二
白蝶貝は真珠貝科の最大な種属で、大きなものは三十センチ以上に及び、貝の内側は銀白色に輝き、殊に真珠母と呼ばれる「黄金唇」は最上品で、大きな優良な真珠も多くこれから発見される。第二位は「黒唇」、普通に黒蝶貝といわれているもので、黒銀色を帯びた鋼鉄のような強い光沢があり、この貝から黒真珠が出る。「黄唇」はおおむね貝質が薄く、貝に艶がないので下級品として扱われるが、「黄金唇」と「黒唇」の優良品は一噸千ドルを下廻らぬ高価な商品として、真珠貝採集者に、四十年の間、測り知れぬ富を与えたものだった。
テイという船員が一八六一年に濠洲のニコル湾で真珠貝を発見すると、白人達は自分で潜水服を着て骨身を惜しまずにはたらき、基地をこしらえ、採集船を改造し、船団を組織して指揮し、事業を安定させ、真珠貝の市場を拡張するというぐあいにたゆまざる努力をつづけて次の日の繁栄の基礎を据えた。濠洲沿岸のシャークス湾、オンスロー、ポート・ヘッドランドなどで小さな帆船ではじめたこの事業は、見るみるうちに盛大になり、世界の真珠港といわれるブルームの町をつくりあげたのち、新しい貝床を追って北濠洲四千万哩の海域へ進出し、チモール海からアラフラ海、木曜島を経てソロモン諸島のマライタ島までの広大な海岸線を小帆船で取巻き、新貝床が見つかったというニュースが風のようにどこからか伝わってくると、あらゆる国籍のラガー船がゴールド・ラッシュのような勢いでその海域へ殺到して行った。
普通、潜水して働ける深さの限度はだいたい三十尋(百八十尺)とされているが、マレー人やマニラ人の潜水夫は十尋(六十尺)がせいぜいで、二十尋となると手も足も出ないのに、日本人の潜水夫は少なくとも三十尋は潜り、四十尋のところでさえ自由に仕事をした。
紀州、潮ノ岬出身のものが多く、非常に勤勉で、なんでもよくおぼえるので、ダイバーといえば日本人のことになり、ブルームには日本人倶楽部までできて千五百人以上の日本人が働いていた。
これで白人達は自分で潜水する必要がなくなり、ブルームの町の白人区域に美しい庭のついたバンガローを建て、赤いポインセティヤの葉がしなだれかかるヴェランダのハンモックで冷たい飲物を飲みながら貝の値段や真珠の市価を論じて暮すようになった。
真珠貝採集の事業がとめどもなく大きくなって行くうちに、はじめ潜水夫としてやってきた日本人は、潜水夫から助手、助手から船員と成りあがってラガー船の重要な位置を占め、濠洲の沿岸を航行しながらこの事業のコツを学び、アラフラ海、珊瑚海のすべての貝床、馬蹄螺床、海鼠の棲息地などに通暁し、契約期限が切れると、世界一流の潜水夫とあらゆる海況に通じた船長が乗組み、白人真珠貝採集者の競争者として堂々と白濠の海域に進出してきた。
もっとも最初にやってきたのはその連中ではなかった。中古の五十屯ばかりの鰹船を改造してパラオから乗りだした山下徳太郎と吉見五四郎という運転士あがりの素人で、この二人はほとんど同時におなじような思いつきをし、潮ノ岬の潜水夫を三人ばかり乗せ、パラオから十昼夜がかりで北濠の沖へやってくると、海岸から三浬沖合の公海へ錨をおろし、水は深夜こっそり近くの部落から汲み、四月から十月まで、重油と食糧のつづくかぎり白蝶貝を取って取ってとりまくって帰ったが、三井物産で一屯千四百ドルでひきとったので三万円近くのバカ儲けをした。
この二人の話が内地へつたわると、大小の企業家がパラオへ乗りこんできて、契約期限の切れた濠洲帰りの潜水夫を船長にしてダイバー・ボートの船団を組織した。これがパラオを根拠地にする真珠貝採集事業のはじまりだが、昭和九年から十一年までが全盛期で、山下には南海興発という大資本がつき、吉見のほうは南洋拓殖という国策会社をバックにして花々しくやりだした。もう鰹船を改造したあやしげな機船ではなく、どれもみなスクゥナー型のスマートなダイバー・ボートで、根拠地と現地を連絡する母船までつき、昭和九年の出漁船は百七十隻もあった。
そのころ深尾好三は、やはり移民法施行前に濠洲へ流れこんできた山崎や戸田と合弁でメルボーン市外の安下宿にたぐまり、競馬ののみやでカツカツに食っていた。深尾自身はサンノゼのハイスクールを卒え、税関ブローカーの下廻りをやってアメリカ式の成功を夢みていたが、いっこうパッとしたこともない。濠洲のゴールド・ラッシュで一と山あてるつもりでクイーンスランドへ上陸したが、素手では水銀もすくえず、だんだん南へさがってきてメルボーンでとまった。
山崎仁太は加州大学の薬剤科を出てバアクレーの公衆衛生局の衛生試験所で働いていたが、白人職員の嫉妬やらなにやらで、追いだされるように辞職し、アメリカを恨みながらなんとなく濠洲へやってきたので、戸田五平のほうは名古屋の製陶会社の桑港支店の店員だったが、悪い仲間が出来て博奕に手をだし、あっというほど支店の金を使いこみ、いるにいられず逃げだしてきたという次第なのであった。
山崎は三人の中で一番年長で、前途を苦にして航海中気が変になり、ポートダーヴィンの精神病院へ入れられたというクヨクヨした小心者だが、戸田のほうは商業学校出の店員あがりに似あわぬ悪党面で、いよいよとなったら街へ出てホールド・アップもやりかねないドキッとさせるような殺気を身につけていた。競馬のないときは下宿のボロに寝っころがり、何年前かの実業之日本やダイヤモンドをひっくりかえし、誰々は千葉県の漁師の子で、小僧から叩きあげた立志伝中の人物だとか、日本屈指の大会社である鐘紡の社長の津田信吾は、ああ見えても貧乏人で、株主名簿のどん尻にかすかに名の載っているくらいだとか、鮎川義介が発明した日本水産の冷凍法は生きているうちに魚を冷凍するのがコツなので、あれは鉄を急に冷却すると分子がそのときのままの状態になっていることから思いついたんだ。われわれだって、頭の使いかたとチャンスによっては、アッというような大仕事だって出来ないわけはないなどと、蒼ずんだ顔で肩息をつきながら気焔をあげていた。
その思いは深尾もおなじことで、誰にたのまれたわけでもないけれども、いっぱしの成功をしなければ内地へ帰れないという意地のような結情があるが、さればといって、インテリともいわれる身が百姓にまで落ちこむ気はない。それにつけても気にかかるのは領海外の真珠貝採りのことで、最近、パラオくんだりからやってきて、他人の繩張りとスレスレのところで元手いらずの儲けをしていると聞くと、こちらの権利に属するものを眼の前で掠められているようで、いくら同胞でも忌々しくてたまらない。
「この間、南洋庁から視察にきた成瀬って男に聞いたんだが、パラオのダイバー景気はたいへんなものだってな。春光館だの鶴ノ家だのっていう料理屋は、軒の低いトタン葺きの母屋へ、後から後から付け足し建て増し、階段を上ったり降りたり、端から端まで歩くと一町もあるような構えにしてしまったそうだ。ダイバー・ボートが帰るころになると、それを目あての出稼ぎの芸者や酌婦が便船のたびに内地からおしよせる。ダイバーはまたダイバーで、気でもちがったような金の使いかたで、パラオへ引揚げた晩、はじめて逢った芸者を落籍してそのまま親元へ帰してやったなんて話まであるてえんだ」
「だいぶ怒っているようだネ」
「それゃ面白いわけはない。領海は海岸から三浬まで。日本のダイバー・ボートの就業はその外という規定になっているが、そこは水の上のことで、領海と公海の境に綱をひいてあるわけでない。潜るほうの身になれば、四十尋より三十尋……まあ一尋でも浅いほうがいいんだから、こっそり領海へ入っているにちがいない。政府ももっと手厳しくやりァいいんだ。あいつらはすこしいい気になっているよ」
「ところで、おれは別の話をきいているんだ。つまりだネ、そこが監視船のツケ目なんで、形式的にOL信号(停船せざれば発砲すべし)をあげて、これに懲りてもう来るなとばかりに、滅茶苦茶に機関銃で射ちまくるというんだネ。パラオ組は泣き寝入り、濠洲側はすっ恍けているから世間には知れないが、なんぞかんぞでずいぶん殺されるらしいな。なんとかいうラガー船は乗組もろとも行方不明になってたが、どうやら撃沈されたらしいというんでネ。いい気味といえばいい気味だ。いくらか溜飲がさがるような気がするがネ、ブルームにいるやつらもすこしどうかしている。ダイバー、ダイバーと大切にされたって、結局、白人の使用人だ。自分で船をだしてパラオ組と張合うような気慨のあるやつがいないのは情けない。そういえば、おれたち三人は濠洲にもう五年いるから、ラガーの許可をとれるわけだネ。領海内の仕事で、岸の浅いところでやれるから楽なもんだ。今年の真珠母の相場は屯千四百ドル、黒貝は千ドル。仕込みの金さえあれば、めいめいが万という金を握れるんだがネ」
「そんな話は癇にさわるからよせ。三人の懐を合せたって十志もないくせに。無駄な夢は見ないようにしようよ」
深尾は苦り切ったが、山崎は昂奮してたずねた。
「仕込みって、どのくらいありゃいいんだろう」
「とりあえず百ポンドもあれァ、カップ・レースで穴をあてて、要るだけぐらいのものはつくれるんだ」
「そうか。諸君には申訳ないが、実はいよいよという場合の命金に、百ポンドだけ隠して持っているんだ。半年で万になるというなら、死んだ気で出すよ。出す、出す」
山崎が子供のような金切声で絶叫した。