Chapter 1 of 7

「親分、世間はたうとう五月の節句となりましたね」

八五郎が感慨無量の聲を出すのです。

「世間と來たね、お前のところは、五月節句が素通りすることになつたのか」

平次は退屈さうでした。この十日ばかりは小泥棒と夫婦喧嘩位しか無く、平次の見張つて居る明神樣の氏子は申す迄もなく、江戸の下町一帶は、まことに平穩無事な日が續いて居りました。

「あつしも男の子でせう、それに間違ひもなく獨り者だ。鯉幟や五月人形の贅は言はないが、せめては柏餅位にありつけないものかと朝つから二三軒、男の子のありさうなところを當つて見ましたが――」

「さもしい野郎だなア、生憎おれのところもお祝するほどの男の子は無えが、謎を掛けられて、季節の物を喰はせねえほどのしみつたれぢやねえ。おい、お靜、表の餅屋へ行つて、柏餅を總仕舞にしてな、臍が欠伸するほど八の野郎に喰はせてやるが宜い」

平次はお勝手に居るお靜に聲をかけました。

「じよ、冗談ぢやありませんよ、そんな人の惡い謎々なんか掛けるもんですか、あつしだつて、柏餅を買ふお鳥目位はありますがな、大の男が餅屋の店先に突つ立つて頬張るのも色氣が無さ過ぎると思つて、ツイ獨り者らしい愚痴を言つたんですよ」

「喰ひ氣ばかりかと思つたら、色氣もあるんだな、お前は。ま、安心しねえ、お靜は氣が小さいから、柏餅を一兩と買つて來る氣遣けえはねえ」

平次は前掛を帶に挾んで路地の外へ驅け出して行く、お靜の後ろ姿を見乍ら、太平樂を言つて居ります。

「ところでね、親分、近頃變なことがあるんだが」

「また變なことがあるのか」

「五月人形に怨があるのか、方々に人形荒しがあるんですよ」

「人形荒しといふのは聽いたことがない話だな」

「いづれ、男の子に死なれて、氣が變になつた者の仕業でせうね」

八五郎はそれでもローズものゝ叡智を働かせたりしました。

「何處と何處だ?」

「大傳馬町の木綿問屋の伊勢屋、村松町の大黒屋、本町二丁目の呉服屋で田島屋、――皆んな金のあり餘る大店で、――そんな事は内證にして置き度いでせうが、人形荒しなどは珍らしいから、若い奉公人の口からすぐ漏れて、半日經たないうちに、あつしの耳へ入りますよ」

「で、盜まれた物は無いのか」

「何んにも盜まれなかつたやうで」

「フーム」

「金太郎の腹掛をつたり、鐘馗樣の首を拔いたり、散々の惡戯ですが、物を盜つた樣子はありませんね」

「縁起物の人形をこはすのは、太々しいやり方ぢやないか」

平次は苦々しがります。さう言つた性の惡い仕事は、妙に癇にさはるのでせう。

「あつしの聽いたのは三軒ですが、外にもあるかも知れません、少し調べて見ませうか」

「無駄だらうよ、何處の親も隱したがるだらうから」

「でも」

「それより、その人形を買つたのは何處で、細工は誰か、一應訊いて見てくれ。金持だけがやられたのなら、いづれ細工の良いものだらう、――わけがわかれば、其邊ぢやないかな」

「そんな事ならわけはありませんよ、ちよつと行つて來ませうか」

「待ちなよ、柏餅が來たぢやないか。お茶が入るだらう――おや/\これで總仕舞か、たつた九つ、しみつ垂れた餅屋だなア」

平次は柏餅の數を顎で讀みます。

「これ丈けありや澤山ですよ」

八五郎はさすがにモヂモヂして居ります。

「柏餅が總仕舞でなくて、巾着の中味が總仕舞になつたんだらう」

「お前さん」

お茶を持つて來たお靜は、平次の惡謔に當てられて敷居際に立ち淀みます。

柏餅で腹を拵へた八五郎は、すぐ樣出動しましたが、半日經たないうち、詳しく言へば五月五日の暮れないうちに明神下の平次の家に戻つて來ました。

「親分、五月人形の作人は直ぐわかりましたよ」

相變らず突つ立つて物を言ふ八五郎です。

「まア坐れ」

「へエ、ところでね、親分。面白いことがありましたよ」

「何が面白いんだ」

「あれから十軒店のお人形屋と、人形を荒された三軒の家と、人形作りの東洲齋榮吉といふ男の家を歩いて見ると、呆れ返つたことに、何處でも茶受に柏餅が出るぢやありませんか、いやもう、柏の葉つぱの匂ひを嗅いでもムツと來るほどで」

「氣樂な野郎だ、それでお前の調べは皆んなか」

「飛んでも無い、調べは調べですよ、――親分が言つた通り、人形を荒された三軒とも名題の大店で、人形も立派でしたよ。ところが三軒の人形がいかにも似てゐるから、それを買つたといふ十軒店の人形屋へ行つて訊いて見ると、作人は直ぐわかりました。東洲齋榮吉といふ鎌倉町の人形師で――」

「名前は知つてるよ、名人だ相だな」

「訪ねて見ると、五十がらみの野暮な親爺で、伜を奉公に出して居るとかで、弟子が三人と鰥暮し」

「フーム、その弟子は」

「三人共留守でしたよ。五月五日はこちとらの藪入りだから、若いものゝことだし、兩國か淺草へでも行つてるでせう。尤も内弟子は一人だけで、倉松とかいふ相です」

「その男の拵へた人形がこはされたといふことを本人は知つて居るのか」

「知つて居ましたよ、『あれは私が念入りに拵へた三組の五月人形で、外には、あんなに手の混んだ細工はありません』と言つて居ましたが」

「その人形を滅茶々々にこはされるわけがあるのか、作人の東洲齋には、心當りがあるだらうと思ふが」

「それも突つ込んで訊いて見ました。でも、本人の東洲齋には、どうも心當りが無いんだ相で、――多分私の腕を憎んでゐる、人形師仲間の仕業でせう――と職人らしい自慢をして居ましたが」

「それは變だな」

「何が變です親分」

「念入りに拵へた、三組の人形の買はれた先を知つて居て、そこだけ狙つて荒したのは變ぢやないか、――これは決してまぐれ當りや、出鱈目な見當ぢやないよ」

「そんなものでせうか」

平次は一應の疑ひを挾んだだけでした。これが思ひも寄らぬ大事件にならうとは夢にも思ひません。

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