Chapter 1 of 1

Chapter 1

街の子

竹久夢二

それは、土曜日の晩でした。

春太郎は風呂屋から飛んで帰りました。春太郎が、湯から上って着物をきていると、そこの壁の上にジャッキイ・クウガンが、ヴァイオリンを持って、街を歩いている絵をかいた、大きなポスターが、そこにかかっているのです。

十二月一日より

ジャッキイ・クウガン 街の子

キネマ館にて

と書いてあるのです。それを見た春太郎は、大急ぎで帯をぐるぐる巻きにして、家へ飛んでかえりました。

春太郎は、ジャッキイ・クウガンが大好きで、ジャッキイの写真はたいてい見ていました。だからもう今では、ジャッキイの顔を見ると、長い間のお友達のような気がするのでした。

「お母様、いってもいいでしょうねえ」

春太郎はそう言って、お母様にせがみました。

「でも一人ではいけませんよ。お姉様とならいいけど」

「うん、じゃあお姉様と、ね、そんならいいでしょう」

春太郎はお姉様のとこへ飛んでいって、たのみました。

「お母様は、行ってもいいっておっしゃったの?」

「ええ、お姉様とならいいって」

「じゃ、行ってあげるわ」

「うれしいな、これからすぐですよ」

春太郎は、お姉様につれられて、キネマ館へゆきました。二階の正面に坐って、ベルの鳴るのを待っていました。

しばらくすると、ベルが鳴って、ちかちかちかちかと、フィルムの廻る音がしだしたかとおもうと、ぱっと、ジャッキイの姿が、眼のまえにあらわれました。ぱちぱちぱちと、春太郎も思わず手をたたきました。

「ここに、カリフォルニアの片田舎に、ひとりの少年がありました。その名を……」

と弁士がへんな声を出して、説明をはじめました。春太郎は、弁士の説明なんかどうでもいいのでした。ただ、ジャッキイが出てきて、笑ったり、泣いたり、歩いたり、坐ったりすれば、それだけで十分いいのでした。ジャッキイが泣くときには、春太郎も悲しくなるし、笑うときには、やはりうれしくなって笑いだすのでした。

ジャッキイのお母様が死んでから、ジャッキイは、育てられたお祖父さんお祖母さんに別れて、お母様の形見のヴァイオリンを、たった一つ持ったままで、街へ出てゆきました。

ちょうど、これはクリスマスの晩のことで、立派な家の窓から暖かそうな明りがさして、部屋のまん中には、大きなクリスマス・ツリーが立っていていい着物をきた子供たちは、部屋の中を飛廻っていました。ある家の食堂の方からは、おいしそうな御馳走の匂がしているのでした。

「ぼくには、何にもないや。お家も、クリスマス・ツリーも、御馳走も。お父様も、お母様もないや、なんにも、ないや」

ジャッキイはとぼとぼと歩きました。そのうちお腹はへってくるし、寒さはさむし、そのうえ雪がだんだん降りつもって、道もわからず、それに一番わるいことは、どこへいったらいいか、ジャッキイにはあてがないことでした。

玩具屋の飾窓には大きなテッディ熊が飾ってあります。玩具屋の中から、大きな包をもった紳士が子供の手を引いて出てきました。

「あの大きな包の中にはきっとたくさん玩具があるんだよ」

ジャッキイは、ぼんやりそれを見ていますと、

「おいおい危いよ」

そう言って、馬車の別当が、ジャッキイをつき飛ばしました。

どこか遠くの方で、オルガンの音がする。オルガンに足拍子をとりながら、沢山の天使がダンスをやっている。そこは、高い青い空で、空には数えきれないほどたくさんの星が、ぴかぴか光っています。

「きれいだなあ」

ジャッキイは、夢を見ているような心持で、高い空を見ていました。すると、白い髯をはやした一人の老人が、とぼとぼと歩いてきました。

「ああ、サンタクロスのお爺さんだ。きっとそうだよ。ぼくんとこへ、クリスマスの贈物を持ってくるんだよ。だけどおかしいなあ。袋を持っていないや。」

老人は、だんだんジャッキイの方へ近づいてきました。そしてジャッキイをだきあげて、自分のうちへつれて帰りました。家といっても貧しい屋根裏で、あくる日からジャッキイは、このお爺さんと二人で、ヴァイオリンをひいて、街を、はずれからはずれまで歩かねばなりませんでした。

お爺さんは、親切ないい人でしたが、ある日ジャッキイの子守唄をききながら、死んでしまいました。ジャッキイは、またある有名な音楽家に救われて、そこの家へ引取られてゆきました。食堂へはいると、そこに写真がかかっていました。それは一人の女の肖像でありました。ジャッキイはそれを見て

「ああ、お母様だ!」

その音楽家もびっくりしてしまいました。ジャッキイは、ポケットから、一枚の写真を出して、その音楽家に見せました。写真のうらには

ジャッキイへ、お前の母より と書いてあるのでした。その写真と、この額の写真とは、おなじ人でありました。

「お前はわたしの子だったのか」

音楽家は、ジャッキイをしっかり抱きしめて、ジャッキイの眼からながれる嬉し涙を、ふいてやりました。

お父さんの音楽家の眼からも、玉のような涙がぽろぽろと流れました。春太郎の眼からも、ぽろぽろと大きなのがころげました。春太郎のお姉様も眼にハンケチをあてていました。

春太郎は、学校へゆく道で考えました。早く雪が降ってくれるといいな。そしてクリスマスの晩になるといいな。だけど、ジャッキイはどうしたろう。あれからすっかり幸福になったかしら。まだあの大きなズボンをはいて、ロンドンの街を歩いているのじゃないかしら。ぼくもロンドンへゆきたいな。お姉さんが死んでしまったら、ぼくお姉様のヴァイオリンを貰おうや。そして、クリスマスの晩、ロンドンの街を歩くんだ。そうすると大きな、玩具屋があって、そこの飾窓に、テッディ熊がいるだろう。「おい危い」で、空には星が、きらきら光っていて、袋を持たないサンタクロスのお爺さんがやってくる。ジャッキイがヴァイオリンをひいているのを、お爺さんがききながら、「うまい、うまい。ジャッキイは、今に大音楽家になるぞ」そう言ってほめました。

きっと、ぼくは大音楽家になるだろう。そして、ぼくのお父様も大音楽家なんだ。おや、おや。ぼくのお父様は、会社へ出ているんだっけ、

「カン、カン、カン」

「カン、カン、カン」

その時、春太郎は、いつの間にか、学校の前へ来ていました。

いま恰度、授業のはじまるベルが鳴っていました。

春太郎は、ジャッキイになることを急に思いとまって、おおいそぎで教室の方へ走ってゆきました。

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