姫だるま人形
ふと心に浮むだのは、松南先生の起上りの繪であつた、私はこれを日本婦人の理想の型として何か考案して見ようと思つた。人生は、樂しく嬉しい事ばかりではない、時には腹が立つて目に角をたてる事もあり、又落膽して額に八の字をよせる事もあるが、これは褒めた事ではない。すつかり修養が積む時は、どんな場合にも人に不快を與へる樣な見苦しい顏や、陰鬱な暗い顏をせずに朗かな顏をして居られる筈である、又人生は、順風に帆を上げる樣に何時も得意の時代ばかりではなく、誰でも思はぬ失敗や不幸が廻つて來るものである。其時丁度達摩が素早くころりと起き上るやうに、早く氣を取り直して立ち上る丈けの勇氣がほしい、といふのが私の平素からの希ひであつた。
我國人形界の權威者、東都淺草橋の吉徳商店主山田徳兵衞氏とは、別項に詳しく記してある『鯉幟の會』の關係から親しくして居るので、歸途に逢つて其事を話すと、大いに共鳴せられ、早速其達摩人形の考案と製作に取りかゝり、幾度か研究改良の結果、遂に私の注文通りの上品で可愛い、一寸八分の練り製の人形が出來上つたのである。
それに『姫だるま』といふ名をつけ、和歌も作つて貰ひ、其下の句を金文字で臙脂色の其達摩の背にやさしく平假名で書かせた、なほ仙臺名産の埋木を廣く紹介かた/″\これで臺を作り、小さい桐箱入りとして賣り出した、箱の中には二つ折りの説明書を入れた、姫だるまの字と朱色の可愛いだるまとを表側に書き、裏面には
日の本の女性のかゞみ姫だるま
内強うして見るめやさしき
の歌をかいた、又その内側の説明文は次の通りであつた。
『本校出身土井八枝子が古來の土佐の名物の起き上り小法師に多少の考案を加へ、表はやさしく内の強い日本女性の理想的象徴としようとして、人形研究家山田徳兵衞氏に諮つた結果、同氏の努力に依つて出來たのが此姫達摩であります、衣裝は土佐の珊瑚色、臺は仙臺名産の埋木であります。昭和十年夏高知縣立第一高等女學校校友會』
これが非常に好評なのに力を得て、更に木目込の縮緬の衣裝の特製品をも造つた。
姫だるまが生れた翌年、『稚兒だるま』が出來た、これの色は朱、樺、紫、青、緑の五種とし其背には、
若き子の理想の型の稚兒だるま
強く正しく屈せず倒れず
の歌の下の句を銀文字で書かせた。
この二つの達摩は高知丈けでなく廣く世上に賣出された、いつか東京の三越の人形棚の中に此人形が澤山竝んで居るのを見つけた時は我が子に廻り會つた思ひがして嬉しかつた。