Chapter 1 of 3

道路のアスファルトがやわらかくなって靴のあとがつくという灼熱の神戸市中から、埠頭に出て、舷梯をよじて、紅丸に乗ると、忽ち風が涼しい。

ここから神戸市中を振り返って見ると、今まで暑さにあえいでおった土地も、涼しげな画中の景となって現れて来る。そうしてその神戸埠頭が今はもう視界から去ってしまう頃になると、左舷には淡路島が近より、右舷には舞子、明石の浜が手に取る如く見えて来る。私は甲板の腰掛に腰を下して海風の衣袂を翻すに任している。

先に帆襖を作って殆ど明石海峡をふさいでいるかと思われた白帆も、近よって見るとかしこに一帆ここに一帆という風に、汪洋たる大海原の中に真帆を風にはらませて浮んでいるに過ぎない。

それに引かえて往きかう蒸汽船の夥しきことよ。鉄甲板の荷物船が思いきり荷物を積んで、深く船体を波に沈めて、黒煙を吐いて重そうに進んでいるのもすでに三、四艘ならず追い越した。軽快な客船も、わが船の十三ノットというにはかなわないで暫く併行して進んでいるうちに遂にあとになる。向うから来る汽船はすれ違ったと思ううちにもう見えなくなる。すべてこれ等の汽船は坦々たる道路の如くこの海原を航行しているのである。

さすがに白熱の太陽が大空に君臨している間は、左右の島も汪洋たる波も、その熱に焼きただらされて、吹き来る風もどことなく生暖かい。その風は裳裾や袂を翻し、甲板の日蔽をあおち、人語を吹き飛ばして少しも暑熱を感じささないのであるが、それでも膚に何となく暖かい。

太陽が小豆島の頂きに沈みかける時が来ると、やがてこの船の極楽境が現出するのである。今まで青黒く見えておった島々が薄紫に変って来る。日に光り輝いておった海原に一抹の墨を加えて来る。日が小豆島の向うに落ちたと思うと、あらぬ方の空の獅子雲が真赤に日にやけているのを見る。天地が何となく沈んで落着いて来る。と、その海の上を吹いて来る風が、底の方から一脈の冷気を誘うて来る。その冷気が膚に快よい。

暮色が殆ど海原を蔽い隠す頃になると、小豆島の灯台が大きくまたたきそめて、左手には屋島の大きな形が見えそめて来る。もう高松に着くのに間がないことを思わしめる。

後甲板に活動写真をしているのを見に行く、写真のうつる布が風に吹かれているので、映写は始終中はためきどおしである。

高松の埠頭に着く頃はもう全く日が暮れている。紅丸がその桟橋に横着けになると、忽ち沢山の物売りが声高くその売る物の名を呼ぶ。

「この桟橋は鉄筋コンクリートで出来たもので、恐らく日本の桟橋のうちで一番立派なものでしょう」と事務長が話した。その桟橋の両側には三艘ばかりの船が着いている。先きに途中で追い抜いた木浦丸も後れてはいって来る。船全体が明るくともって、水晶珠のようなのが一艘おる。これは宇野と高松との鉄道連絡船の玉藻丸である。

船が桟橋にとまっている間は風が死んでむし暑い。やがて桟橋を離れて大海原に浮むと又涼風が膚にしみて寒い位である。私は臥床にはいる。朝七時半起床。もう佐田の岬がそこに見え、九州の佐賀関の久原の製煉所の煙突を見る所まで来ている。

朝影のある甲板は涼しい。

別府はもう眼の前にある。

観海寺は彼処、商船会社の支店は其処、とボーイが指さしているうちに桟橋に着く。

すぐ自動車で亀の井旅館に着。温泉にはいる。

別府は土地の下一面に温泉である。それが第一の天恵である。瀬戸内海という大道路がすぐ玄関に着いている。これも天恵の一つである。

温泉に入るや瀬戸内海の昼寝覚。

この前来たのは大正九年であったから、今から八年前になるが、出迎えてくれた土地の人は、

「別府も八年前とは大変変りました」と誇り顔にいった。紅丸の甲板から別府市外を概観した時は格別変ったようにも思わなかった。桟橋から亀の井旅館に来る途上の光景も格別変ったようにも思わなかった。が、ただ私の通された所は洋館のホールであるだけが変っていた。

「何時建て増しをしたのです」と聞いたら、

「一昨年一月でした」と答えた。

その夕方五時から日名子太郎氏や市の温泉係の中島辰男氏に案内せられて地獄廻りに出掛けた。

先ず海岸通りを北に自動車を駆った。道幅がこの前通った時より広いように覚えた。

「この道は新らしく作ったのですか、大変広いようですが」と聞いて見たら、

「大正十年に作った八間幅の道路です」と答えた。それから又、

「この上の方の鉄輪温泉から鶴見の方へ出る三間幅の道路も新らしく出来ました。各地獄や温泉を連絡する新道路が出来たのであります、皆自動車で通れます」とのことであった。

この前、日名子氏に案内されて地獄廻りをした時は、人力車でなければ通れなかった。所によると徒歩でなければ通れなかった。それも、朝出掛けて遂に鉄輪温泉に一泊して、二日がかりであったことを思うと、夕方の五時頃から涼みがてらに自動車に乗って出掛けるなんか、随分変化したものと思った。

先ず亀川温泉を過ぎて血の池地獄を見た。十年に一度大活動をはじめるそうで、今年が丁度その十年目に当たり、大荒に荒れるそうである。今朝も大活動をやったとのことである。ほとりの樹木など沢山に枯死しているのはその熱泥を吹き上げた処である。赤い泥の沸々と煮え立っている光景は相変らず物すごい。

次ぎに竈地獄を見た。これは地中の鬼がうめくような声を発して、岩窟の中から熱気を吐き出しているのである。その熱気で蒸したアンコのないまんじゅうがおいしかった。

芝石温泉という、湯滝のある、谿谷に臨んだ温泉を過ぎて、紺屋地獄を見た。これは紺色をした泥池の底から、同じく怒るが如くつぶやくが如く熱気を吐いておるのである。驚くべきことには近所の青田の中にも数ヶ所同じような処がある。一歩誤ればその中に落ち込んで命を落さねばならぬのである。現に誤って死んだという人も沢山あるのだそうである。鶏卵をその泥土からわく湯気に置くと二、三分で半熟になり殻が真黒になる。その真黒な鶏卵を一つ食べて見た。

次に坊主地獄を見た。これもやや大きなにごった熱湯が沸々とわき上っているのである。その有様が沢山の坊主頭を並べているようだからその名があるのだともいうし、又昔円内坊とかいう坊さんが二重桝をつかって百姓から米穀をむさぼり取ったがために、一夜の中にその邸宅が陥没して、この坊主地獄が現出したとの伝説もあるそうである。後ろの山に円内坊十五尊像という半ば壊れた十五の石像がある。ここは豊後湾を見晴らして景色がいい。かつて遊んだ日出の人家も一眼に見える。アンコのあるまんじゅうがまたうまい。

次ぎに地獄中の女王、海地獄を見た。この地獄については別に記述するところがあろう。地獄中の最も大きなもの、又最も美しいものである。もうこの海地獄にある間に七時を過ぎた。

それから鉄輪温泉に行った頃は店頭の電灯がともっていた。そこで鉄輪地獄というのを見た。この鉄輪地獄というのは以前来たときはなかったので、その後地下を掘っていると俄然として爆発したので新らしく地獄が現出したのだそうである。

この地獄には吸入室とか罨法室とかの設けもある。

そこでちょっと以前泊ったことのある富士屋の主婦さんを訪ねた。もとの通り太っていることは明かだったが、顔かたちを十分に識別することは出来ないほどに薄暗くなっていた。

夜路をひた走りに走って鶴見地獄に出た。この鶴見地獄というのも昨年の春から爆発したものだそうである。泥土を交えない清透な熱湯を噴出している。

別府はこの前来たときよりも変っていることは明かになって来た。二大地獄の新たに増したことだけでも争うことの出来ぬ著名な変化である。

土地を掘って温泉を出すということは、別府では随所に行われておる。別荘地などは一軒の小さい建物にも必ず温泉がついている。

別府の停車場には温泉の洗面所がある。小学校にも温泉の浴槽がある。警察にも同じく温泉の浴槽がある。温泉が空しく噴き出して夏草の上に流れているところは各所にある。

田の中に小さい小屋がけがしてあるのは何のためかと思うと、皆そこには温泉が出ているのである。温泉の出ているということを標榜して、そこを別荘地に選む顧客を待っているのである。そうして堀ぬき井戸を掘るような装置が至るところにしてあるのは、皆新らしく温泉を掘っているのである。

その掘ったところが俄然爆発して大量の熱気を地上に噴出するようになったところが、新らしく出来た鶴見地獄や鉄輪地獄である。

温泉の数はかず限りもない。温泉場と名のついた別府、浜脇、観海寺、亀川、鉄輪、芝石、堀田、明礬、新別府などがある。別府市内だけでも浴場が十あまりある。その他旅宿や個人の家には数限りなく温泉が湧出しているのである。

或人は今の別府は南の方に僻在している、亀川の東にある実相寺山を中心として、大きな泉都を建設せなければならぬといっている。或人は別府のうしろにそびゆる四千五百尺の高峰鶴見岳を中心にして、各所に点在する温泉郷を連結せなければならぬと説くものもある。

地熱を応用してすべての動力の基本としようとする地熱研究所というのがある。これは高橋廉一氏の監するところである。その結果がよいところから、東京電灯が玖珠郡飯田村湯坪に又地熱研究所を設置している。

温泉栽培株式会社というものがある。これは温泉の熱を利用して果物を栽培しようというのである。

又地球物理学研究所というのがある。これは京都大学がこの研究所を設けて温泉に関する基本的調査を開始しておる。

外に温泉療養研究所というものが、九州大学により新たに開始されんとしている。これは医学の方面から温泉を研究しようとするのである。

海軍療養所もあり、鉄道療養所もあり、満鉄療養所もあり、台湾婦人療養所もある。

海岸には砂湯というものがある。これは潮の引いた時分に、その砂浜に五体を埋め、下から湧出する温泉に浴するのである。日本人はもとより西洋人、支那人なども同じように砂に埋まっている。妙齢の婦人もある。手足の萎えた老人もある。

それのみならず、この別府の海には底にかず限りもなく温泉が湧出しておるらしい。その証拠は海底の水が暖かくて、熱帯地帯の海にいる美麗なる魚介の類が棲息している、それらが採取されてここの魚市場に出るとのことである。陸地至るところに温泉の湧くことを思えば、それも無稽の説ということは出来まい。

のみならず、海水浴をするのにも、潮はあまり冷めたからず、快適の温度であるとのことである。

豊後湾の風光は美しい。ここから日出を眺めた趣などはナポリに似ているとの評判がある。

何にせよ別府の大いなる強味は地下尽く温泉であるということである。土地の人は泉都と唱えて、日本の別府でない、天下の別府であると誇っている。泉都という言葉は面白くないが、湯の都たることは首肯される。

然しながら、観海寺は観海寺土地株式会社というものの経営に移って、同じくその経営になる住宅地が、夏草を生やしつつ沢山に客を待っている。文化村という新住宅地も五、六軒新しく建ったままで人の住むのを見受けない。海岸の風光を台なしにした埋立地にも別荘が建ったままで未だ買手のないものが多い。海地獄の熱湯を引いた新別府の土地株式会社というものも出来ておる。これもあまりはかばかしくないようだ。不景気風に吹きまくられて湯の都の発達もちょっと小頓挫の形にある。

別府市と温泉、地獄の散在しておる附近の村との連絡が思わしくないようである。これは温泉地一帯を別府市に編入して一つの行政区域にしたいものである。各地獄の遊覧に一々料金を取るが如きも廃止したいものである。これも個人の有になっておるために不便である。大別府を建設するためには第一着手としてこれ等は市有とすべきであろう。

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