Chapter 1 of 10

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手紙

知里幸恵

知里高吉・浪子宛(幌別郡登別村)

大正五年十月頃(旭川区五線南二号発信)

拝啓 しばらく御無沙汰いたしました。お父上の御病気は大分よくなったときいて私等ははじめて安心いたしました。秋も早やたけなはとなりまして四方の山は錦を着飾ってだん/″\涼しうなりましたから、きっと病気もよくなるでせうと私も昼夜祈って居ります。母上様も今年は御健康の由、いかもいゝあんばいに沢山とれておあしもたくさんとれゝばいゝと願って居ります。私も無事にて勉学をして居りますから御安心下さいませ。

新聞でも御存じの聯合共進会は八日から開かれました。教育展覧会も開かれました。区内各学校、上川支庁管内の学芸品が並べてありますからまことにりっぱださうです。私も二三日のうちに行って見ます。私の綴方も出て居ます。

昨日は区内小学校聯合音楽会がひらかれました。私は第五アイヌ学校の卒業生となってオルガン独奏をやりましたが意外 うまく出来ました。他の学校から出た生徒達は上手に唱歌をうたひましたが私等のアイヌ生徒も余程上手でした。幾万の見物人の前でするのでずいぶんほねおれたでせう。私なんか間違はないで弾いてしまってみんなに手をはたいてほめられて、ほっとしましたわ。かういへば、いかにもうまさうにきこへませうが実はハボから見たらほんとに下手なんで御座いませう。いつかお話した東京庁立体操音楽女学校を卒業して旭川高等女校の唱歌教師をしている鈴木先生の独唱もきゝました。旭川に一人の先生の声をきいたのですから余程光栄だといはなければならないのださうです。それで閉会でした。でも面白うございましたよ。

男先生の尺八だの聞いてゐたら、もうはらわたにしみこむやうな気がしますの。イスレキをぢさんのふゑより少しよかったやうでした。

これで音楽会のはなしはよしませう。

此の間から集めた砂糖一樽、お父上に差上やうと思ってゐましたところ父上様には悪いと聞いて仕方がありませんから、残念ながら高央と真志保におくりますから父様のかはりとなって食べて下さい。キリブもらったからハボにあげやうと思って砂糖と一しょにしまっておいたら、ふち知らずに戸棚をあけておいたので猫がたべかけました。それをまたふちが見つけてキリブをもって来てまた、アクの中へまちがって、おとしてしまったの。それでとう/\だめになってしまったのですもの。また見つけてあげませう。

さらばさらば。父上様お身をお大切に早くなほって下さい。ハボも大事にいかさきして下さい。

さよなら暮れゆくまどにて幸恵  母上さま

知里高吉宛

大正六年四月一日付(旭川発信)

拝啓

まへからしばらく御心配下さいました旭川区立職業学校受験の結果は、幸に四等にて合格いたしましたから何卒御安心下さいませ。タイムスで御覧になることでせう。

さよなら

知里高吉・浪子宛

大正六年四月一日付(旭川発信)

拝啓 この度区立女職校に入学いたします。(タクサンオイワイシテチョウダイナ)戸籍抄本が是非要るのですから、お手数ながら何卒四月の九日までにお送り下さるやうに願上ます。もし抄本がなければ折角四等で合格しても何にもなりません。入学も何も駄目になりますから何卒くれ/″\お願ひ申上げます。三日か四日か二日にはきっとタイムスにも出るでせうから大きい目をうんと開けて御覧下さい。先づ先に『此の中に第四位にて入学せる知里幸恵は旧土人なり』って書てありますからハボなんか目ひっくりかへして腰ぬかすかもしれませんからお気をつけなすって。ふち早く来ればいいな……。

九日に戸籍抄本をもって行くのですからそれにおくれゝば困りますから、どうかかはいさうに思って早く送って下さい。高央、真志保、御べんきょうなさい。お願い申しあげます。

(百十名の中で四番ですからえらいでせう)

知里高吉・浪子宛

大正七年五月頃(旭川発信)

ひさしぶりでまた長いながい手紙を書きませう。明日は荷物を送るといふのでふちも母様もお土産をたくさん出していそがしさうで御座いますけれども、私には何も土産がありませんので相変らず長い手紙を贈り物にいたします。それは、父上様や母上様が何よりもおよろこびなさると私は信じますから。……

只今学校から帰りますとお端書を拝見いたしました。さうして涙の出るほど嬉しう存じました。何卒早く夏休みが来ますやうにひたすら祈ってゐます。

高央と真志保と一しょに行かれたら……私はこよなき幸福ですもの。

今日はお土産はありませんけれども、今度夏休みに参ります時はどっさりいろ/\なおみやげをもってゆきます……今から暇々に仕度をして居ます。

母上様の御注文の銀貨入は暇々に編んで居ますがまだ/\出来さうもありません。それも夏休まで待って下さいませ。父上様のおみやげは大体そろひました。みさほちゃんのお土産もたくさんもって行きますよ。

みな様はきっと私の日常のようすをきゝたいで御座いませうからこれからおはなしいたしませう。これから八月におあひするまでは手紙を書く機はないでせうから…‥。

朝は四時前後におきて夜は日が暮れたかくれない中にやすみますし。朝おきて窓をあけますとあたりは朝の新鮮な空気が一ぱいに流れて、をちこちの人家からはうすい煙もなく石狩川の流れの音が気持よくそよ風におくられて微かに耳に入って参ります。白い頭巾を被った旭ヶ嶽が春霞を漏れて気高く立ってゐます。青みかけた旭公園の園内につゝじのまあかなのと桜のましろいのとがいろどり美しく咲き揃ったのを後にして、朝の心地よい春風に吹かれながら学校さして私はてっくら/\と急ぐので御座います。

学校では生徒が三百八十人、先生が十四人で何不足なく勉強が出きます。けれどもこの頃非常に悲しいことが出きました。

それは、私等二年甲組の学級(裁縫)主任の玉橋先生と申上げる先生は此の度お生れ故郷の新潟の父上様がおなくなりになったのです。そしてすぐに先生は新潟へおたちになりました。その日は今週の月曜で然も私等がお割烹の時間で御ざいました。

玉橋先生が見えられて『私の父がなくなりまして急にくにへかへることになりました。みなさんのそばをはなれてゆくのは心許ないけれどもやむを得ませんのですから、おとなしく外の先生にめいわくかけないやうにべんきやうをして下さい』とおっしゃってみんなに別れを告げられた時、私共はわーっと声を上げてなきました。玉橋先生も割烹の先生も……。

そして居る中に大事なふきの煮つけがこげついて大騒動をいたしました。これから三週かんばかりはお母様のおるすの子供等のやうに、私共はたのみない悲しい思をして先生をお待ちしなければならないのです。けれども諸先生は非常に御同情下さいまして、万事の世話をして下さいますので何不自由なく学問を修めて居ります。

校長先生は相変らずおやさしく私共を可愛がって下さいます。毎週一回修身を教へて下さいます。

教頭の松丸先生も亦相変らずいゝ先生で、毎週二回の体操を赤いおひげを撫でながら教へて下さいます。それであざなを赤ひげ先生と申上げます。次の石田先生は今学期の始にお出になった先生で理科と数学を教へて下さいます。非常にきびしい先生で、怒るときは教室もつぶれるかと思はれますほどおそろしいけれども、みんながおとなしくべんきやうするときはおやさしくておやさしくて、それは/\慈愛のふかいお父様のやうな気がいたします。きびしいから生徒はみんな石田先生を嫌がりますけれども……私はかへって石田先生が一番好きだと思ひます。今日は数学の試験があって私は満点でありました。

それから原田先生であります。この先生はつい先程お出でになった先生で国語の受持ちであります。滑稽でこっけいでほんとうに面白い先生で御座います。国語の時間に唱歌を聞かせて下すったり、詩を唄ったりお経を読んだり踊ったりしてみんなを笑はせなさいます。そして国語を面白くいたしますので、決してあきることがなくてよくわかるので国語の成績はみんながいゝのだといふことです。丈のひくい肥った先生。

次は平岩先生、女の先生。もう五十をすぎたおばあさまで大変にいゝ先生です。袋物を教へて下さいます。

それから本間先生は図画、割烹、作法の先生です。中にも図画はお得意でいらっしゃいます。小さくて可愛らしい先生です。

此の間、私の図画は『甲よろし』でありました。級中で一ばんでありましたからおよろこび下さいまし。高等師範優等出身ですって。

次が前にお話しした玉橋先生です。

それから古宇多先生、二部専習科の主任です。

それから次が岡本先生、一年甲組の主任で私等は編物を教へていたゞいて居ります。顔形は悪いけれど大変にいゝ先生で御座います。

次は小泉先生、造花の先生で補習科の主任でいらっしゃるけれども、只今御病気で二三日休んで居らっしゃいます。東京の神田女子職業学校出身ですって。美人でおやさしい先生で御座います。

次が別諸先生、二年乙組の主任です。今学期の始めにお出でになった先生です。この先生はよく知りません。が、いゝ先生らしいです。

次が小橋先生、それこそきれいな先生で一年乙組の主任です。きびしくてやさしい先生ださうです。私等はこれから家事を此の先生におならひすることになりました。

次は島崎先生、一年の時の主任の先生でした。今は学校全体の刺繍の先生です。

次が米子先生、こゑの可愛いゝ先生でお年は四十五六と思はれます。

このやうに先生方はいゝ先生ばかりで御座います。宮本永二先生は三月まで国語、音楽の先生をしていらしたのに、三月の末に退職をなさいました。色の黒い先生で、精神家でそれは/\やさしい、いゝ先生でありました。そして熱心な基督教信者でいらっしゃいました。ですから私は一番すきでしたが、おやめになって此の間東京へお上りになりました。八月頃まで東京にいらしてそれから亜米利加へおわたりになるさうです。

さうして音楽を研究なさるのださうです。

それから小使さんは二人、給仕が小娘一人、で私の学校はます/\さかえて参ります。

去る十五日は三周年紀念式があげられました。その日の祝賀会には私は対話に出ました。

もう夕御飯を食べますから、明日の学校帰りましてから書く事にいたします。

御やすみなさいませ

今日は四時半に帰りました。

日本晴の好天気で、涼しい春風がサッサッと袂を払ふ心地よさは何ともいへないほどです。朝晩一里半近くずつあるいて居ますので身体が至極達者であります。

今日は授業が五時間しかないのですけれども副級長の当番で御座いますので、お掃除の監督をしたり先生の御用をたしたりいたしまして帰りがおそくなりました。四月十八日付で今学期間の副級長の辞令をいたゞきましてから随分いそがしくなりました。金曜と土曜がお当番です。仕事は朝学校へ参りまして今日の時間当番、掃除当番を決めて黒板にかいて掃除のあとをしらべます。昼休、放課後には生徒が先生に製作物を出すものや、その他生徒が先生に言ひたいことなどを職員室へ行って出したり言ったりします。

級長様は伊達といふ方でほんとうにやさしいいゝ人です。此の人は此の度二年になる時に特待生になった方です。大へんに私を可愛がって下さいます。副級長は国本と云ふ方と私と二人で勤めて居るので御座います。私共三人の責任は頗る重大なのですから、よくその責任を自覚して一生懸命働かうと相談しまして、常にその覚悟でつとめてゐます。

生徒は、補習科は本科三年を卒業した人が入るのです。本科は学科も技芸も等分にあります。只今は本科一年甲乙二組、二年も甲乙、三年は一組になってゐます。外に一部専修科二部専修科があります。二部専修科は一部を卒業した人が入るのです。二部を出ると補習科へ入られます。かういふやうに全体で八級あります。

この生徒たちは雨ふりの時は室内運動場で遊んで居ますが、晴天の時は戸外に出で遊びます。戸外運動場には桜が沢山植えられてあります。学校のまわりには落葉松が若葉に包まれて青々として、それに色白い桜がいろどり添へて立派な校舎にふさはしく見えるので御座います。かういふ学校に学ぶ私はまことに幸福で御座います。これも神様の御恵と感謝してゐます。

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