八
其相談といふのは大略斯ういふ事であつた。『下宿屋を讓受けるのももう半月許り後の事だが、早々多勢の子供を連れて出掛けるより、子供と嫂さんは今暫時國許へ置いて己は單身で上京して三四ヶ月は一人で遣つて見る積りで居る。だからお前等夫婦も小間物店や荒物店を出すよりも寧ろ同居をするとしてはどうか。さうすればお互に力になる事が出來て心丈夫だと思ふがどうであらう。但し呉々も強ふるのでは無い。厭なら心配無く厭と言つて呉れ』と大體斯ういふ意味の事であつた。
春三郎は此手紙を見て文太郎が今度の下宿屋で最後の一戰を試むる積りで居ながらも多勢の子供と病身な嫂とを控へて居て心細く思つて居る容子をあり/\と想像した。どうしても今度は兄を成功させて遣らねばならぬ、といふことは已に屡起つた考へであつた。此時も亦其考へがむら/\と起つた。
嘗て此衣食問題は春三郎の心を悶えさせたが、其はより重大な戀の問題で暫く忘るゝとも無く忘られてゐた。けれども今になつて見ると、戀の結果は矢張り衣食問題であつた。殊に從前よりはより切迫した問題であつた。彼は一も二も無く兄の意見に賛同せうと思つた。彼は手紙を疊み乍ら照ちやんに、
「お前下宿屋の女將さんになるの厭か」と試に戲談らしく言つて見た。
「何にでもなりますわ」と照ちやんは戲談らしく答へた。
春三郎は次に常藏の手紙を開封した。之は簡單な走り書きで、
『實は段々事態切迫し今後如何なる結果生ずるやも計り難きにつき一寸歸京萬事御相談致置度存候。明夜遲く新橋著の豫定。萬事拜眉』とあつた。
「大阪の兄さんが今夜一寸歸つていらつしやるさうだ」
「おやさう」と照ちやんは嬉しさうな顏をした。
「事態が切迫したとあるがどんな事になつたのであらう」と春三郎は心配さうな顏をした。
「まあさうですか」と照ちやんも同じく心配さうな顏をした。二人とも暫く默つてゐた。春三郎の顏は逸早く衣食問題に戻つた。春三郎は今度は嚴肅な口調で、
「國の兄さんが下宿屋を一緒に遣らぬかと仰しやるのだが、お前遣つて見る氣があるかい」と照ちやんの顏を見た。
「何でも私に出來ることなら遣りますわ」と照ちやんも今度は眞面目に答へた。