Chapter 1 of 109

すべてのはじまりに

〈本〉がインターネットに溶け出す時

エキスパンドブックの世界が広がっている。

当初は読むのも作るのもマッキントッシュだけだったが、ウインドウズでもブックを開けるようになった。一九九六(平成八)年六月には、ウインドウズ用の本作りツールが発売になり、作る方も両方で可能になった。

初代のエキスパンドブック版『パソコン創世記』は、マックでしか読めなかった。出来上がったCD―ROMを手渡すと、マイクロソフトの古川享さんから「ウインドウズ版は?」と宿題を出された。

本書の柱は、我が国のパーソナルコンピューター作りを引っ張ってきた日本電気の歴史である。その主人公が作っている機械で読めないのは、「いかにも間が抜けているな」と自分でも思っていた。気にかけて、「ウインドウズでも読めるよう、ハイブリッド化を急げ」と励まして下さる方もあった。

ボイジャーの開発チームと、ウインドウズへの移植に協力した日本電気の努力によって、ほとんどのパーソナルコンピューターでこのタイトルを開けるようになったことを喜び、力を奮われた方々に感謝したい。

私たちは、コンピューターに本を移し変える道の途上にある。課題は多いが、前進していることも間違いない。

ウインドウズでも読めるものが作れると目途がついたときには、けっこう長くかかずらってきたこのプロジェクトにも、一応の決着を見るのだなと考えていた。

だが、今は終わりよりもむしろ、始まりを意識している。

大きな新しい海に、これから泳ぎ出していくような気分だ。

エキスパンドブックに新しく付け加えられたたった一つのコマンドに、しんみりと落ち着こうとしていた気分を蹴飛ばされ、下ろそうとしていた腰がすっかり伸びてしまった。

ハイブリッド化の作業の直前までは、同じくボイジャーから出る『ヒロシマ・ナガサキのまえに』の翻訳と制作にあたっていた。

原子爆弾開発プロジェクトの中心となった物理学者、ロバート・オッペンハイマーの軌跡をたどったドキュメンタリー映画、『ザ・デイ・アフター・トリニティー』を中心に据えたタイトルだ。

「人間的な気持ちを持っていた人たちが、なぜあのような大量破壊兵器の開発に全力で取り組むことができたのか」

監督のジョン・エルスはそう問題を設定し、ねじ込むように対象に迫っている。

映画制作時、オッペンハイマーはすでに他界していたが、計画に携わった物理学者たちが貴重な証言を寄せている。ただしドキュメンタリー映画の常で、記録された言葉のうち本編に収録できたものは、ごく一部に限られていた。

一方、映画制作から十五年を経て編まれたCD―ROM版には、書き起こされたインタビューの全文が収録された。公開されたかつての秘密ファイルや関係資料もおさめられ、開発に至る流れの全体像を浮かび上がらせようと工夫が凝らされている。

翻訳の作業にあたってみて、映画とCD―ROM版を作ったスタッフの〈誠実〉は、時間をかけてじっくり実感することができた。だがもう一方で、この作品は原子爆弾を開発した側、落とした側の〈誠実〉の証であることも意識した。

もう一方には、落とされた側の真実がある。

日本に『ザ・デイ・アフター・トリニティー』を紹介しようとするのなら、この作品がもっぱら片側の声のみを拾ったものであることを自覚するべきだと、しだいにそう思うようになった。『ヒロシマ・ナガサキのまえに』として出すこのタイトルを一つの閉じた作品として完結させるのではなく、広島、長崎へとつなぐ道筋を示せないかとも考えた。

広島市のホームページで平岡敬市長の「国際司法裁判所における陳述」を読んだとき、この悲しい宝石のような証言をタイトルの最後に収録させてもらえないかとひらめいた。

公文書とはいえ、「陳述」は平岡敬氏個人の著作的色彩の強い文章である。原子爆弾は国際法に違反するとの明言を控えさせようとする外務省の圧力をはね返し、自分の凛々しい言葉で証言を綴った平岡市長への尊敬の念もあって、収録には事前の了解を得ようと考えた。だが残念なことに、広島市の担当者から、掲載は許可できないとの回答があった。

「なぜ」との悔しさと歯がゆさは、広島市にすがる中で募っていった。それがやり取りのさなか、エキスパンドブックに付け加えられた新しいコマンドのことがふと頭に浮かぶと、「そっちがその気ならこっちにも考えがあるもんね」と気持ちに風穴があいた。

エキスパンドブックの開発にあたっている祝田久さんは、錬金術師を思わせる妖しい魅力を漂わせた、芸術家肌のプログラマーだ。カフェラテのカップが小さな泡を吐く昼なお暗いコードの実験室で、彼は細い息を吐きながらキーボードをいじくっている。

おそらくは本職であるはずのエキスパンドブック開発のあいまをぬって、世紀末のコードの魔術師は、いろいろなオブジェをこしらえては周囲の者を驚かせる。ディスプレイに色彩の魔法を演じさせる『ニルヴァーナ』をはじめて見せられた時には、「こんなものばかり作っていれば、そりゃあエキスパンドブックが遅れるはずだ」と、親の敵に会ったような気がした。だが、「それもまあいいか」と妙に納得させられる、他に代えようのない不思議さと美しさとが、この作品にはあった。色彩と動きに溢れたオブジェは錬金術師のお気に入りで、突然メールで送りつけられる新しいプログラムにはいつも、好奇心の針が跳ねる。

算盤尽くの市場の理屈や、お札に書き込まれた仕様書だけでなく、美しいものへのあこがれや不思議に震えるやわらかな心の渇きもまた、人をプログラミングに誘うのだという当たり前の事実を、祝田さんの仕事は思い起こさせる。

レオナルド・ダ・ヴィンチが今、生きていれば、彼もまたコードを書いているだろう。

そんな祝田さんの手になる作品の一つに、WebPinMaker と名付けられた、これは実用性をもった小道具がある。

ウェッブ(Web)とは、英語でクモの巣を指す。

インターネットの上で、世界中の人が学園祭の展示の乗りで店開きしているホームページは、リンクという連携の機能で結びついて、ワールド・ワイド・ウエッブ(WWW)、つまり世界規模のクモの巣という大きくて複雑に絡み合ったネットワークを形成している。その中での住所を示すのが、URL(ユニフォーム・リソース・ロケーター)だ。URLを手がかりにして、目的の場所の扉を開き、中味を見るためのソフトウエアをブラウザーと呼ぶ。よく耳にするネットスケープ・ナビゲーターは、兄にあたるモザイクに一気にとって代わり、ブラウザーの代名詞になった。

ネットスケープがほとんど標準といっていいような大きな存在になると、開発元だけでなく、他の人たちもこれに新しい機能を付け加えるためのプログラムを書き始めた。自分の作っているエキスパンドブックとインターネットの世界を橋渡ししようと考えた祝田さんも、準備のためにネットスケープの分析に取りかかった。調べはじめて間もなく、ネットスケープにはちょっとした盲点があると祝田さんは思うようになった。〈住所録〉作りに、不便を感じたのだ。

URLは、アルファベットと記号で表される。

これが結構長い。

いちいちキーボードから入れていくのは、かなりめんどうだ。

「これは何度も見に来るだろうな」と関心のわいたホームページは、簡単に〈住所〉を記録して、自動的に呼び出せるようにしたい。面白いと思った場所を人に教える際も、手軽にURLを書き出せて、自動的に呼び出せる形で渡したい。

ネットスケープにも実は、こうした機能は付いている。

今見ている場所のURLは、ブックマーク(しおり)という機能で記録できる。しおりをはさむくらいの手軽さで登録できて、次からはメニューから名前を選ぶだけでいい。

ネットスケープにはさらに、リンクを付けている相手先の住所を書き出してくる機能も付いている。リンクの仕込んであるところは、表示画面の中で色変わりの文字で示される。この文字をマウスで選んでデスクトップまで引っ張ってくると、URLを記録したファイルができる。興味を持った場所を教える際は、これを人に渡すとよい。ダブルクリックでネットスケープが起動されて、そのままその場所に連れていってくれる。

とネットスケープの〈住所録〉機能は、かなり充実している。ところがリンクを仕込んだ先のURLは簡単に書き出せても、かんじんの今見ているページに関しては、ブックマークの形でしか記録できない。今開いているこのページのURLを、起動機能付きで手軽に記録する命令がない。きっと「ブックマークがあるから、そこまでする必要はない」と考えてのことだろう。それに開いているページのURLを示す欄もあるのだから、そこの文字列をコピーして電子メールに貼って渡すか、エディターやワープロで記録すればいいという判断が働いたのだろう。

けれどこれはやはり、ちょっと不便だし不親切だ。

現住所を起動機能付きで記録する「Save location といったメニューを用意しておかなかったのは、ネットスケープの盲点だな」と祝田さんは考えた。

そこで、ネットスケープの勉強のついでに、自分で用意した。

それが WebPinMaker だ。

この小道具を使えば、今見ている場所の名前とURLを、ピンの格好のアイコンに簡単に記録できる。ピンをもらった人は、ダブルクリックで該当のページにジャンプできる。デスクトップにピンを並べ、一つの動作で直接目的地に飛んでいく、一皮むけたブックマークとして使っても良い。ちょっとした小道具だけれど、これでインターネットとのやり取りが少しスムースになる。

WebPinMaker を書き、フリーウエアとして公開した祝田さんは続いて、この機能をエキスパンドブックに組み込もうと考えた。ピンの機能を、新種の注釈として取り込んだのである。

いつも通りエキスパンドブックを読んでいる最中に、なにか注釈を付けてあるところにぶつかる。ためしにダブルクリックしてみる。さて、字が出るか絵が出るか、それとも音か動画か。これまでなら可能性があるのは、それだけだった。ところが仕込んであるのが新しく加えられたピンの機能となると、話は別だ。インターネットに接続してあるという条件は付くが、注釈のダブルクリックでブラウザーが立ち上がり、世界への扉が開いて、宛先のページが画面上に呼び出される。

仕込んでおいた住所を自動的に開くところから、この機能に祝田さんは openURL と名前を付けた。

「陳述」の収録を断られている最中に思い出したのは、エキスパンドブックに openURL が付いたという話だった。

オランダ、ハーグの国際司法裁判所で平岡市長が証言した内容の全文は、広島市のホームページで公開されている。収録を諦めざるを得ず、このタイトルを買ってくれた人、全てが読めるようにできなかったのはやはり残念だ。けれど少なくともインターネットに接続できる人に対しては、openURL で、陳述の掲載されているサイトにリンクを張れる。

広島への道筋が示しておけるのだ。

『ヒロシマ・ナガサキのまえに』は、一九九六(平成八)年二月のマックワールドエキスポで発表することができた。

両市長の陳述を掲載した広島と長崎のホームページに加えて、翻訳作業中に見つけた核兵器をテーマにしたサイトにも、リンクを張った。

インターネットの上では、さまざまなグループや個人が、核に関する情報を集めたホームページを運営している。openURL を仕込んだそのサイトからは、「核兵器の本質を見極めよう」とする志のリンクが、さらに夥しいホームページに向かって伸びていた。

当初マック専用だった『ヒロシマ・ナガサキのまえに』は、構成をあらため、ウインドウズにも対応させて、同年八月六日に再発表する運びとなった。この際、掲載を認めてくれるよう再度働きかけ、関係される方々の配慮を得て、新版には陳述を収録することができた。

だが、新しい版にも、openURL の仕掛けはそのまま残した。

この一件を通じて、ネットワークと結び付いた電子本の新しい可能性を発見した経緯を、形として残しておきたかったからだ。

エキスポ騒動がおさまって間もなく、『パソコン創世記』のハイブリッド化にかかることになり、CD―ROMを差し込んで久しぶりにブックを開いた。

エキスパンドブックとして発表したのが、ちょうど一年前のマックワールドエキスポ。新しく書き起こした第二部の原稿がまとまったのは、その数か月前の秋だった。ただし第一部の原稿を書いてからは、もう十年以上もたっている。

その第一部の冒頭には、日本電気の会社概要を示す記述がある。なんだか肩をいからせたような書き方が恥ずかしくも懐かしくもあるが、データはあまりにも古い。

と思ったとたん、〈openURL〉とひらめいた。

さっそく日本電気のホームページに行ってみた。

会社概要の項目があって、最新のデータが掲載されている。この手の情報は、今後もこのページで更新され続けるだろう。とすれば、ここに道筋さえ付けておけば、いつだって最新のデータを見ることができる。

そう思ったとたん「ブックの該当の個所に openURL を組み込んでおこう」と、すぐに心が決まった。

すると今度は、関連のサイトを軒並み調べてみたくなった。

おお、みんなやっているじゃないか。ずいぶん詳しく自分たちの歩みを書き込んでいるところもあれば、「なんで」と思うほど、あっさりすませているところもある。気合いの入れ具合にはばらつきがあるが、社史を掲載しているところはかなり多い。

さらに各種の検索エンジンで調べてリンクをたどっていくと、興味深いサイトがいくつも見つかった。大学や博物館の運営しているところは、やはり充実したものが多い。だが個人のサイトでも、アップルの克明な歩みや、コンピューターの総合年表といったものをカバーした、力の入ったものがある。本文で繰り返し触れた、ホームブルー・コンピューター・クラブのメンバーの、その後を追おうとするものとも出くわした。労力のかけ方は別として、気持ちには「わかるわかる」と肩でも叩きたくなった。

パーソナルコンピューターが生まれて今日までの歩みの中から、自分のこだわり、自分の立場、自分の問題意識に従ってなにがしかを記録し、その意味を探ろうとする意思の在処を探す旅は、続けていけばいつまでたっても終わらないような気すらしてきた。

「ああ僕は、大きな意思を構成する膨大な数のアトムの一個なんだな」

そんな感慨がわき上がってきたのは、リンクをたどって、パーソナルコンピューターの歴史をめぐるネットサーフィンをえんえんと続けていた夜だった。

自分の持ち物である『パソコン創世記』から、インターネットのさまざまな関連サイトにリンクを張るつもりではじめた作業だった。だが、パーソナルコンピューターの誕生を記録し、その意味を探ろうとするたくさんの試みに触れ合う内に、僕は自分自身が、大きなものに包み込まれるような気分に捕らわれはじめた。

「日本電気を中心に歴史の一断面を記録する役割は、たまたま僕に割り振られたのかな」

そう思ったとたん、『パソコン創世記』はインターネットの上に広がる大きな海に向かって溶け始めた。

私の指の間をすり抜けて、『パソコン創世記』が溶け込もうとする巨大な意思のネットワークは、めまぐるしく変化しながら成長して行くだろう。

たくさんのホームページが生まれ、かなりの数が消えていく。URLの変更も、しばしば起こるだろう。

変化し続ける大いなるものの小さな細胞として生き続けるには、『パソコン創世記』は繰り返しネットワークとの連携を確かめなければならない。リンク先の状況を確認し、新しいリンク先を求め、変化に対応しなければ、すぐに老いてしまう。

インターネットの上で生きて、インターネットの上で読まれる、新しい〈本〉のあり方を突き詰めれば、ブックはネットワークに接続したサーバーに置くのが本当だろう。

本を所有するという習慣とは縁を切って、必要なときに読みに来てもらうというやり方だ。

これなら、リンク先の変化に、比較的素早く対応できる。

またそうなってはじめて、私自身の気持ちもおさまりどころを得る。ネットワークからただ受け取るだけなら、口を開けて餌をねだる雛のようなものだ。大きな海に溶け出していくというこの気分は、『パソコン創世記』をインターネットの上に開いてこそ形にできる。

本命は、ネットワーク上のブックであるに違いない。

一九九六(平成八)年六月、そのことは自覚しながら、「先ずは第一歩」とインターネット対応のCD―ROM版を出した。openURL を利用して、こちら側から一方的にリンクの腕を伸ばしたバージョンだ。

続いて九月、インターネットを通して電子本を読んでもらおうとする祝田さんの新しい企み、ネット・エキスパンドブックの公開を機に、サーバー上の『パソコン創世記』を実現することができた。

数え上げれば、課題はまだまだ残されている。英語化という、どう考えてみても死んだふりをするのが賢明そうな難物にも、手が付かないままだ。

だが、ここのところ頭の大半を占めてしまっている「本の未来」に、これでもう一歩近づけたのも間違いないと思う。

『パソコン創世記』では、やりがいのある作業にのめり込めばのめり込むほど金銭との縁が薄れていくというどつぼにはまった。

おまけにネットワークとの連携を考えはじめてからは、「自分のものだ」という著作権意識まで希薄化しつつある。

Eメールアドレスなど持たない人のことをデジタルホームレスなどと呼ぶらしいが、インターネットの上にだってホームレスの予備群は立派に育っている。

サーバー上で公開したい―。

英語版も用意したい―。

では書くことを仕事として選んだ自分の暮らしの方は、どうやって立てるのか。

その帳尻合わせをすぐに迫られると、当然分かってはいる。分かっちゃいるけど、これがどうにも止められそうもない。

とりあえず先走ってみたい。

開き直っていえば、そんな愚かとしか言い様のない振る舞いに人を誘うのだから、インターネットはやはりただものではない。

世の中を変える革新児としては、深く大量に人を狂わせてこそなんぼのもの、というわけだろう。

インターネットは世界を変えると、たくさんの人と同様に、私もまた直感的にそう信じている。

世界が変わり、社会が変わるとはつまり、人が変わるということだろう。

闇雲に駆け出してみて、自分なりの道、自分なりの落ちつきどころを、たどりついた先で見つけろと、私は今、そう言われているのだと思う。昨日までのスタイルにしがみついていないで、新しいあり方を探せよと。

走り出せ。走り出して、知と情と意の緻密な神経回路網を世界に育てよと、歴史がそういうのなら、私としてはその声に従いたい。

変わることで、必ず機会をつかめるとは限らない。可能性を閉ざすこともあるだろう。

個別には〈得〉もあれば、必ず〈損〉もある。

けれど総計を取れば、私たちはきっと前に進むのだ。

世界を覆う神経回路網を得た巨大な群としてのヒトの前進を、私は信じることができる。

そんな浮ついた夢のような話ができて、私は今、本当に幸せだ。

一九九六年三月二十五日作成

一九九六年八月二十八日修正

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