戻る
暦
Table of Contents
暦
壺井栄
Reading Settings
文字サイズ
18px
テーマ
ライト
ダーク
セピア
ナイトアイ
行間
読書モード
翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 5 of 12

五

重吉の案外に平穏無事な海の上の年月に比べて家の中には人生の波が暴れ騒いだ。陸の船頭役であるいねは、実枝がまだ二た誕生も来ぬ時にきゅうに倒れて、からだ半分が利かなくなった。半身不随という病気が、まだ年からいえば若いいねの上にのしかかってきたことは、何といっても永年の過労の上に、晩年実枝を生んだことなどが病気の時期を早めたものにちがいない。あの時に残りの力をしぼりきったのだろうと、皆そういいあって、そんなからだになっても乳呑児が、すきを見ては胸にすがりつこうとするのをいとしがった。顔面神経まで左半分利かなくなった歪んだ顔になり、鶏のように五本の指が内側へ萎えこんで、ばかになってしまった左手を片方の手で抱きかかえて、いねは我身の不仕合せを嘆いた。そして、病気以来きゅうに短気になった神経をいらだたせて、その利かぬ左手をぱんぱん打ちなぐったりした。不随の片手は不貞腐ったように動かなかった。

「そう気を立てなっちゃ、もちっとのんきになれや」

重吉にそういわれるとなおのこと疳をたてて声をあげて泣いた。涙は片方の目からだけ流れた。

「よう働いた手じゃかいや、何人前働らきゃ、一生の働き分を働いてしもうたんじゃろ」

時には重吉にそう慰められていねの胸は和ぎ、不可抗な力に押されて坂を走る石ころのように、ただまっしぐらに走っていたのがふいに回転が止ったと思ったら河の中へ落ちこんでいたようなものだと、自分の不運を笑ったりもした。

そんな中で育った実枝ではあったが、肉親の思いやりを母親と二人で受けて、年寄り子とも思えないみずみずしさで人並に育っていった。くりくりした目、固く結んだ口元は負けぬ気を現しているようであり、きついほどのその目と口を補うかのように仰向いている短い、小さい鼻が顔全体を人なつっこい愛嬌あるものに見せていた。ゆるやかな丸い顔は何となく安心と信頼のこころを抱かせるように思え、祖母のかやはこの最後の孫に特別の愛情と希望をよせて、八十をすぎ、海老のように曲った腰の上になお実枝をのせた。片手で南天の杖をつき、片手で馬乗りの実枝を支え、ひょこひょこ歩きながら歌う。「ほんそよ、宝よ、俵ぶるいよ、こんなかしこい児がめったとあろうか、やれ、めったとあろうか」

そして飯時がくればいねに代って釜の下を炊きつけた。

「おばあ、ぼた餅しておくれ」

「おばあ、やき芋しておくれ」

「おばあ、豆煎っといておくれ」

母親には叱られていたそんな要求も、祖母はよく聞き届けてくれた。その代りに夜になると一ときずつこのおばあの肩を叩かねばならない。八重が先立になって偉いもんは寄ってこい、と拍子をとってとんとん叩きはじめると、アグリもクニ子も小さい実枝も我がちにかやの背や肩を後から横からとんとんたたくのである。かやは喜びの悲鳴をあげ、一日の労苦を忘れた。

ある日、かやは旗日でもないのに何を思いついたのか、赤飯を炊くことを孫たちと約束した。朝から小豆を洗ったり、米をといだりしてようやく昼前に釜の下を引いたかやは、やれやれといいながら茶の間へ上った。それきり静かになったのをいねは、いつものように窓にもたれて小学生のアグリやクニ子や、醤油試験場の事務所に勤めている八重たちがお昼に戻るのを待っているのだと思っていたが、何かいつもとは異った、虫の知らせとでもいうような気配を感じて、不自由な足を引きずって納戸から出てきた。かやは背中を窓の敷居にもたれたままがくんと首を垂れて何かぶつぶつわけの分らないことを呟いている。呼んでみたが返事をしない。ちょうどそこへ八重たちが戻ってきてかわるがわる呼びかけたが、かやはやはりただ訳の分らぬことをいいつづけている。よく聞くと、高子に赤ままいうてこい、といっているのであった。村の郵便局へ住込みで勤めているために、このごろではめったに家で食事をすることのない高子に、かやは赤飯を食べさせたいらしい。その高子がかやの急変に飛んで帰ってきて、「おばあ、赤まま食べたぞお」と声をはり上げて呼びかけてもかやはただぐうぐう鼾をかいて眠り、時々「高子にあかまま」といいながらふたたび目を開けなかった。一里ばかり離れた埋立地で荷役をしていた重吉も、電話を聞いて駆けるようにして戻ってきた。かやの好きな甘酒饅頭を買ってきたが、そしてそれをちぎって口の中へ入れてやったが、かやはもう食べる意志を失っていた。一日眠りつづけて息を引きとった。病みづかれのない丸い顔は八十五歳とは見えぬ若さでてらてらしていた。

「あんまり本意ないじゃないかいの、せめてお前の生きとる間に小んまい家でも建てて安心さすつもりじゃったのに」

重吉は大きな目からぽたぽたと涙をこぼした。

かやの死をきっかけのように子供たちの上にも異変がつづいた。長男の隼太は長男であることの重石を重石以上に考え、世の中のすべては金で解決できると思いつめ、先生ではうだつが上らぬと、三年間待ってくださいといって東京の法律学校へ入った。夜間は相変らず小学校へ勤め昼間は学生である。昼夜の心身の酷使はてきめんで、三年待たぬ間に隼太は骨になって若い嫁に抱かれて戻ってきた。四つになる男の子をつれた嫁はやがて生家へ帰っていった。縁の薄かった子だと重吉もいねも淋しがった。

三女のフサエは魚問屋の息子に望まれて半ばさらわれるような形で、姉のカヤノよりも先に嫁入ったのであったが、一年もたたぬ間に呆気なく死んでしまった。

カヤノの婚家は村の網元をしている家であった。いねの兄がむりにまとめた縁であった。徳市というその婿にはちょっと頭をひねりたい気持が重吉にもいねにもあり、カヤノは初めからてんで受けつけようとしないのを、家もない日向の娘ではよい嫁入口はあるまいといわれればそれもそうかと親たちがまずその気になり、遠い親戚という義理もあってむりに説き伏せてゆかせたのであったが、カヤノは三日にあげず泣いて帰った。そのたびにいねは愚痴のありったけをいわせておいて慰めてもみたり、叱りつけたりもしたが、これといってたいした理由にもならないことに神経を立てているカヤノの心理を扱いかねた。間違ったことをしたのだろうかと自分の心をふり返ってもみたが、その時はいねにしろ重吉にしろ、ただ世間並みのようなことを慣ってしただけのように思われた。ただカヤノが世間並みに納まらず、それが誰のせいだといわれれば親としての自分たちの取った方法はよいことではなかったかと思い、それほどまでに深く考えなかった結果の味の悪さを深く心に植えつけられた。

ある日カヤノはよそゆきの着物のままでその歩き方にまで心の中の激しい憤りを現しているかのように、風を切って入ってきた。毎年の網上げのしきたりで、昨年夫の徳市もいっしょに金比羅参りをしての帰りを、その足で来たらしく、小さい籐の手提を持っていた。カヤノは茶の間の火鉢のそばに坐りこんだままぷすっとして、いつものように姑が何とかいったとか、躯の具合が悪いだとか、そんな口実を洩さず黙って頬をふくらしていた。飯時になって食べろといわれても返事をしない。ちょうど家にいた重吉が、

「いつもかつもどう気儘いいくさって!」

不思議なほどの大声で呶鳴りつけると、カヤノはきゅうに泣きだし、そこにクニ子や実枝がいることもかまわずに、ただでは聞くに堪えない言葉で訴えた。徳市が金比羅の帰りの汽車の中で酔い痴れて、一糸まとわずに演じた醜態を叩きつけるような早口でいって、畳に顔を伏せ、子供のように号泣した。

「みんなの前でで、気色の悪い、みんなの前でで」

それには重吉もいねも二の句が継げず、黙ってカヤノの泣きじゃくる背中を見ていた。大勢の連中といっしょに汽車をまた船に乗りかえ、村へ帰りつくまでのカヤノの身の置きどころのなかったであろう辛さがよく分り、いねは固い決意を胸の中へ据えた。二三日すると表面の仲人である村長の夫人が来た。元木に勝るうら木なしという諺を話して聞かせ、誰も何もいわんことにしてしばらく休んだら戻ってきてくれとやさしい声を出して帰っていったが、カヤノは二年間のその家の生活にいささかの未練もなげに広島のミチを頼って船に乗った。やがて荷物が戻ってきたので、着のみ着のままのカヤノに着類を送ろうかと手紙を出すと、皆売払ってくれという返事が来た。さっぱりと、久しぶりにのびのびしているのが読みとられた。よくよくの思いであったのだろうと、いねはあやまりたい気持で胸がふくれ上るように辛かった。八重と高子は月給を貰うとそれを出し合って新しい銘仙を一反買い、八重は自分のじみな着物を一枚添えて小包にした。その後ミチの夫の世話で、会社の得意先である神戸の松江作太郎に再縁したのであったが、作太郎はカヤノより十五も年上であった。

どちらかといえば子供たちは皆てきぱきと明るい気性であったが、その中でアグリ一人はどことなく他人行儀なようなところがあった。それをいねは、自分の乳を呑ませなかったせいだろうかとよく考えたりした。二十二と二十の未婚の姉をおいて、おとなしいというのを見こまれて、東京で肥料問屋をしている村出身の家から貰われ、おとなしく高島田に結って、つれに来たその夫についていったアグリであったが、次の年に長女を生み、一週間目にはもう死んでしまった。お産が近づくと、母親代りの世話をするつもりで上京した八重からの手紙で、アグリがけっして仕合せではなかったことをいねは初めて知った。熱に浮かされて、「おどれくそっ、人を欺しくさって!」と、田舎言葉まるだしの、日ごろのアグリとも思えぬ荒々しい言葉で、自分のそばに欺した対手が坐ってでもいるかのように着ている布団を叩き続けて、自分の生んだ子の顔も知らずに死んでいったというアグリを、いねは十人の中で一番可哀そうに思えた。八重にしろ高子にしろ、いやなことをいやといい通す強さがあったが、アグリはそれを手紙でいってさえ来なかった。子供の時よく里親が訪ねてきて、もう大きくなったアグリを抱いたりさすったりして話しかけても、アグリはただ困ったような、恥かしいような顔つきをするだけで一言も答えなかった。そして貰った菓子袋をやはり恥かしげな顔つきでひろげ、大勢の姉妹たちに一人一人分けてやり、結局自分の当り分が一つもなくなってしくしく泣いていたりしていた。いねはそんなことまで思いだし、あの気の弱さで夫にも仕えていたのだろうと思い至ると、臨終の床で打った対手はその極道の夫や、アグリの嫁ぐ前からあったらしいというその陰の女ではなく、うっとうしい胸の中を開いてやらなかった自分であるような気がして悔まれるのであった。もうもう後の八重や高子は好きにささにゃいかんと重吉と二人でいい合った。やがて八重はアグリの生んだ子をつれて帰ってきた。月足らずで生れた赤ん坊は額に皺をよせ、泣声も大きくは出ないほどひ弱な女の子であった。花子と形式的につけたような名前も小さくしぼんだ赤ん坊にはふさわしくなく、顔色も蒼くしずんでいた。いねはひよこを育てるように大事に扱って、まだ何も分らぬ花子に、

「やれ、おばあさんはな、なかなか子育てと縁が切れんげないがや」

と、辛さと可愛さをいっしょにしていった。

いねは病体をむちうって、花子や実枝のためにも母としての座にどっかりと坐らねばならなかった。

Chapter 5 of 12
|