忍ばざるを得ず。若し子にして、遂に父の思想の範囲以上に、出づる無からんには、人間に進歩は無かる可く、後代常に前代の思想慣習を墨守して、一歩も其以外に脱出することを、敢てせざらんには、社会の発達は生せざる可し。苟くも人間に進歩あらん限り、社会に発達あらん限り、父子の衝突新旧思想の衝突は、到底之を免かるるを得ず。従って、衝突の結果として、不祥の事件の生ずるは、誠に巳むを得ざるなり。人文の進歩、社会の発達と云う如き、大なる善の目的の為めには、大なる不祥をも、之を忍ばざるを得ず。人を殺し、血を流すは、盖し進歩に対する一種の犠牲なり。ウラノスの殺されしも、クロノスの滅されしも、進歩に対する犠牲にして、而して、何れの場合に、於ても、末子の手に主権の帰せしを説くは、物は後に至りて愈完全に、社会は時代を経て、益々円満に近くものなりとの思想を、示すものなり、否其思想の自ら、神話の中に現われたるなり。之をかの人文神話の解釈とす。

然らば、人間の罪悪の根源は、果して何ぞ。此点に関して、希臘神話の説くところと、猶太宗教神話の語る所と、甚しく類似するを見る。猶太の旧記は、人間の罪悪の起源に関して、最も明白なる説明を与えたり。『創世記』第三章に見ゆる、神話的説明即ち之なり。神話に曰く、

耶和華神所レ造諸生物、莫レ狡二於蛇一、蛇謂レ婦曰、爾勿三偏食二園中諸樹之果一、非二神所一レ命乎、婦謂レ蛇曰、園樹諸果、我儕得レ食レ之、惟園之中、有二一樹果一、神云、毋レ食、毋レ捫、免レ致二死亡一、蛇謂レ婦曰、爾未二必死一、神知爾食レ之日、爾目即明、致爾似レ神、能別レ善悪、於レ是婦視二其樹一、可レ食、可レ観、又可レ慕、以三其能益二智慧一也、遂摘レ果食レ之、並給二其夫一、夫亦食之、二人目即明、始覚一身裸一、乃編二無花果樹葉一為レ裳、日昃涼風至、耶和華神遊二於園一、亜当与レ婦聞二其声一、匿二身園樹間一、以避二耶和華神之面一、耶和華神召二亜当一云、爾何在二曰、在園中一、我聞二爾声一、以レ裸故、懼而自匿、曰、誰告二爾裸一乎、我禁二爾勿一レ食レ之樹、爾食之乎、曰爾所レ賜レ我之婦、以二樹果一給レ我、我食レ之、耶和華謂レ婦曰、爾何為也、婦曰、蛇誘二惑我一、我故食レ之、耶和華神謂レ蛇曰、爾既為レ之、爾必見レ詛、甚二於諸畜百獣一、爾必腹行、畢生食レ塵、我将使爾与レ婦為レ仇、爾裔与二婦裔一亦為仇、婦裔将レ撃二爾首一、爾将レ撃二其踵一、謂レ婦曰、我必以二胎孕之苦、一重加二於爾一、産レ子維艱、爾必恋レ夫、夫必治レ爾、謂二亜當一曰、爾既聴二婦言一、食二我所レ禁之樹一、地縁レ爾而見レ詛、爾畢生労苦、由レ之得レ食、必為レ爾而生二荊棘一、爾将レ食二田之蔬一、必汗流浹レ面、始可三糊レ口二爾帰一レ土、葢爾由レ土出、爾乃塵也、必復帰二於塵一、 アダムが神の禁せし樹の実を食いしは、人間の罪悪のはじめなり。何故に樹の実を食いしは、罪悪なるや。同じく第二章に、神アダムに諭して曰く、園中の諸樹の実は、爾の意に任せて、之を食う可きも、独り善悪を別つの樹は、之を食う可からず。之を食わば、必ず死せんと。「善悪を別つの樹」とは、善悪の分別を人間に教うるの樹なり。蛇の教えし如く、目を明かにする樹なり。智慧を与うる樹なり。人間に死を与うる樹なり。樹の実を食う以前のアダム夫婦は、全く禽獣と同じく、其目明かならざれば善悪の区別を知らず。裸躰にして、その愧づ可きを知らざりしなり。然れどもまた、食を得るの困難もなく、病もなく、また死もなかりしなり。唯かの樹を食いしによりて、目明かになり、智慧生じて善悪の区別を知るに至り、裸躰の愧つ可きをも悟るに至りしなり。以前の状態に比して、非常なる進歩と云わざるを得ず。而もこの進歩は、かの二人の罪悪にして、之が為めに、後世子孫は労働の苦を甞めざるを得ず、分娩の苦痛を忍ばざるを得ず、苦みの後には、死の神の手に奪われて、此世を去らざるを得ず。二人の罪悪は不滅なり、神の咒咀は永久なり、人間は永遠にかの罰を受けざるを得ず。

然れども、飜て之を考うるに、人間の人間たる所以、其の動物に比して、万物の霊長たる所以、動物界の永久に、殆んど進歩発達の跡を示さざるに反して、独り人間のみ、日々に進歩し発達する所以は、所謂智慧の力に外ならず。社会の発展、人文の進歩は、所謂智慧の力による。アダムの罪悪は、この智慧を得たるにあり。智慧は即ち、其罪悪の結果なり。若し人智の発達は、社会発達の原因なりとせば、従って罪悪は、人文進歩の動機ならざるを得ず。若しアダムにして、かの罪悪を犯さざりせば、人類は終に、禽獣の位置より、進むことを、得ざりしならん。労働なくしては、発明起らず、生死なくしては、新陳の代謝なく、人文其ものの萠芽さえ生ずるを得ざるなり。此れ决して、喜ぶ可きことに非ざる可し。此意義に於て、アダムの罪悪は、人間界に人文の萠芽を、生じたるものにして、其罪悪の永世不滅なるは、即ち人文開展の動機の、絶えず社会に存在する所以なりと解す可し。猶太旧記は、宗教的思想に富める、猶太民族の、古代の伝承にして其宗教的分子を、含むことの多きは、勿論なるも、かの一節は純粋の神話なり、従って神話として、之を解釈せざるを得ず。唯、その宗教的性質を帯ぶることの、稍や著しきのみ。之を純粋の哲学として、或は所謂啓示として、解釈せんとするは、大に不可なり。

プロメトイスは、或は之を人類の祖として解す可く、或はまた、人類の創造者として解す可し。此点に於ては、プロメトイスは女と比較するを得可し。『風俗通』に曰く。

俗説、天地初開闢、未レ有二人民一、女搏二黄土一為レ人、劇、務力不レ暇レ供、乃引二縄組泥中一、挙以為レ人、故富貴賢知者、黄土人也、貧賎凡庸引レ組人也、

女に就て、古史伝承の語る所、区々にして一致せずと雖も、其庖犠の制度を承くると云い、婚姻を置くと云い又、楽器を作ると云うは、何れも人文的事業なり。

其天地を修理し、国土を経営し、陰陽を調和し、人文の発達を阻害する、凡ての原因を除去し、以て民人を安んぜしは、実に絶大顕著の事業にして、天然力に対する人文の勝利、或は不規則的暴力に対する、秩序的道徳力の勝利として、観察す可きものなり。此点に於て、女禍は一個の人文的英雄、或は一個の人文神なり。人文神としての女禍が、人間を作りとの説話は、甚だ理解し易し。而も、土より之を作りしと云う、其全躰に於て、毫も不自然の形跡なし。エホバの神もまた、土より人間を作たり。大地は人類の母、人類生活の基、人間が土より作らるるは、甚だ理あり。但し『女禍為人』説話は、支那太古の人類起原説話の、一個の形式に過ぎずして、决して其全躰を包括するものに非ざることを、注意するを要す。

希臘神話に、人類起原説話の三個の形式あり。化生説はその一、創造説はその二、神の後裔なりとするは其三なり。プロメトイスの人間創造説話は、第二の形式に属して、他の二個に化して、最も新しき歴史を有す。プロメトイスが真正の人類創造者として、見らるるに至りしは、恐らく第四世紀以来にして、其説に従えば、その材料として、粘土を用いしと云う。但し人間の精神に関しては、或は神これを授けしと云い、或は創造者プロメトイス自ら、天火を吹き込みし、とも云う。然らば、何故に人間の性質は、多趣多態にして、一様ならざるや。説話は之に答えて曰く、そは創造者が、その事業の際混合せし、粘土の性質の、一様ならざりしに由ると。此点に於ても、此説話は「女禍為人」説話と比較す可し。

人類の祖、人文の保護者プロメトイスの説話は、希臘神話中にて、最も意義深遠なるものの一なり。此神話に於てもまた、かの猶太神話に於けると同じく、智慧即是罪悪の思想の、其裏面に横われるを見る可し。プロメトイスの亦の名はピルフォロステオスと云う。「天上の火を地上に伝えし神」の義にして、此点に於ては、プロメトイスは人類文化の創造者、其名の示す如く、聡明叡智の化神なり。人間の文明は、天然を征服し其結果として神意に背戻するに至る、との思想上より観察するときは、プロメトイスは、人文の代表者として、特別の意義を有す。人間の発明智力は、自然界の最端に至るまで、残る隅なくあさり散して、凡ての自然力を使役するに至らざれば止まず、との思想は、ソフォクレースが精妙の筆もて、その『アンチゴーネ』の中に叙述する所、宇宙の秘密、万有の真理に対する、人間の無限の渇望追求は、遂に神聖を褻涜し、神意を蔑如するに、至らずんば止まず、との思想は、多くの詩人の中にて、オイリピデスが特に巧に、説明せし所なり。此神話に於ても、プロメトイスの人間に伝えし、貴重なる賜即ち火は天に対し、神に対するプロメトイスの罪悪の結果にして、神話に見ゆる、プロメトイスは、輙頭轍尾反抗と詐術との化神なり。その大胆にも、天神とその聡明を競わんとせし心術は、遂にツォイスの神罸を免かるること能わざりき。ヘシオドスの説く所に従えば、プロメトイス説話は、凡そ下の如し。

クロノスの敗亡の後、「ペロポンネス」なる「シキオン」に於て、神と人との会合あり。会名の目的は、権利義務の確定にあり、特に此場合に於ては、犠牲に供せし動物の肉の分配は、其重なる同題なりしなり。プロメトイスは、其時人間の代表者として、一頭の肥えたる牛を二つの部分に分ちしが、その分配の方法は、甚だ狡猾なりき。一方には肉と腸とを集めて、牛の皮もて之を裏み、一方には骨と筋とを重ねて、脂もて其上を蔽い、かくて神の聡明を試みんと欲せしなり。ツォイスは神の代表者なりき。此分配は、永久に効力ある可しとの、契約なりしが、ツォイスはプロメトイスの奸策を看破して、故意に脂もて蔽われし部分を取りぬ。而して、彼が神の叡智を試みんと欲せし罸として、直ちに、火の使用を人間に禁じぬ。火なくしては物を煮ることを得ず。火食の休絶は、農耕の絶滅なり。農耕の絶滅は、直ちに凡ての人文の死滅を来たざるを得ず。是に於て、人文神たるプロメトイスは、更に第二の詐術を以て、天上の火を窃んで、之を人間に与えたり。而して其結果として、プロメトイスと人類とは、永遠に神罸を受くるに至れり。

プロメトイスの罪悪は、之を神の側より見るときは、勿論罪悪たるに相違なかる可きも、之を人間の側より見るときは、罪悪は即ち智慧なり、人智発達の結果なり。神の目に於ては、人間の堕落、人間の方より之を観察するときは、所謂人間の堕落は、即ち人間の進歩なり。「オリムピヤ」の神は、元来甚だ利己的なり。人間の自由を無視して、己れの欲するままに、人間を使役せんと欲す。神人共同生活の極楽時代に於ては、人間は其目未だ明かならず、其智未だ発達せず、全く無智蒙昧の状態に在りて、何事も神の意志のままなる可く、神人間の衝突の起る可き理なし。而も、無為恬淡の、此時代は、到底久しく持続することを得ず。遠からずして、神と人との分離を生ず。分離の原因は、人間の智慧の発達なり。神人の分離は、此意義に於て、人文進歩の第一段階なり。プロメトイスが人類の祖、人間の代表者、人文の神として伝えらるるは、即ち此故にして、人智即是罪悪、罪悪は即ち人文進歩の動機なりとの思想は、此神話に於ても、之を見るを得可し。

然らば神は如何にして、人間を罰せしや。神の間には、既に男女両性の別ありしも、神人分離の当時に於ては、人間界には、未だ女性あらざりき。是に於て、天神ツォイスは、工神ヘファイストスに命じて、「オリムピヤ」の不死の女神を模型として、粘土を以て、一個の美婦を作らしむ。諸の男神女神は、各々其欲する所に従って、優美、敏活、誘惑、奸智等の種々の性質を、此美婦に賦与したり。かくの如くにして、最初の女性パンドーラを生じぬ。風神ヘルメス、天神の命により、此婦を携えて、エピメトイスの家に至る。エピメトイスとプロメトイスとは互に兄弟たり。プロメトイスは予め彼を戒めて、神の与うる何物をも受くる勿れと、固く禁ぜしも、彼はかの美婦の容姿に迷いて、遂に之を受けて妻となしぬ。其之を受けしは、人間の不幸のはじめにして、実はツォイスが、人間の堕落を怒りて、之を罸せんが為めに、かの美婦を人界に送りしなり。ヘシオドス記して曰く、パンドーラは女性の祖なり、女性は禍の源、女性の存在は、人間の大不幸なりと。

ヘシオドスの此意見は、希臘国民の女性観と、稍や一致するも、実は甚だ残酷なり。而も此の如きは、独りヘシオドスの意見として、観察す可きに非ず。猶太神話も亦たアダムの妻エヴァを以て、女性の祖とし、エヴァが神の禁を犯して、樹の実を食い、またアダムに之を食わしめしを以て、人間の罪悪のはじめなりと説く。エヴァは即ち猶太のパンドーラ、パンドーラは即ち希臘のエヴァなり。日本神話も亦た、稍や類似の説話を有す。唯その意義に於て、希臘猶太のそれの如く、深遠ならざるのみ。その女性の美に迷いしを以て、不幸の原因なりとする点に於ては、殆んど異る所なし。古史神話は、その神代史の末段邇々芸ノ命の神話に於て、以前の神々の寿命の幾万歳なりしに反して、以後の天皇の寿命の、長からざるに至りし原因を説明して曰く、大山祗其二女を邇々芸ノ命に進めて、天命の御子の命は、岩長姫の如く、雪ふり風吹けども、永久に岩の如くに栄えませ、また木花咲耶姫の如く、木の花の栄ゆるが如くに栄えませと、咒し奉りしに、岩長姫の醜きを退けて、美しき木花咲耶姫のみ留められしによりて、後の天皇の寿命は、長からざるに至りしなりと。

パンドーラの現われし以前の人間の生活は、極めて安寧静謐にして不和なく、争闘なく、疾病なく、また生死なかりき。パンドーラは持参物として、一個の陶器を携え来りしが、その内容は、種々の災害不幸なりき。パンドーラは好奇心に駆られて、かの器の蓋を開きしに、忽ちに凡ての災害不幸、殊に多くの疾病の種子、その中より飛散して、地球の全面に拡がりぬ。驚きて再び其蓋を閉じしによりて、最後に残りし希望のみは、遂に出ずることを得ざりき。神話は附記して曰く、人間に多くの災害苦難ありて、而も一点の希望なきは、此理によると。此神話の前半と後半とは、少しく調和を欠く所あり。而も、その大躰の意義に至りては、之を明かに理解するを得可し。パンドーラの持参物は、プロメトイスが、人文の上に加えし進歩の結果にして、極楽時代の終り、神人分離のはじめに於て現われたる、凡ての災害禍難疾病生死は、人智開発の結果として、人間社会に生じたるものなり。之をプロメトイス人文神話の解釈とす。女性の存在は、生死の起る所以、継嗣相続の起る所以、新旧代謝の生ずる所以にして、新旧の代謝は、人文進歩の母なり。此意義に於て、人文神たるプロメトイスは、人間文化の創造者、聡明叡智の権化、詐術と反抗との化神なり。之を人文神話の解釈とす。

附

Chapter 10 of 20
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