Chapter 1 of 9

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ベーシック英語

高田力

はしがき

此の小稿は Basic English の基礎理論と組織との概要及び英語教育に於けるその價値を出來るだけ平明に解説しようと試みたものである。Basic は決して850語の單なる list に止まるものではないのである。動的であつて有機的なそれ自體一つの纒つた組織を成し、その運用によつて日常の用を辨じ得る仕組になつてゐるのである。然も Basic は總て英語の傳統に從つて考案され、英語の特異性が十分に利用されたものであるから、その研究は英語研究の全體的見地から考へて見て、決して無駄なことではないと思はれる。

我國に於いては、Basic の組織をよく理解してゐる人が比較的尠いやうに思はれる。幸に讀者諸氏が本稿によつて、Basic の如何なるものであるかを理解せられて、更にその關係文獻を渉獵するの勞を惜まず、檢討を加へられて Basic の組織を全體として眺め、その長所を採つて英語教育に應用せられるならば、筆者の幸福のみに止まらないであらうと思ふ。

昭和十六年三月

高田力

目次

はしがき

. ベーシック英語

. 考案の起源と展開

. 語彙制限の諸原則

1. 動詞の排除

2. 贅語の排除

3. 意味の擴張と特殊化

4. 複合語

5. -er, -ing, -ed の語尾

6. 慣用句

. ベーシック選集

1. 簡單なる動作

2. 複雜なる動作

3. その他の注意

. ベーシックと英語教育

. 文例

. ベーシック英語

Basic English(基本英語)は如何なる英語であるか簡單に言ふならば、元來多くの點で最も簡易化の可能性に富む英語の持つ用辭上の特異性を利用して、複雜なる思想をも、人間の生活意識に最も必要なる要素的な語彙のみで言ひ表はし得るやうに、大英語を合理的に壓縮整理して得た、それ自體有機的な一つの纒つた組織を成す簡易化された小英語とも言ふべきものである。而して、英語が世界に於いて通用範圍が最も大きいと言ふ點から、極めて短期間に習得しうる國際補助語とする意圖を以て、英國ケムブリッヂの言語心理學者オグデン(C.K. Ogden, 1889- ――)氏によつて、多年苦心研究の結果案出されたものである。

Basic English の組織の主體を成すものは850語であつて、それを分類すれば、「作用詞」(operators)と名づける動詞16語、助動詞 may(might), will(would)(及び「作用詞」中の be, do, have も助動詞として用ゐる)、前置詞、接續詞、冠詞、代名詞、副詞等100語、一般的な事物の名(名詞)が400語、繪に描き得る物の名が200語、及び性質を表はす語(形容詞)が150語(其の中、50語は good に對して bad;clean に對して dirty の如く反對の意味を表はすもの)となつてゐる。此等の語を運用する文法は普通の英語と同じで、名詞の複數には 's' を附け、300の名詞及び少數の形容詞(普通の英語で動詞としても用ゐられるもの)の語尾に '-er' ('-or'),'-ing', 及び '-ed' を附けて派生語(例へば、support から supporter 支持(扶養)する人、味方、賛成者、supporting 支持(扶養)して、支持(扶養)すること、supported 支持(扶養)されて)を作り、副詞は形容詞に '-ly' を附け、比較は '-er', '-est' の語尾を用ゐると共に 'more', 'most' で示す。所有を示すには '-'s' 又は 'of' を用ゐ、形容詞の或るものの前には 'un-' を附加して反對の意味の形容詞を作り得る。疑問文は語位の轉換又は 'do' を使ひ、動詞、代名詞の變化は普通の通りである。又850語を適當に組合せて得た平易な250個の慣用句を使用してもよい。度量衡、數詞、貨幣、暦詞及び諸國共通の語は英語に依る。又一般科學用語100と各種の科學、商業等の特別用語50とが用意されてある。

. 考案の起源と展開

さて茲に Basic English の組織せられるに至つた來歴を簡單に述べると、オグデン氏が1919年より1922年に亘つて、その名著 The Meaning of Meaning*(「意味の意味」、リチャーヅ(I.A. Richards, 1893- ――)博士との共著)を執筆の頃に溯る。本書は、その副題を「言語の思想に及ぼす影響及び象徴學の研究」と言ひ、言語とは象徴(symbol)の一種であつて、其の意味とは象徴(記號)としての言語が事物を指示する作用である、と言ふ理論を詳述したもので、その言語、思想、事物の關係を論じた無底邊三角形(同書第一章)は有名である。即ち、事物と思想、思想と言語とは、それぞれ直接の關係を持つてゐるが、事物と言語とは間接の關係しか持つてゐない、と言ふのである。而して、此の三角形は多くの場合に底邊を持つてゐないことゝなる。即ちシムボルとしての言語と事物とを結合する線が缺けてゐることが多いのである。我々の日常用ゐる言葉の上に多くの錯誤が生じて來るのは、こゝに原因する。何故ならば、我々はシムボルと事物との間に直接の關係があるかのやうに思ひ込んでゐるのみならず、さう考へることが言葉を使用する時に便利であるとさへ思つてゐるからである。若し、我々が此の三角形に於いて、その底邊が缺けてゐるといふことを反省するならば、言語上の誤解が生ぜずにすむだらうと言ふのである。尚ほ此は本居宣長の「こと、こころ、ことば」の三角關係の學説及び富士谷御杖の學説と比較して垣内松三氏によつて研究されてゐる。

* 石橋幸太郎氏による此の書の第三版の完譯が昭和十一年に刊行せられた。

さて其頃オグデン氏がリチャーヅ氏等と共に、諸種の語(words)の意味の定義の研究調査に從事してゐた際、或る幾つかの要素的な語が常にその中に用ゐられることを發見し(尤も、この事は十七世紀に於いてライプニッツ(Leibnitz)やウィルキンズ(John Wilkins)等の興味を唆つた問題ではあつたが)、進んで此等の重要なる基本的語彙のみを以て、それ以外の多くの複雜なる内容を持つ語の意味を明瞭に言ひ表はし得ることに想到した。更に進んで、此等の要素的な語彙のみを以て一種の基本的な英語を構成することが出來るだらうといふことを考へて研究を續けた。斯くして、一般普通の思想の交換を容易ならしめる英語による國際語の考案は、當時既にオグデン氏の主なる關心事の一つであつたのである。併し、その當時にあつては、氏の此の試みの前途には多くの障碍が横はつてゐる樣に思はれた。例へば、假に十年餘を費して斯る國際補助語が考案されたとしても、實際それを用ゐるに當つて豫期以上の多くの困難が感ぜられるのではないかしら、又如何したら目や耳に普通の英語のやうな自然な印象を與へ得るものを作ることが出來るだらうか、といふことであつた。

ところが、やがてオグデン氏は此等の問題を解決する鍵を見出した。氏は兼ねて、ファイヒンガー(Hans Vaihinger, 1852-1933. ドイツの哲學者)の Die Philosophie des Als Ob1(The philosophy of 'As if')を讀み、1924年にその英譯2を刊行したのであるが、その頃より益々ベンタム(Jeremy Bentham, 1748-1832. 英國の法理及び倫理學者)の言語哲學の研究の必要を痛感し、熱心にベンタムを讀み始めた。當時オグデン氏は動詞(verbs)の性質の研究に當つてゐたが、ベンタムの言語觀から得た暗示によつて大いに力づけられて更に檢討を進めて、遂に所期の目的を達することが出來たのである。「Basic の考案の仕事の總ての段階に於いてベンタムの『虚構の理論』(Theory of Fictions)は極めて貴重なる助力を與へてくれた。所謂動詞組織を國際語といふ目的の爲には、解體し得るであらう、といふ考へに對するベンタムの支持が、少くとも私が此の試みをする決心を固めてくれたのである。それ故にベンタムは Basic English の眞の父である。1」とオグデン氏が言つてゐる。虚構(事實でないことを事實らしくしくむこと、つくりごと)に關する思想はカント、ニィチェ等古來多くの哲學者によつて注意せられた問題であるが、特に英國の法理學、政治哲學の實際及び理論の兩方面に亘つて、他國のそれに於いてよりは一層重要な役割を演じて來た、とファイヒンガーも言つてゐる。而してオグデン氏がベンタムの「言語上の虚構」(Linguistic Fictions)の理論を檢討展開せしめて、それを實際に應用した結果が遂に Basic English となつて現はれたのである。而してベンタムは彼の言語理論によつて英語を整理して國際語たらしめる可能性を主張した最初の人であつて、international といふ語は彼の初めて用ゐたものである。そもそもベンタムが「言語上の虚構」に關心を持ち始めた動機は、一つには、彼が幼年時代に惱まされた幽靈(ghosts)に對する恐怖の念に就いての考察に由來し、又一つには、オックスフォードに於けるブラックストン(Sir William Blackstone, 1723-80)の講義によつて惹起された「法律上の虚構」2(Legal Fictions)に對する嫌惡の情に由來したのであつた。即ち、幽靈(spectres)、小鬼(imps)及び妖怪(bogeys)といふやうな朦朧たる語の背後に潜む實體に對する疑惑と法律用語の背後に横はる道徳的意義に對する疑問とより進んで、言語そのものゝ基礎の檢討に移つて行つたのである。3

1 後に述べる「虚構」の研究。因みに言ふ、森鴎外の小説「かのやうに」は此の書物に由來するのである。

2 The Philosophy of 'As if' by H. Vaihinger(International Library of Psychology, Philosophy and Scientific Method).

1 C.K. Ogden : Jeremy Bentham 1832-2032 (Psyche Miniatures), p.44.

2 末弘嚴太郎 : 「嘘の效用」(改造社、大正十二年)參照。

3 C.K. Ogden : Jeremy Bentham 1832-2032, p.39.

さて、ベンタムの「言語上の虚構」とは要するに、言語には 'table' 'dog' のやうな明かに指し示すことの出來る具體的な物を示すものもあるが、又 'liberty,' 'obligation,' 'civilization' の如く實際的でない、言葉の上に於いてのみ存在する、即ち抽象的な虚體を指すものもある。而して此の後者に屬するものを「言語上の虚構」と言ふのである。オグデン氏はかう言つてゐる、「具體的な物を何等表はしてゐない多くの名詞(例へば、harmony, quality 等)がある。尤も總ての國語では、便宜上具體的な物を表はしてゐるかのやうに扱つてゐる。これ等は假作的な物の名である。これ等の語は、文法の方面では何等特別の問題とはならないが、言語といふものが何を傳へてゐるかを了解せんとするならば、この區別は重要なものとなる。……言語上の虚構の性質は、それを比喩(metaphor)の一種として考へれば、恐らく一層理解し易いであらう。比喩とは普通の意味では、語を類似なものに適用することである。即ち虚構は語の機能を類似なものに及ぼして用ゐることであると大體言つてもよからう。かくして、force of circumstance といふのは物理學者の世界から借用した類似用法であるが、force それ自身は、物理學者がそれを用ゐる際でも、それに相當する物體は宇宙に見出し得ないものである。」*と。

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