Chapter 1 of 13

一 はしがき

昨年の暮に、ちょっと用事があって、ワシントンへ出かけた機会に、久しぶりでケリイ博士を訪ねてみた。

ケリイ博士といえば、日本の科学界には、かなり親しい名前であって、総司令部があった頃、経済科学局で、永らく科学技術部門の主任をしていた人である。

この頃、総司令部が占領中に日本へ押しつけた、いろいろな施策に対して、かなり反動的な批判が強いようである。しかし自然科学に関する限りは、総司令部の援助が、日本の学界の更生に、大いに役立ったと思われる。一つの理由は、人選がよかったからで、この関係方面の人たちは、概して人柄がよかった。そして親身になって、日本のためのことを考えてくれた。

ケリイ博士は、一言で評すれば、清教徒の面影のある人である。ケリイ博士に限らず、当時あの部局にいた人たちは、皆それぞれに風格があった。現在台湾でたしかマラリアの予防に関する仕事をしているプレッジ博士などは、その尤なるものであった。いつか北海道の汽車の中で、ひょっくり出会ったことがある。占領中も、米軍の専用車に乗らず、普通の汽車に乗り込んできたのである。

丁度よい話相手にされて、八時間もおつき合いをさせられた。種もつきた頃、妙なことを頼まれた。それは日本の竹馬の絵を探してくれというのである。高等学校時代に、人生問題に凝って、大学を卒業したら、人生で一番真面目な職業につこうと決心したことがあったそうである。そして現代のアメリカでは、サーカスの道化役者が、一番真面目な職業であると思い込んだ。道化役者になる一つの修練としては、高い竹馬に乗る必要があるそうで、高等学校時代に大いに竹馬に乗る勉強をしたという。それで竹馬には執着があるのである。話が面白すぎるので、いい加減に相槌を打っていたら、ポケットから、その時代の竹馬に乗った写真を出されたのには、いささか驚いた。

これは一つの例話にすぎないが、とにかく皆少し変っていた。少なくもヤンキイの概念からは、遠い連中であった。敗戦後の日本の科学界が、予想以上に急激に復活したのは、もちろん若い科学者たちの精進のせいであるが、その蔭には、この連中の親身な介抱が、一つの役割をもっていたように、私には思われる。無条件降服という世界の歴史にもまれな完敗を喫した国で、敗戦後十年を待たず、万国物理学会の総会が開かれたということだけでも、歴史に残ってよいことである。とくに東洋というハンディキャップを入れての話であるからなおさらのことである。

ところで、ここに一つ問題が出てくる。敗戦後の科学の進歩が、それほど顕著であったとしたら、「科学による日本の再建」というスローガンに従えば、もう少し国民の生活が楽になりそうなものだという疑問である。科学が世界的の水準に達したのに、一寸した大雨でも洪水になって、一般の庶民は塗炭の苦しみに会うというのでは、結局科学と国民の幸福とは、かなり縁が遠いものになってしまう。

この点に、日本の科学に課された大きい問題がある。一つの返答は、科学というものは、そうすぐ役に立つものではないから、今少し待てば、やがては国の生産も増し、国民の生活も楽になるであろうという解釈である。しかし果してそうであるか、もう少し考えてみる必要がある。

Chapter 1 of 13