六
踊の輪から引き抜かれた娘は、そのまま奥御殿に導かれました。
其処には、ざっと酒肴を用意して、殿――大膳正を待っている様子。隣の部屋を覗くと、恐ろしく贅沢な夜の物に、金環の蚊帳が霞んで、絹行灯の灯がほのぼのと照らして居ります。
間もなく衣服を改めて、大膳正が入って来ました。四十近い脂切った肉塊で、娘に近くどっかと坐ると、もう昼から飲み続けの酒の息が、どぶ臭く娘の顔を打ちます。
「名前は何んという」
大膳正は初心な客のようでした。すっかり悦に入って、先ず盃を取って娘に酌などをさせます。
「――何、梅と申すのか、よい名じゃのう、領内の何処だ、親は何んという」
大膳正は盃を重ねながら、問わでものことを訊ねます。娘の酌の手振りは見事ですが、口数は至って少く、多くはその多彩な表情と、行届いた動作で返事をするといった有り様です。
暫らくすると、大膳正は頓に酔が発した様子で、足取危うく娘の手を取って隣の部屋に入りました。
「来い、可愛がって取らせるぞ」
グイと引寄せて、内懐へ抱え込んだ娘、それは実に大膳正にとっては、何んの防ぎも無い、致命的な一瞬でした。
「己れッ」
声はもう男でした。大膳正を突き飛ばすと、キラリと娘の手に光ったのは、毒蛇のような匕首。
「曲者ッ、ブ、無礼だぞッ」
それは併し、死物狂いの最後の声でした。左胸先を深々とえぐられて、白綸子の夜の物を真紅に染めた大膳正は、蚊帳の上へドッと倒れると、四つの釣手を切って、波の中の醜い魚のように、のた打ち廻って断末魔の苦しみをもがくのです。
「馬鹿ッ」
娘は吃と身構えました。が、この醜い魚は最早起き上る力も尽きた様子です。
その物音に驚いて、バタバタと飛んで来たのは、五十七八の老武士でした。
「あッ、これは?」
この有様を一と目、暫らくは凝然として立ち縮むばかりです。
「御家老様――あなたは、御家老の高塚蔵人様というんでしょう、――御覧の通り殿様は此私がやっつけましたよ――私? 私は中村新八郎という役者ですよ」
「――――」
「幾人の娘を人身御供に上げて、一年経てば蟲のように殺してしまった殿様、今まで生きて居たのは少し寿命を儲け過ぎましたよ。さア、斬るなり突くなり縛るなり、どうとも勝手にして下さい。――私は江島屋のお菊さんと二世を言い交した仲だ。御所刑場へ引出されると、大きい声でそいつを怒鳴るかも知れませんよ」
「――――」
家老高塚蔵人は、黙ってこの女装の青年、中村新八郎を見据えて居りました。それに対して、血染めの匕首をカラリと投げ捨て、観念し切った顔を挙げた、女装の中村新八郎の美しさ。
「さア、何んとかして下さい。御家老、私を成敗すれば、その代り夜の明けないうちに村々の訴人が江戸へ飛んで行って、殿様の悪政振りを龍の口に訴え出ますよ、――だから私を助けてくれなんてケチな事を言やしません。どうせ潰れるなら、何十万石のお家が、玉子の殻のように一ぺんに叩き潰されるのも面白いじゃありませんか、ね、御家老」
中村新八郎は死を決して居りました。
丁度その時でした。
「何事で御座る、高塚殿」
愛臣三文字紋弥は、あまりの騒ぎに驚いて馳けつけたのです。
「この通りだ、三文字氏」
「あッ」
高塚蔵人に指さされる迄もなく、主君大膳正の浅ましい姿を見て、三文字紋弥は顫え上ってしまいました。
「――何者の仕業――高塚氏、狼藉者は何者で御座る」
三文字紋弥はいきなり勢立ちました。それを押えるように、
「殿が、斯うなられた元々を訊きたいと仰しゃるか」
高塚蔵人の声は不気味なほど静かです。
「何者が殿を」
「其方だよ――三文字紋弥、よく聴け、殿を此様な羽目に引入れたのは、其方――三文字紋弥だ」
「何」
「覚悟せい、奸賊」
高塚蔵人の一刀は、三文字紋弥にたった一合を許しただけ、踏込んだ二の太刀は見事紋弥を袈裟掛に斬って、主君大膳正の死骸と並べたのです。
「――――」
驚き呆れる女装の中村新八郎に向けた高塚蔵人の眼には、最早殺気などは微塵もありません。
「帰れ、お前はお梅とか言ったな――三文字紋弥が乱心して主君を害め、この高塚蔵人の手で成敗されたのだ、――だが、大公儀はそれでは通らぬ。いずれ御病死の届をすることになるだろう、――お前は此処から脱出して、村々の自訴を止めるのだ。よいか、阿武隈の御家を取潰しても、百姓町人が直ぐ幸せになるとは限るまい。江戸の若君の成人まで、此高塚蔵人として、決して百姓町人を泣かせるような事はしない積りだ、――解ったか、解ったら早く行け」
そう言う高塚蔵人の眼には涙がありました。夢心地の中村新八郎を誘って、不浄門から外へ突出し、静かに元の部屋へ引返して行くのです。