Chapter 1 of 8

「ね、お前さん」

女房のお靜は、いつにもなく、突きつめた顏をして、茶の間に入つて來るのでした。梅二月のある日、南陽が一パイに射す椽側に、平次は日向煙草の煙の棚引く中に、相變らず八五郎と、腹にもたまらない無駄話の一刻を過して居るのでした。

「恐ろしく眞劍な顏をするぢやないか。また俺の湯呑でも割つたんだらう」

錢形平次は後ろを振り向きもせずに、斯んなことを言ふのです。

「あれ、お前さん」

お靜は途方に暮れて言ひ淀みました。察しの宜いのは嬉しいが、いつでも斯う先をくゞつて感の働く平次です。

「それとも、勝手口へうるさい押賣でも來たといふのか」

「さうぢやありませんよ。後生の願ひだから、親分に逢はせてくれといふ娘さんが、來ましたが」

「姐さん、その娘といふのは、年は幾つくらゐで、綺麗ですか」

八五郎は横合ひから口を出します。

「馬鹿だなア、娘と聞くと眼の色を變へて乘り出しやがる。――四十八歳のゆき遲れで、人三化七だつた日にや、女房の取次があんなに彈むものか」

「あれ、お前さん」

お靜はもう一度同じ臺詞を繰り返して、立ち去りもならず、そのまゝ居竦むのです。

「まア宜い、逢ふも逢はないもあるものか。殿樣へお目見得ぢやあるめえし、此處へ通すんだ。お勝手から來るやうぢや、どうせ若い娘だらうから脅かして歸しちやならねえ」

「――」

お靜は心得て立去ると、間もなく十六七の可愛らしいのを、押し出すやうに連れて來ました。紅嫌ひの浮世繪の娘姿のやうに、それは地味ではあるが、申し分なく可憐な好ましい姿でした。

おど/\してゐるが、下つぷくれの情熱的な顏立ち、木綿物の黄縞に黒襟をかけて、帶までが黒いのは氣になりますが、開きかけた唇は妙に引吊つて、涙を噛みしめたやうな、いぢらしさに顫へるのです。

「どうしたんだ姉さん、大層な心配事があるやうだが、打ち明けて話すが宜い。お前さんが此處へ飛び込むのは、よく/\思ひ詰めたことがあるんだらう」

平次は靜かに訊きました。娘の丸い肩が、堪へ性もなく顫へるのを、お靜は後ろからソツト抱き締めるやうに、手拭で涙を拭いてやりました。

「でも、父さんが殺されたんですもの」

「ま、待つてくれ。お前は何處のなんといふ娘だ。藪から棒にそいつは大變なことぢやないか」

平次も少しあわてました。こんな可愛らしい娘が、いきなり飛び込んで來るさへ尋常でないのに、父親が殺されたといふのは、話が突拍子もなさ過ぎます。

「私はゆかり――父親は、飯田町の中坂下の錺屋田屋の三郎兵衞と申します」

「それが?」

「今朝、私の手内職のお仕立物を、番町の御得意樣に屆けた後、――戻つて見ると、父さんが――」

娘は涙も拭き敢へず、子供のやうにせぐりあげるのです。

「それからどうした」

「飯田町の兼吉親分が、多勢の子分衆をつれて來て、お隣りの勇三郎さんを縛つて行つてしまひました。勇三郎さんは、隨分父を怨んでゐましたが、人を殺すやうな方ぢやありません。どうぞ助けてやつて下さい。――家の中は檢屍が濟んだばかり、ゴツタ返して居ますが、私は、その中からソツと脱け出して來ました。お願ひですから親分さん」

小娘のゆかりは、お詣りでもするやうに、平次の前に可愛らしい掌を合せるのです。

「その勇三郎といふのは?」

「按摩の柿の市さんの子で」

「あ、あの桃栗三年の柿の市か、按摩は下手だが、頑固でうるさくて、鬼のやうな顏をした不氣味な盲目ぢやないか」

八五郎はそれを知つて居たのです。

Chapter 1 of 8