一
西鶴は大阪人ではあるけれども、それ以上に深い処を持つてゐると私は思ふ。西鶴が利己、打算、軽い遊び、さういふものゝ空気の中に一度は浸つた人であることは首肯かれる。又一方幇間らしい軽佻な気分の中にはしやぎ切つた人だとも思はれる。しかしそこに満足してゐることの出来る人ではなかつたことだけは確かである。渠は世間一般の混雑した事実の上に一歩高く身を置いて、或は嗟き、或は悲しみ、或は笑つた。
この地歩は渠は何処から得たであらうか、談林の俳句の洒脱豪放なところから得たであらうか。又は当時の元禄の時様に対してのかれの心の動揺から来たのであらうか。又はかれ自身が体感し経験したさまざまの悲喜劇から来たであらうか。すべてさういふ処から養はれたとは言ひ得るが、それ以上に渠の聡明が、渠の利害に浸りながらそれに捉はれない性情が、生の中に滅を有し、滅の中に生を有し、捨の中に有を存し、有の中に捨をした心境が、渠をして長い日本文学の中に、かれ独特の創造と姿と心とを刻むことが出来た。
かれは大阪人らしい態度を持つて、深く生活に浸つてゐる。その態度は一面賢い商人の態度であつて、そしてまた所謂通人の態度である。しかし渠は決して商人の利己に捉えられてはゐない。通人の小さな円融観にも捉えられてゐない。かれは近松に比すれば非常に野暮である。非常に狭量である。大阪人であるから、賢くもあり、又利害の念に明るいけれども、又一面大阪人の持つた暗い城郭的の狭い自己を持つてゐて、ぱつと花の開いたやうな処がなかつた。
かれの伝記は湮滅して多く伝はらない。ある人の研究に由ると、西鶴は理想も何もない唯俳諧の出来る町人である。又その時分その俳諧といふものは、おもに慰みこととして流行つたために、何処か幇間に近い処があつて、思ふに、酔生夢死、酒に浸り女に戯れて一生を終つた人であらう。かう言ふ風に言つてゐる。辞世『浮世の月見過しにけり末二年』あの俳句すら、のんきな一俳人者としての好い証拠として言はれてゐる。成ほどさういふ見方も一面の真理であるかも知れない。もし、完全な伝記が残つてゐたら、益々さうした批評を裏書するやうな事実が沢山にあつたかも知れない。それはかれの作物から発散するがそれを証拠立ててゐる。かれの作物の持つた臭気は、決して好い臭気ではない。時にはその余りに甚しいのに、鼻を蔽つて遁れ去りたいやうな気がする。然しそれだけ彼が面白おかしく浮世を遊び廻つた単なる幇間、又は単なる通人でなかつたことを立派に証拠立てゝゐるから面白いではないか。