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俳句とはどんなものか
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俳句とはどんなものか
高浜虚子
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 2 of 5

第一章 総論

この事ではまだ俳句というものを少しも知らぬ人のために、概念だけを与えるのを目的としてのべます。元来この講義は初心の人に俳句の概念を与えるのを目的とするのではありますが、この総論においてはさらにそれを小規模にして、手っとり早く、俳句というものに多少の親しみをつけるだけのことを目的とします。それゆえ同じく初心といううちでも一、二冊俳書を読んだことがあるとか、二、三句作ってみたことがあるとかいう人にはあまりわかりきったお話になるかもしれないのであります。それらの人は第二章から読んで下さってよいのであります。

それゆえこの一章を読んでから、今まではまったく没交渉であった俳句というものにどこやら一つの暖かみを覚えるようになったとお感じになるならば、それだけでもう十分この章の目的は達せられたことになるのであります。いよいよ諸君が俳句を作られるための手引としては第二章以下にのべることにいたします。

さて俳句(発句)というものはどんなものでしょう。

それについて私はまず自分がまったく俳句というものを知らなかった幼い時の記憶を呼び起さなければなりません。私の父や母は好んで三十一文字を並べておりました。父の写本には歌の本が多うございました。来生以前から耳に慣らされていた謡曲の中にも歌はたくさん織りこまれていました。母が私にして聞かすお伽噺の中にも歌はよく引合にでました。そのうちには七つ八つの子供が歌を読み合って問答するような話もありました。

それは一人の子供が日暮になってほかの子供を誘いに行くと、もうその戸が締まっていて開かない。そこで「とんとんと叩く妻戸を開けもせず……」という歌を読んでなじると、中の子供はまた「……母の添乳に……」どうとかこうとかいう歌を読んで返報をするというような話でありました。

そんなわけで和歌は生まれ落ちてから私にとって親しいものでありましたが、発句については十三、四ごろまでただ一言の話を聞いたこともありませんでした。初めて聞いた俳人の名は加賀の千代という名前でその句は、

朝顔に釣瓶取られて貰ひ水

という句でありました。これも母から聞いたかと記憶していますが、母はこの句を優しい句だといって激賞したように覚えています。そののち近所の友人のうちで私が歌を作ろうというと友人は発句を作ろうと主張しました。その時友人のお母さんも発句を作るといって思案するような顔をしていられましたが、やがてこういう句を示されました。

朝顔の蕾は坊のチンチ哉

この句を聞かされた時私は馬鹿にされたような気持がして、その友人のお母さんの不真面目なのが癪にさわりました。と同時に、「いくら発句は品の悪いものでもまさかそんなものではあるまい」とその句を軽蔑しました。それからまた二、三年たって他のある友人のうちで其角という俳諧師の名前を聞かされたことがありました。その人から、

我ものと思へば軽し傘の雪  其角

というのが名句だとして紹介され、私もまた興味ある句としてそれを受け取ったことを記憶しています。

もしその頃の私に向かって、俳句とはどんなものか、というような疑問を提出する人がありましたら私は何と答えましたでしょう。

俳句とは、朝顔に釣瓶取られて貰ひ水、我ものと思へば軽し傘の雪というようなものであります。(1)

とそう答えるよりほかにしかたがなかったろうと思います。また俳人はと問われましたら、

加賀の千代、其角の二人(2)

と答える以外に何の知識も持たなかったであろうと思います。が、もしその質問者が俳句は何字あればよろしいのですか、と聞いたら私は何と答えましたでしょう。かの近所の友人や友人のお母さんと初めて俳句というものを作ったときにも、私は指を折って十七字にすることだけは忘れなかったのですから、私は即座に、

十七字です。(3)

と答えるであろうと思います。

以上の答えのうち、(1)も(2)も不完全な答えでありますが(3)だけは俳句の存在する限り動かすことのできない明確な正当な答えであります。

一 俳句は十七字の文学であります

私は十七、八歳のころはじめて俳句というものを学んでみる気になったのでありました。それはほかでもありません、一に子規居士の刺激を受けたがためであります。が、そのときですらなお和歌と俳句とを較べますと堂上人と町人のような区別があって和歌は優にやさしきもの、俳句は下卑た賤しきものとそう考えておりました。それで俳句を学ぶというのも別に俳句を尊敬してというではなく、私の想像する新文学――そのころの新文学というと申すまでもなく尾崎紅葉、幸田露伴の崛起した時代で、二氏を始め美妙、鴎外、村上浪六等の文学をいうのであります――に追随するためにはまず西鶴を学ぶ必要があり、西鶴を学ぶためにはぜひとも俳句を学んでおく必要があるという説に従ったのに過ぎないのでありました。

が、その後子規居士から若干の俳書を借りて読んでみたり、俳句の歴史を聞き齧ったりしてみますと、俳句とはどんなものか、という質問に対する私の答えは少しずつ変化を起こしてこねばならぬことになったのであります。すなわち俳句というものは、朝顔に釣瓶取られて、という句や、我ものと思へば軽し、というような句のほかになおいろいろの句のあることを明らかにしたのであります。まずその一例を挙げてみますと、

鶏の声も聞こゆる山桜  凡兆

湖の水まさりけり五月雨  去来

荒海や佐渡に横たう天の川  芭蕉

舟人にぬかれて乗りし時雨かな  尚白

こんなような句に逢着したのであります。そうしてこれらは「釣瓶取られて」の句や「我ものと」の句などとくらべて大変趣の違うことをその時分の幼い心にも了解することができたのであります。

けれどもそれは決してこれらの句に感心したというのではありませんでした。その時分の心持を振り返ってみますと、俳句とはこんなものだとあらかた決めてかかっていたものが、たちまちまた壊れてしまって、ちょっと捕まえ所がなくなった、というような頼りない心持であったように記憶します。

それは何故かと申しますと、「釣瓶取られて貰ひ水」というような句はよく人情が写してあります。人情と申しましても婦女子にもよく判るような優し味が現れているのであります。朝起きてみると一夜の間に朝顔の蔓が延びて釣瓶に巻きついておった、それを離させるのも可哀相だからそのままにしておいて自分の隣の家で貰い水をすると、こういううちに朝顔を愛憐する心持が強く読者の心に響きます。その点が当時この句を天下に有名ならしめたゆえんで、その感傷的なところには極めて強い色が現れております。次にまた「我ものと」の句は人情本の中に引用されたり端唄に読みこまれたりしたがために特に有名になったのでしょうが、かく人情本に引用されたり端唄に読みこまれたりするというのが畢竟この句の性質によるので、やはり婦女子にも判る、優しみのある人情的なところがその生命になっておるのであります。――其角の原句は、「我雪と思へば軽し傘の上」というのですがそれを後人がかく改作したのであります。改作された句の方が一層通俗的になっています。

ところがそれらの句を見て、俳句とは大方こんなものだ、と見当をつけていたものが、前掲の凡兆以下の句のごときに接するとちょっと面喰らわざるを得なかったのであります。何故かというとそれらの句には少しも人情的なところがありません。心をそそるような優し味というものは少しも見出すことができなかったのであります。先代の古今亭今輔といった落語家は高座にあって「我もの」の端唄を唄う前に、いつも「我ものと思えば軽し傘の雪」と二度ばかり口吟してみて、「どうも俳諧師は優しいうまいことを言ったものでげす」と感服するのが常でありましたが、そういうような優し味を前掲の四句の中からは少しも見出すことができなかったのであります。

そこで俳句とはどんなものか、という質問に対して、にわかに「釣瓶取られて」とか「我ものと」とかいう句を例証に出してこんなものですと答えることができなくなったのであります。

前に挙げた、「俳句は十七字の文学なり」という一項だけは動かすことのできぬ的確な答えでありましたが、しかもそれはただ形式についての答えに過ぎなかったのであります。ここにさらに提出した俳句とはどんなものか、という質問に対してはその内容についての答えを要望せねばなりません。

「釣瓶取られて」の句や「我ものと」の句などからは

俳句は優しい人情を歌うものです。(4)

とただちに答え得たかもしれませんが、それが独りこの二句から得た感じだけをもって答えることができないことになると、さらにこれらの句――一例として挙げた前掲の四句――についていま少しく内容を吟味してかからねばならぬことになったのであります。

が、その内容を吟味にかかる前に、私は前に俳人はと問われた場合、加賀の千代、其角の二人ほか答えることができなかったのでありますが、今は、少なくとも、凡兆、去来、芭蕉、尚白等の名前を挙げ得るのであります。すなわち、

俳人には加賀の千代、其角、凡兆、去来、芭蕉、尚白等があります。(5)

と答え得るようになったのであります。なおこのついでに私は一歩を進めてこういうことを申し上げておきたいと思います。

(5)のようにただ俳人の名前を並べただけでは誰が古くて誰が新しいのか、誰がえらくて誰がえらくないのかそれが判らないのでありますが、その実この中で一番偉いのは芭蕉でありまして、

芭蕉は真宗でいえば親鸞聖人、日蓮宗でいえば日蓮上人(6)

といったように俳句界のお祖師様として尊崇されているところの人で、また実際今日の俳句というものは芭蕉の力で作り上げられたといってもよいのであります。前掲の其角、凡兆、去来、尚白の四人は芭蕉の主な弟子で芭蕉とともにいずれも元禄時代、すなわち今からいうと二百余年前の人であったのでありますが、独り加賀の千代だけはずっと後世で今から百年あまり前の人であります。芭蕉時代にあっては右の四人の弟子のほかにまだたくさんの立派な弟子がおり、その後になっても加賀の千代より少し遅れてまだ立派な俳人がたくさんおるのでありますが、それらの人名をここに臚列したところで混雑をまねくばかりでありますから、それらは一切後になって項を改めてお話することにいたします。なお右のうち加賀の千代は女の俳人であったということと前言ったような人情的の句を作ったということのために、一時世間に喧伝せられたのでありますが、世間には私同様、もっとも通俗的な千代の句によって初めて俳句というものに接した人も少なくなかろうと思います。

そこで余事はさておきここにはまずこういう断案だけを下しておきましょう。

二 俳句とは芭蕉によって作り上げられた文学であります

さていよいよ俳句の内容の吟味に取りかかってみようと思います。

内容の吟味などというと大分難しいようですが、平たくいえば、俳句にはどんなことが読まれているか、また俳句とはどんなことを読んだらいいものなのかというぐらいのことにすぎないのであります。以上の(一)と(二)とによって俳句は「芭蕉という二百年前の人によって作り上げられた」、「十七字の文学である」ということだけは判りましたが、さてどんなことを読んだらいいかが判りません。それを前掲の四句から吟味してみようというのであります。

「釣瓶取られて」の句や、「我ものと」の句やは俳句というものをまったく知らない人に話してもすぐ面白味が判りますが、前掲の四句になると多少俳句というものに慣らされた人でないと容易に判らないのであります。独り面白味が判らぬばかりでなく、全体何を言ったのかということさえ判らないかも知れないのであります。現に初めて俳句を学び始めた時分の私はまったくその状態にあったのであります。そこで今日の私がその時分の私に説明して聞かすようなつもりで、まず句の意味から解釈してかかろうと思います。

鶏の声も聞こゆる山桜  凡兆

この句は人里遠い山に花見に行った時の句でありまして――山桜というと桜のある種類の名前だと解釈する人があるかも知れませぬが、俳句で山桜と言いますと、たいがい山にある桜ということになります。――句意はその淋しい人里離れた山に行って花見をしていると、この辺には人家がないと考えていたにかかわらず鶏の声が聞こえる、さてはどこかに人家があるとみえるというのであります。

次に

湖の水まさりけり五月雨  去来

この句は五月雨が小止みもなく降り続くので、ある日琵琶湖に行ってみると、あの周囲七十余里といわれておる海に等しい琵琶湖でさえ水嵩が増しておるというのであります。

次に

荒海や佐渡に横たう天の川  芭蕉

北海は荒海でありますが、ある年の秋芭蕉はその荒海のほとりのある町におりました。夜になって大空を見渡しますと、その晴れ渡った秋の空に天の川がかかって遠く沖にある佐渡が島の方に流れております。そこをとって芭蕉はこの句にしたのであります。

次に

舟人にぬかれて乗りし時雨かな  尚白

どこということは別に明白ではありませんが、仮に近江の矢走の渡とでもしましょうか。どこか降りそうな空合でもありましたが、また明るくなって持ちなおすらしい模様でありました。船頭に聞いてみますと、「なあに大丈夫だ。」とか何とか平気で答えます。それならばということで渡舟に乗って湖の半辺まで漕ぎ出しますと俄かにまた空模様が変わってざあと時雨が降ってきた。こんなことならこの渡は渡らずに少々遠くとも瀬田廻りをするのであったのに。船頭にだまされてつい船に乗ってしまった、とこういう意味であります。

さてかく解釈してみますと、それで各々の句の意味だけは無造作に判ったことになりますが、初めて俳句に接したものにあっては同時に一つの大きな疑問が起こらなければなりません。というのは、たとえば第一の句についていうと、「鶏の声も聞こゆる」という十二字と「山桜」という下の五字との間に何の連絡もないのにかかわらず、前解のごとく、「山に行って花見をしている」とか、「この辺には人家がないと考えていたにかかわらず」とか、「さてはどこかに人家があるとみえる」とかいうような解釈を産み出し得るということは不可思議のこととしなければなりません。他の三句にあっても同様であります。

が、しかし少し俳句に慣れてくると、かくの如きはむしろ俳句としては普通のことであって、それをわざわざ怪しむのがかえって不思議なくらいに思われるようになります。すなわち、第一句の場合にあっても「山桜」という文字が与える概念と、「鶏の声も聞こゆる」という言葉が与える概念とが結びついて、その間にできるだけの多くの連想を生んで前解のごとき意味を人に伝え得ることになるのであります。もしこれが俳句でなくてただの文章の一節であったならば、「……鶏の声も聞こゆる山桜……」と読んで行った場合に、全体それは何を表わしたのか、主格もなく、目的格もなく、何がどうして鶏の声も聞こゆるというのか、また山桜がどうしたというのか皆目不可解の文字としなければならないのであります。

そこでこういうことを了解しておかなければなりません。

俳句を解釈する場合には、散文の一節をみるのとは違った用意を必要とします。(7)

すなわち、散文であるとなるべく文字を十分に使用して意味連絡をはかるようになっておりますが、俳句の場合に合ってはできるだけ簡潔な文字が使用されて、多くの意味は連想に待つようになっております。

この俳句の叙法につきましては別にお話しする考えでおりますから、ここにはこれだけで端折りまして、さて、解釈し来った四句のごとき全体何を表しているといったらいいのでしょうか、すなわちこれらの句の面白味はどういう所に存しているのでしょうか、俳句内容の吟味ということがこの一節の本来の目的であったのですから、ただちにそこに踏みこんでゆこうと思います。

これらの句は「釣瓶取られて」や「我ものと」の句のように人情をうたったものではなく、景色もしくは事実を描いた句といってよかろうかと思います。もっとも厳密にいえばこれらの句のうちにも情はあります。また「釣瓶取られて」等の句のうちにも景はあります。がその重きをなしている点が違っていると思います。「釣瓶取られて」等の句はその釣瓶取られて貰ひ水、といったようなところに女子供をあっと感ぜしめる力強い情の現れがありますが、これらの句にはそれがありません。余情としては閑寂な境地を愛好する心持だとか、大景に憧憬する心持だとか、もしくは洒脱な心持だとかいったようなものが現れていると言えば言えないことはありませんが、しかしそれは句の陰に潜んだまったくの余情であって、句の表面にあってはいずれもただある事実を描写したというに過ぎないのであります。そこでこれらの句が表わしている光景や事実の上に何の興味をももたない人は、「なんだつまらない」と言ってしまうかもしれませんし、またそれらの事実の上には興味を持ち得る人であっても、もともと「釣瓶取られて」等の句にて味わい得たところのものをこれらの句の上にも待ち設けていた人々にあっては一応失望せずにはいられないのであります。私が前に、当時ちょっと捕まえどころがなくなったように感じたと言ったのはすなわち個々の事で、これらの中に人情味を見出そうとして見出すことができず、さりとてまた叙景叙事の味を発見しようとするには心の用意が足りなかったのであります。

が、しかしいったん気付いてみますと、たちまち夜が明けたような心持ちで、「そうか俳句というものはこんなものであったのか」と初めて宝庫の鍵を手にしたような快味を感ずるのであります。もっとも俳句の中には例の「釣瓶取られて」のような人情味の勝った句もあります。その他なお種々雑多の種類のものを包含しておりますから、独りこれらの句を解することによってまた直ちに俳句全部を了解したものとは言えません。しかしかの「釣瓶取られて」の句をもって俳句の全貌だとしたのに比べたらばだいぶ広くなっております。そうして前にも申した通り芭蕉はこの道のお祖師様である。そのお祖師様やお祖師様を囲繞している大智識達の作ったこれらの句は、たしかに俳句の大道を指示したものとしてみることができるのであります。そこでこういう結論に到着します。

三 俳句とは主として景色を叙する文学であります

なおまた前に挙げたすべての句には、春夏秋冬四季のうちのどれかが必ず詠みこまれています。「朝顔」は秋、「雪」は冬、「桜」は春、「五月雨」は夏、「天の川」は秋、「時雨」は冬であります。

これら「」内のものをすべて「季のもの」と言います。すなわち俳句はぜひこれらの季のものを詠みこまねばならぬことになっているのであります。そのことは俳句の一大事であってぜひ詳論せねばならぬことですからこれも一項を設けて論ずることとして、ここにはただこういう結論だけを与えておこうと思います。

四 俳句には必ず季のものを詠みこみます

次にまた俳句には切字というものがあります。前に挙げた句についていいますと、

朝顔に釣瓶取られて貰ひ水(切字無し)

我ものと思へば軽し傘の雪

鶏の声も聞こゆる山桜

湖の水まさりけり五月雨

荒海や佐渡に横たう天の川

舟人にぬかれて乗りし時雨かな

右の太字が切字であります。これらの切字は多くの場合俳句になくてはならぬものになっています。これも別に一項をおいて論じますから、ここにはただ結論だけを与えておきます。

五 俳句には多くの場合切字を必要とします

私はこの総論を終るにのぞみまして、前段に申しました一言をぜひとも取り消しておかなければならないと思います。それは和歌と俳句とを比較して、和歌は堂上人のごとく優にやさしきもの、俳句は町人のごとく下卑て賤しきもの、とそういう感じを抱いておったといった言葉であります。初めしばらくの間はその考えを拭い去ることができませんでしたが、やがて芭蕉等の句に親しみがふえてくるに従って私は決して俳句を下卑たものとは考えることができなくなりました。三十一文字に比べて十七字を品格の無い詩形であるように感ずることは伝統的な皮相の見解にすぎません。文学の価値はそんな皮相をもって容易に判断のできるものではありません。

俳句が文学の一種類として立派なものであることは、少し俳句を研究してみれば何人にも判ることであります。(8)

Chapter 2 of 5
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