十九日 日曜
敗戦後、最初の〈暗い日曜日〉
厚木の相模原航空隊の若いひとたちが、見るもあわれなボロ飛行機で、今日も早くから抗戦デモのビラを撒いている。宮城前では今朝も何人とかハラキリがあったそうだ。
満寿子さんは一昨日の夜、予定より二日遅れてカトリックの天国へ行ってしまった。昨日、クラブで告別式があった。
第一次進駐の連絡にマニラへ行く河辺さんの見送りをした帰り、横浜で降りて満寿子さんのお墓を見に行った。墓地と向いあわせのクライスト教会は、青い大谷石の外側だけ残してすっかり焼け落ち、山手の丘もほとんど焼野原になっていた。だからどうだということもない。台石の隙間から雀萱がもえだしてやさしく風に揺れ、崩れ残った煉瓦のチムニーや円柱はよろめくような長い影をひき、零落の気品にみちた、えもいわれぬ朝景色だった。
墓地へ入って行くと、そこだけ間がぬけたようにそっくりしていて、外人墓地と隣りあわせた天主教墓地の低い枸杞の生垣の中に、
男爵島野清彦 仏国飛行大尉 名誉勲章四等帯勲者
妻ジャネット このところに眠る
と彫りつけた鸛一さんのパパとママの小さな大理石の墓があって、そのとなりに満寿子さんの新しい木の十字架が、ごうせいな花にとりかこまれて立っていた。
あのやさしい満寿子さんは、停電のさなか、聖路加病院の白い病室で、蝋燭のあかりに照らされながら息をひきとった。長謙さんが煙草をすいに出て、二十分ほどして帰ってきた。満寿子さんはしずかな顔で眠っていた。長謙さんが枕元の椅子に坐って、老眼鏡をかけて本を読んでいるおばあさまにささやいた。
「落ちついたようですね」
おばあさまが美しい眼で長謙さんを見あげ、ゆっくりと本を閉じてからいった。
「はい、死にました」
満寿子さんはじぶんのことでひとをさわがせたり、迷惑をかけたりするのをなによりきらいなひとだったが、いかにも満寿子さんらしい死にかただった。
ルロンのハンド・バッグたのむよと怒鳴ったときの満寿子さんの笑い顔が眼にうかぶ。いくらあたしがとんちきだって、ほんとうに死ぬと思ったらあんなことをいうわけはない。あんなものを飲んだぐらいで満寿子さんが死ぬなんてかんがえてもいなかった。
墓地の草の葉を撫でていく湿った海風は誰のためだろう? 潮騒のような風の音、滲みだすようにひびいてくる爆音は誰のためだろう? それは墓の前に坐っているあたしのためだ。満寿子さんはもうなにも感じない。苦痛もない。満寿子さんのところにあるのは想像もつかないような無限の時間だけだ。
抗戦デモの軽そうな飛行機が一機、夢遊する生命とでもいうような霊性をおびたようすでしずかに東のほうへ飛んで行く。満寿子さんの魂にも羽根が生え、天国の渚をあんなふうにひっそりと飛んでいるのにちがいない。
満寿子さんの大おばあさまは先帝のお乳人で、叔母さまは二人とも女嬬に上っている。八十いくつになっていられた大おばあさまは、五月二十五日の空襲の夜、参宮道路の真中にキチンと坐って、明治神宮のほうへお辞儀をしたままの恰好で焼け死んでいられた。
そういう家に生れたので、Y元帥以来、伝統的に不遜な気風を受けつぎ、宮中を無視したり〈あの方〉のご意志に逆らうことを見栄にして、軍に都合の悪いことでもあると、〈ご退位をねがおう〉などと放言してはばからない陸軍の朋党組織を憎み、日本の〈真の敵〉はアメリカでなく軍部なのよとはっきりいっていた。
満寿子説によると、将軍だの参謀だのという連中は、〈自分ではそうと気がつかずに、深いところで自信のなさの劣等感に悩んでいるかよわい一本の含羞草にすぎない〉ので、病的に威厳をつくろって過度な尊敬を要求したり、激怒したり、意識的に残忍なことをしたりするのは、みなそのインフェリオリテのなすわざだといっていた。
二・二六の朝、蒼ざめたインフェリオリテが大勢乱入してきて、奥の二階の十畳間に寝ていたTさんを殺した。Tさんはもう完全に死んでいるのにいつまでも斬ったり突いたりしている。刀自さまが、
「もう斬るのはやめてください。それくらいでいいじゃありませんか」
といったが、首がちぎれるまでやめなかった。
Tさんの遺骸のある部屋で、絵からぬけだしたような白無垢を着た美しいひとが、検死官に薄茶をたててあげて評判になった。それが満寿子さんだったが、その朝、満寿子さんは臆病者どものやりかたをはじめからしまいまで見ていてひどい憂鬱症にかかり、日本を逃げだしてあたしたちのいるパリへやってきた。その後、南京へ行っていた万国赤十字のひとから大虐殺の話をきいて徹底的な反戦主義者になり、当座は付武官で大使館にいた山チイの愛人の鸛一さんとさえ口をきかなかった。
PO戦の二年目、マニラやバターンの残虐行為の話をきくと、満寿子さんはひどく腹をたて、贖罪のためだといって、こわがって誰も手をださないIRCの俘虜の情報交換や救恤品送付の仕事を手伝いはじめ、ひと月に一度スイスの本部経由で送られてくる慰問品を、大森海岸の沖の島にある収容所へ届け、俘虜通信の世話をしたり、希望事項の伝達をしたり、銀行に預けてあった結婚資金を空にするような熱烈な奉仕をしていた。
日本のほかは、どの国でも万国赤十字を通じて俘虜情報の交換をし、救恤品を送ったりして相互的になっているが、日本人は敵につかまるとみな自決するはずで、俘虜なんてものはただの一人も存在しない。日本は万国赤十字なんかの世話にならんというわけなので、赤十字代表が収容所を訪問したり、救恤品を送ったりするのをできるだけ邪魔しようとする。満寿子さんなどもはじめからスパイ扱いで、標繩をつるした青二才の監督官に嫌味をいわれたり、憲兵隊へ呼ばれていいかげんにやめないと、生涯、陽の目の見えないところへ入れてやるぞとおどかされたりしたが、がんばってとうとうやめなかった。
PO戦争がはじまると、満寿子さんは、
「日本の真の敵は軍部でしょう。それとやりあっているアメリカは、だからあたしたちの敵でなくて〈敵の敵〉ってわけなのよ」
などと冗談をいったが、戦争が左前になって軍部が錯乱し、一億戦死なんて途方もないことをいいだすと、クラブの朝食会などで、
「軍部のクビキからあの方と国民を解放する力をもっているのはアメリカだけだわ」
と涙ぐみながらいっていた。
徹底的な軍部嫌いの感情の反対給付で、満寿子さんの気持はどんどんアメリカのほうへ傾斜して行ったのだとみえ、そのうちに収容所の班長のようなことをしていたハガアスさんというアメリカ人を好きになってしまった。
慰問品の受けわたしは所長と監督官の厳重な立会でやるので、冗談ひとついえるわけでない。好きになったといっても、それは心の中のことだが、そうと自覚すると、満寿子さんの国民感情と先祖の血が急に痛みを感じだした。〈解放者〉というのはアメリカの爆撃機コンソリデーテッドB24の別名だが、あの方と国民にたいして、アメリカがその役をしているのだと信じられたうちはよかったが、十三日の回答の第四項を読んでから急にアメリカのやりかたに疑惑をもちだし、戦う国の国民として、心の貞潔まで犠牲にして、今日までせっせとやっていたことはまちがいだったのかもしれないということになった。
長謙さんの場合は、〈マックァサー将軍〉を植えてうっぷんをはらすという、ユウモラスな思いつきをする余裕があったが、満寿子さんの場合は、恥とザンキと、あの方のお身の上にたいする心配と絶望がごったにいりまじって、とても生きていられないというギリギリのところへいきなりおしつめてしまった。
最後の朝、満寿子さんが山チイを呼んで、もしあたしが死んだら、あたしがこんな死にかたをしたことだけをハガアスさんにおしえてやってください。ほかのことはなにもいわないで、とたのんだそうだ。
〈ほかのこと〉というのは、満寿子さんがハガアスさんを〈そっと愛していた〉そのことなんだろう。それくらいのことはあたしにだってわかる。ママは〈あなたは戦争に敗けたというのはどういうことなのかまだよくわからないのね。かあいそうに〉といったが、戦争に敗けた悲しさや辛さが、こんなところにひそんでいたのは意外中の意外だった。いまのところはバカみたいにあっけらかんとしているけど、そのうちに身にしみてわかるようになるのだろう。
それにしても日本はどうなるのか。うまくいくのか駄目になるのか。かんがえると心細くなる。十六日の朝、日本占領軍の最高司令官がマックァサー元帥に決定し、トルーマン大統領が日本占領方式を発表し、つづいて日本進駐に関する米国側の指令を受けるために、日本政府の代表を至急マニラへ送るようにと外務省へ無電が入ったが、H宮にようやく後継内閣の相談があったくらいのところで、とても政府の代表などを出すところまで行っていない。
十六日の十時にH宮に内閣組織の大命が降り、本部に赤坂離宮を拝借して、日本はじまって以来の豪華な政治風景の中で組閣の準備をはじめたが、大臣の候補者はみな疎開したり移転したりしていて住所がわからず、住所がわかっても都内の電話はほとんど不通で役にたたない。マニラからは一時間おきぐらいにいつ連絡使を送るかとやかましくいってくる。内閣の成立が遅れるとそれだけ代表を送ることが遅れ、日本が故意にぐずぐずして、なにかまた秘密企図をやっているのではないかと疑惑をもたれるおそれがある。陸軍省から借りられるだけの自動車を借りだし手紙を持った使いを乗せ、克明に住所をさがさせる。近県に疎開しているほうは、ただ一つの通信機関になった内務省の警察電話を借りて連絡をとり、十七日の朝の八時になってやっとこさで組閣を完了。午後、親任式を終ってH宮内閣が成立したが、さて全権ということになると、人選がむずかしくてなかなかきまらない、昨日いっぱいごたごたし、けっきょく河辺さんをやることになって無電で通報したが、この三日間の渉外局と終戦連絡事務局の心配はたいへんなものだったそうだ。
全権のほうは、今朝、羽田からダグラスで送りだしたが、毎日のように海軍機がデモをやっているし、陸軍だっていつなにをはじめるかわからない。こんな平和な見せかけをしているが、木にも草にも戦争のイメージがまだしつっこくしがみついている。うつらうつらしている海のついむこうに、ミズーリ以下五百艘の艦隊が砲口を Tokyo へむけ、飛行機の翼に鼻の脂を塗ってどっしりと待機していることをあたしは知っている。
十四日夜の宮城占領組は、録音盤を追いかけまわしているうちに夜が明け、いかんながら昼興行の準備がなかったのでウヤムヤに終演になってしまったが、わからずやの徹底抗戦派や国体護持派が、額に手をあてて、〈いや敗けました〉とニッコリ笑ってひっこむとは思えない。こうしているうちにも、抗戦派がどこかでわッとあばれだせば、たちまち戦争へ逆もどりだ。
十時ごろ家へ帰ると、パパとママが食堂の脇間で終戦連絡事務局の田川さんと話していた。
「みなさん、おはよう。いいお天気ですね。パパ、きょうはお休みですか」
ママがあたしのほうへふりかえっていった。
「なにかご用ですか」
「咽喉がかわいてしょうがない。お茶でも一杯いただくかな」
「そうそう、あなたはしばらくご朝食をなさらないのでしたね」
「お茶だけで結構です。悲しくて、なにも咽喉を通りませんから」
「番茶の冷したのが冷蔵庫に入っています」
「じゃ、行って飲んでくるかな」
「お待ちなさい。冷蔵庫をかきまわすのはやめていただきましょう。お君にそういいますから、あなたは動かずにそこにいらっしゃい」
あたしはがっかりして椅子にかけた。田川さんがあたしのほうを見ながらママにいった。
「だいこんは今年いくつになったんです」
ママがいった。
「十七歳と七カ月です」
田川さんがひょうきんな顔でいった。
「ジャンヌ・ダルクが白馬に跨ってオルレアンの城をとりかえしたのも十七歳のときでしたね。有望ですよ」
「ひと晩じゅうゴソゴソなにかやっていて、朝早くどこかへ飛びだして行っていまごろ帰ってくるんだから、あまり有望ではありませんね」
「ポテト一家の娘薯が、脚を腫らして病院へかよっていますが、だいこんはたしかにジャンヌ・ダルク的なところがありますよ」
ママがあたしの顔を見ながらいった。
「あなた、彰子さんになにかしたんですか」
えらいことになった。あたしはあわててでまかせをいった。
「あたしは十七歳と七カ月ですから、十七歳より十八歳のほうに近いです。それにジャンヌ・ダルクのことはよく知りませんですよ。百姓娘のジャンヌ・ダルクが、六人の少年を連れてシノンの城へシャルル七世に逢いに行く〈無智の熱情〉ってところなら、いつか読んだことがあります。あたしがジャンヌ・ダルクなら、田川さんはシャルル七世ぐらいのところかな。たいして似てもいないけど」
ママがまたいった。
「とぼけないでちゃんとおっしゃい」
「ママ、それは誤解ですよ。あたしの気持はいま日本のことでいっぱいで、ジャガイモなんかにからかっている暇はないんです」
パパは上眼づかいであたしの顔を見ていたが、しばらくしてからいった。
「お前、このごろ毎晩おそくまで起きているようだね」
「そうです、パパ」
「小説でも読んでいるのか」
むっとしてあたしがこたえた。
「このごろは誰も小説なんか読みません。とてもそれどころじゃない」
あたしは終戦の日から〈新日本史〉の執筆をはじめ、毎日、部屋にこもってゴシャゴシャ書きつけている。なぜ日本が敗けたか、とか、敗戦の真相とか、そんなもんじゃない。敗けたあとでわかった真相なんか、焦げつかしたシチュウのようなもので、なんの役にもたちはしない。敗けたということだけなら、〈英雄伝〉の壮大なスタイルにならって、〈流星の一瞬の光芒のうちに、すべては終ってしまった〉と書いておくだけでたくさんだ。
それについて思いだすのは二人の先輩のことだ。グリニャン伯爵のところへお嫁にいった、フランス一の美人のお嬢さんに、フランス一の利巧なママが、フランス一の華やかなルイ十四世代の宮廷生活を四半世紀のあいだパリからせっせと書き送った〈セヴィニェ夫人の手紙〉。それから三代つづいてパリで生れた生粋のパリジャンヌが、子供の頃のパリのさまざまな思い出を書いたドオデエ夫人の〈幼い頃の巴里〉。この二人の女のひとは、小説を書こうとか美しい文章を書こうとか、そんなつまらないことを考えていたわけじゃない。歴史家も小説家も見落していた細かいことを丹念にひろいあげ、眼に見えるように生きいきと書きのこしておいてくれた。
あたしは子供のときすこし長く外国にいすぎたので、考えることもとんちんかんだし、むずかしい漢字も知らない。文章ときたら〈梅見に友を誘ふ文〉の式で、おはずかしいのテッペンみたいなもんだけど、そんなことにはおかまいなく、あたしのまわりに起きたことを見たとおり依怙地に書きつけている。
ゲエテ氏は、歴史を書くことは過去の重荷から逃れる一つの方法だといっているが、書けば書くほど重荷になるような過去もあるものだということをゲエテ氏に教えてやりたい。なんのためにこんなものを書いているのか、なにがこんなに煮えたつのか、こぼれるのかあたしにもわからない。
あたしがだまっていると、パパがだしぬけにとてつもつかないことをいいだした。
「スコパスはそそっかしい愛国者だった」
あたしは呆気にとられてパパの顔を見た。
「もう一時間も待っていれば、伝令がマラソンから大勝利の報知を持って駆けてくるというのに、こんなひどい負けかたをしたうえは、ギリシャはもう二度と国家の体をなすまいと悲観して、毒を飲んではかなくも自殺してしまった」
パパがなんのつもりでこんなことをいいだしたのか、あたしにはすぐわかった。つまるところパパは、あたしが日本の前途に絶望して、満寿子さんのように書置きでも書いているかと心配しているんだ。
めったに手紙さえ書かないあたしが、毎晩十二時ごろまでなにかゴソゴソ書いているというんだから、気にするのも無理はないが、あたしが、〈新日本史〉の一九四五年の分を執筆しているなんていったら、パパはびっくりしてひっくりかえってしまうだろう。
あたしが子供くさくばかりしていたので、パパの眼に収差が出来、どこもかしこも完成して結婚をまつばかりになっているこのユヌ・ダアムが、這い這いをしている赤ん坊のようにしか見えないのだ。あたしがいった。
「なんでもないんだよ、クロス・ワードをやっているんだ。馬鹿みたいなもんだけど、やりだすとやめられないんでこまるよ、あいつは」
パパは安心したような呆れたような顔でママにいった。
「十八にもなってクロス・ワード」
ママが同情深くいった。
「いまの十八ってこんなものでしょう。それにしても、そろそろ〈だいこん〉はやめてやらなくてはかあいそうです」
「だが〈だいこん〉といいだしたのはだいこんなんだ。そうだな、だいこん」
「そうです、パパ」
「そんなら、あたくしだけでもやめましょう」
「どうだい、だいこん、お前のだいこんは、もう、だいこんでなくなったかい。それでどちらともきめよう」
あたしはスカートをまくって腓らっぱぎをみてみた。どう見ても、すらっとも、細くなったようにもみえない。むかしどおりのだいこんだ。
「どうもなっていない。だいこんはだいこんだ。やはり〈だいこん〉でいいよ」
パパが笑いながらたずねた。
「マリア・テレザという名をきいたことがあるだろう」
「オーストリアの女王よ」
「マリア・テレザにお目出度があったが、外国の使節にも謁見しなければならないし、夜会にも出なくてはならない。それでクライノルという裁縫師を呼んで、出来るだけ大きなスカートをつくれといいつけた。クライノルはかしこまって、籠入スカートを参考にして直径二米もある輪骨の入った、とほうもないスカートをこしらえてもってきた。どんな大きなお腹だって入らないということはない。マリア・テレザはたいへんに気に入ったが、じぶんだけがそんなものを着るのでは目立ってしょうがない。それでおなじものをたくさんつくらせて女官に着せたが、間もなく全ヨーロッパの宮廷の流行になって、それが一世紀もつづいた。これが有名なクリノリーヌの歴史だ」
「知らなかった。それがどうしたの」
「お前もそういうスカートを流行らしたらよかろうということだよ」
「そうだね。あたしが皇后になったら、〈スカートは裾をひくこと〉という法律をだす。銀座やなにかで、裾にけつまずいてずいぶん転ぶひとがあるでしょう」
このへんでよかろう。深入りをするな。あたしが横をむいてお番茶を飲みだすと、田川さんがパパとママを相手にしてさっきからの話のつづきをしだした。聞いているとこんなことをいっている。
「もともと私などはその任でないのですが、この仕事をやってみて、戦争に負けた経験のない国も困ったものだと思いました。ほかのことならいちいちしっかりした規定があってそれに従って動いていればいいのですが、敗戦には事例がないので指示を得るわけにいかない。まごまごして毎日へまばかりやっています」
笑いながらパパがいった。
「終戦事務をうまくやるために、戦争に負けてみるというのもどういうものかね」
あたしはおかしくなって笑いだした。田川さんはジロリとあたしのほうへふりかえってからまたパパにいった。
「法の根拠や範囲について、原則や習慣が確立していないと、手も足も出ないのが官吏のペキューリアリティの一つなんで、いまさらどうしようもない。ドイツの終戦の場合はどう、フランスの終戦の場合はどう、と大急ぎでしらべてみましたが、いくら事例があっても、それはドイツの事例、フランスの事例で日本にはなんの役にもたたない。これにはおどろきました」
「おどろくことはない。そんなことはわかりきった話だ。きょうは君はおかしなことばかりいうね」
「いや、おそれいりました。それでフランス人や独逸人は敗戦をどんな感じかたをしているかと思っていろいろ読んでみましたが、アンドレ・モロアの〈フランス敗れたり〉……アメリカで出版したれいの What Happened to France には腹をたてました。第六章か……〈フランスの悲劇〉という章で、N・Aという英国の作家とフランスの敗戦の批判をしているところなんかひどいものだし、最後の〈フランス人よ、汝も祖国に忠誠であれ〉という結びなんかとぼけるにもほどがあるといいたくなります。フランス人のモロアがどういう立場に立ってそんなことをいうのか、観念の所在を疑いますね。負けたという感じにもいろいろあるでしょうが、日本人はああいう卑劣な言いぬけはしません。モロアって不愉快なやつです」
「あんなものを読んで腹をたてるなら、読むほうが悪い。あの男はヘルッオグという本名をもった純然たる猶太系で、その後、間もなく国籍を剥奪されてしまったから、フランス人はフランス人でも Ex(前の)という接頭語のつく亡霊のような存在なんだ。そういう人物が書いたもので腹をたてたり怒ったりするのはおかしい。亡霊というものはじぶんのしたことに責任を感じないのが普通だからね」
いい加減にお茶をきりあげて、パパの書庫から〈フランス敗れたり〉をひきぬくと、部屋へ帰って読みかえしてみた。
万事休す!
パリを奪取されては、フランスは頭を失った胴体にすぎない。戦争は負けた。
私は正午にはビュク飛行場へ行く予定になっていた。それまでの時間、妻と二人でパリの街の中で一番好きなところを、たぶんこれが最後になるかも知れないところを見てまわることにした。私たちは、アンヴァリード、セーヌ河岸……
ビュク飛行場へ行く予定……なんてとぼけているが、じつのところは命が危ないと思っていちはやく運動して、じぶんだけが飛行機でロンドンへ逃げだしたんだ。あとで細君がパリを脱出するのにたいへんな苦労をしている。
それにしても細君を置きざりにして逃げだす二時間前、細君と二人でパリを見てあるく白々しさはどうだろう。その男が序文でこんなことをいっている。〈苦痛ではあるが、実相のほうがはるかに私の祖国フランスにとって危険性がすくない。この意味において、私は出来るかぎりの最善をつくして、客観的に且つ公平に述べておいた〉
それにちがいない。ロンドンまで逃げだしたら客観性は充分だろう。なんといったって五百キロ以上は離れているんだから。
日本が負けない前、この本を魅力があるなどと思ったことがある。それが癪にさわってたまらない。あたしはベッドにひっくりかえって腹をたてていたが、なんとかしてやっつけてやらなくては腹の虫がおさまらない。猛烈な反駁文を書いてモロアのところへ送ってやろうと思い書庫へ行って手あたりまかせに本をひきだし、床の上に山のように積んだのを三度に分けて二階へ運びあげた。
パパはあたしのすることを見ていたが、三度目にたまりかねたようにいった。
「本をどうするんだね」
「読むんです」
「読むのなら一冊ずつ持って行きなさい。踏台に使うならべつだが」
「でもね、今日中に百冊ぐらいやっつけなくちゃならないんです」
パパがジロジロあたしの顔を見ながらいった。
「きょうの夕食は食堂へお出になりますか。だいぶおいそがしいようだが」
「たぶん出られると思います」
「なるべくならお目にかかりたいのですがね。お話したいこともあるから」
「はいはい」
せっせと本を担ぎあげたが、骨折りがひどかったせいか、がっかりして気乗りがしなくなってしまった。それにしてもこのまますませる気はない。ギョロギョロしていると、庭でルルの吠える声がした。
だしぬけに霊感が到着した。ルルに〈フランス敗れたり〉を読ませて批評をきいてやろうというすごい名案がうかんだ。この思いつきは悪くない。それですぐママのところへ行った。
「バタをすこしください」
ママがあたしの顔を見ながらいった。
「麺麭がほしいなら麺麭がほしいとおっしゃればいいでしょう。そんなひねくれたいいかたをするのはおよしなさい」
「それは誤解ですよ、ママ。バタだけでいいんです」
「どうなさるの」
「本に塗るんです」
ママはなにかいいかけたが、あきらめたようにいった。
「いいだけ持っていらっしゃい」
冷蔵庫からバタを出して二階へ駆けあがると、〈フランス敗れたり〉を床の上に置いて、一ページごとに念入りにバタを塗りつけた。庭へ出てみると、ルルが夾竹桃のそばでつまらなそうにごろごろ転がっている。退屈して読書に餓えているらしい。本を芝生へ置いて、ルルをていねいに招待した。
「ルルや、本を読みましょう」
ルルはとんぼがえりをうちながら駆けてきて、庭がひっくりかえるような大きな声で吠えながら〈フランス敗れたり〉のまわりをグルグルまわってあるく。
「表紙をあけて」
ルルは表紙にかぶりついて横ぶりする。表紙がちぎれて本が遠くのほうへけし飛ぶ。
「こんどは序文」
ルルは表紙をほおりだしておいて、尻尾を振りながらそちらへ駆けて行く。はしがきのページをちぎってむしゃむしゃ食べてしまうと、涎をながしながらあとをさいそくする。
「よろしい。あっちへ持って行ってゆっくり読みなさい」
ルルは本をくわえて日蔭へ行って腹んばいになると、前肢の間に本を置いてページを舐め舐め上機嫌で読みだした。
庭からブラブラもどってくると、広縁の入口でパパにぶつかった。
「だいこん、今朝ほど二階の研究室へおあげになった本の中に、アンドレ・モロアの〈ホワット・ハプンド・トゥ・フランス〉が入っていなかったかね」
「入っていました」
「おあきでしたら、ちょっとお貸しねがいたいですね」
あたしはうろたえていった。
「あの本ならもうありません」
「いまあるといったじゃないか。ふざけないでちゃんといいなさい」
すこしずつパパから離れながら、あたしがいった。
「さっきあったけど、もう無いんです」
「どうして後退りなんかする。無いって、どうしたんだ」
「ルルが食べてしまいました」
パパがだまってあたしの顔を見ている。
「嘘じゃないんだ、パパ。さかんに食べている」
あたしはルルのほうを指さしてみせた。ルルはだいぶ〈フランス敗れたり〉が気に入ったらしく、二章目のはじめあたりをむしゃむしゃやっている。パパはたまげたようにいった。
「犬が本を食う!」
ママが広縁からいった。
「さっき本へバタを塗るといっていました」
パパが呆れたようにあたしの顔を見た。
「どうしてそうつまらないことばかりする。ちょっと伺うがね、今朝、二階へ持ってあがった本も犬に喰わせてしまうつもりなのか」
あたしが恐れいってだまっていると、パパがまたいった。
「本はいいが、それじゃバタがたいへんだ」
パパはパパだ。うまいことをいう。ママがなんともいえないしずかな声でいった。
「だいこん、ちょっとここへいらっしゃい」
「いま用があるから、あとで」
「あなたにおわたしするものがあるのよ」
「どうもありがとう。なんですか」
「まあ、そこへお掛けなさい」
あたしが椅子に掛けると、ママがいった。
「だいこん、あなたいくつなの」
「齢ですか、齢なら十八。わたすのは、そんなものなの」
「どれほど書いたひとが嫌いだって、本にあたりちらすなんて悪趣味よ」
パパはロッキングに掛けてママにやっつけられているあたしを痛快そうに見物している。
「そんな野蛮なことをするのは、ママはいやですね。手許へ置くのがいやなら、どこか見えないところへやればいいでしょう」
パパがベンチから弥次をとばす。
「あれはおれの本だ。勝手なことをしてもらってはこまる」
ママはなにも聞かなかった顔であたしにいった。
「あなたはもう十八にもなっているんですから、野性を発揮するのはいいかげんによさなくっては……ダンスをおしえるって上の陣地の若い兵隊さんをへとへとになるまでひきずりまわしたんですってね。見ていて気の毒なくらいだったって。どうしてそういい気になるんです」
畜生、どいつがいいやがったんだ。あたしがしずかな声でたずねた。
「どなたがそんなことをおっしゃったんでしょう」
「だれだってよござんす。それからこのあいだ彰子さんをひどく蹴っとばしたって」
「わかった。あいつがいいやがったんだな」
「あれはもうやらない約束だったでしょう。またはじまったんですか」
急に黙ったのであたしが参ったとでも誤解したらしく、ママ一流の修辞法でチクチクやりだした。
「あなたはじぶんの好きなひとや、じぶんの興味のあることだとすぐ夢中になってしまいますが、面白くないことや、嫌いなひとだとすぐ反撥して、倦怠の感じだけで疲れてしまうんです。あなたは小さなときから快活で、いくらかかあいいところもあったので、みながちやほやしたのを、じぶんがすぐれているためだなどと思っていい気になっているのかも知れないけど、それはあなたの考えちがいよ」
「そうです。あたしの考えちがいでした」
「あなたの欠点は、すぐ相手を見くびること。なにごとも勘でばかりやって、じっくり物事をやる習慣を持っていないこと。いくらか考えることが出来、おかしくない程度の文章は書きますが、数学はまったく駄目で、実物から離れると2とか3とかいうかんたんな数の観念さえ掴むことが出来ないことです」
ベンチからパパが助け舟をだした。
「こいつはみょうな機智を持っている。それは認めてやってもいい」
あたしはそれに飛びついた。
「ありがとう、パパ」
「しかしたいしたもんじゃない。自惚れるにおよばない」
このへんでいいだろうと思って、あたしのほうから要約して結論をつけた。
「犬に本を食べさせたりしないこと。十八にもなった以上、ひとを蹴っとばすような野性を発揮しないこと。みながちやほやするのをじぶんの徳のせいだなどと誤解しないこと。文章は書くが、2と3の区別も出来ないこと……これだけですね。よくわかりましたから、もうあっちへ行きます」
ママが立っていって、書物卓にのせてあった角ばった袱紗包を持ってもどってきた。
「これは、あなたのぶんの満寿子さんのお形見です。さっき満寿子さんのおばあさまがわざわざご自身でお届けくだすったのよ。ありがたく頂戴なさい」
あたしはニコニコしながら受取った。
「ルロンのハンド・バッグなんです。あっ、それにしてはいやに重いや」
袱紗をといてみると、ハンド・バッグどころか、黒表紙の古ぼけたノートが五冊、それもうんと分厚なのが出てきた。
「なんだ、これゃ。おばあさま、もうろくして、だれかのところへいくのを間違えて持っていらしたんだ」
ママがいった。
「お年は召していらっしゃるけど、あのおばあさまが、間違えたりなさるような方ですか。失礼なことをおっしゃるもんじゃありません」
「失礼でした……これゃ、とってもありがたいや。ではもう行きますから」
部屋へ帰ったが、いまいましくてたまらない。おばあさまはよく眼がお見えにならないもんだから、そばにあった黒いノートをハンド・バッグだと思って包みこんでしまったんだ。電話でおばあさまに文句をいってやろうと思ってベッドからはねおりたひょうしに、ノートが床へ辷りおちて見返しがあいた。
満寿子さんのすごくきれいな字で〈だいこん〉と大きく書いて、そばに〈“にんじん”のように〉と但し書きがついている。だいこんがにんじんのようだったら、八百屋はおおまごつきだ。なんだろうと思って読んでみると、この七年ぐらいのあたしの生態を、よくも見ていたものだと思うほど念入りにスケッチしてあった。
天使の足 アメリカへ行っていた六右衛門さんが、昨日パリへ帰ってきた。みなにお土産がある。珠子さんにはモザイックの美しい襟飾。長謙さんには黴の生えた古くさい初版本。だいこんにはゴムの巻脚袢のようなものをくれた。〈三十日で足をスラリと痩せさせる法〉という綺麗な説明書がついている。
だいこんのようなお嬢さんのために、アメリカにはこんな便利なものが発明されていた。毎晩これでしっかりと腓らっ脛をしめつけて寝ると、きっちり三十日で天使のような足にすることができると書いてある。つまり野放図にのさばっているやつに、しょうしょう窮屈な思いをさせてやるのである。
いままで統制などを受けたことがないので、ふくらっ脛はおさまらない。負けるもんかというので精いっぱいに反抗する。ゲートルのほうは面目にかけてそうはさせぬとがんばる。脛のほうが屁古たれて参ってしまい、腓がこむらの役をしなくなると、そこではじめて美脚法の目的を達するわけである。それにしても〈天使のような足〉とはうまくいったものだ。天使の足とは非実用の足のことである。ちゃんといいぬけができるようになっている。
六右衛門さんがゆっくり説明書を読みあげる、それからひどく真面目くさった顔でいう。
「まあ、やって見るんだね。どんなことになるか」
もちろんこれは六右衛門さんの冗談だ。こんないかがわしいものでだいこんの脛を台なしにするつもりはない。どんな顔をするか見てみたいだけのことなのである。痛がってどうせ二三日でかぶとをぬぐにきまってる。
六右衛門さんの意志はすぐみなに通じる。だいこんのパパもママも、珠子さんも、長謙さんも、どうするだろうと興味をもってながめていると、だいこんは書斎の隅のほうへ行って、なにかひとりでブツブツいいながら、ひっぱったり、ごしゃごしゃにしたり、しきりにいじくりまわしていたが、そのうちに気が無さそうにゲートルを本棚のうえへ放りあげると、プイとどこかへ行ってしまった。
「うっちゃりを喰ったかたちだね。これゃ」
だいこんのパパが六右衛門さんの横顔へチラと皮肉な微笑をおくる。長謙さんは油断しない。
「あれがだいこんの腹芸なのさ」
珠子さんが合槌をうつ。
「あたしもそう思う。あれで欲しくてたまらないとこなの」
「それじゃ、だいこんがかあいそうよ」
だいこんのママが肩をもつ。
「あれで、しゃらくなところもあるんですから、据りがいいぐらいに思っているかも知れないわ」
けっきょく、みなが考えているほどだいこんはじぶんの太い足を気にしているわけでないということに意見が一致した。
ところで三日ほどたつと、だいこんがみょうな歩きかたをするようになった。〈ファブル・デゾップ〉の蹠に荊を刺したライオンのような、見るからに悲壮な歩きかたをしている。
食堂へ入るとき、六右衛門さんがそれを発見した。
「おやおや、どうしたんだね」
だいこんがえらい勢いではねかえす。
「どうもしない。跛をひいているだけだ」
悠然とスープをしゃくっていたが、そのうちになんの予告もなく床のうえへ辷り落ちて気を失ってしまった。
おどろいてみなで長椅子へ運んで行ったが、そのときだいこんのスカートがまくれてチラとみょうなものが見えた。
大したことじゃない。パンフレットには〈夜寝るときだけで三十日〉と書いてあった。だいこんはそれを十五日でやっつけようとしたまでである。
西洋礼式 一週に二度、レオン・コストという西洋礼式の先生がやってくる。
珠子さん、山チイ、私の三人が、思いがけなく英国皇帝戴冠式の団体謁見と祝賀舞踏会へ出る身分をもらったので、大急ぎで英国式のお作法を習わなくてはならないのである。
コスト氏はむかし英国へ亡命したなにやら子爵の子孫で、いまパリで英国式作法教授の看板をあげていられる。宮殿の礼式やサロンの作法はもとより、ロンドンの四季や行事にくわしい。特製の“Little Londoner”といったところである。とりわけ熱い紅茶を音をたてずに飲むことがお上手で、先生もそれがお得意らしく、何杯となくおかわりをして奥儀をお示しになる。
ところでたまたま日本の緑茶が出ると先生はえらい音をたててズーズーと啜りこむ。安心してついうっかりやってしまわれるらしい。私たちはそんなことを荒だてる気はないから、なにもいわずにそっとしておく。しかし、だいこんは斟酌しない。ピアノの椅子に腰をかけて足をブラブラさせながら、怒ったような眼つきで先生の横顔を睨みつけていたが、とつぜん、
「ズーズー……えらい音だな」
とやりだす。珠子さんがあわてて眼で叱る。およしなさいってば。
だいこんは負けていない。容赦なくコスト氏に喰ってかかる。
「ふうん、日本のお茶なら音をたてて飲んでもいいんですね、コスト先生」
コスト氏は不意打ちを喰って眼を白黒にする。スースーと冷たい風を吸いこんで火傷をした舌を冷しながら立てなおす。この餓鬼め。
「さよう日本のお茶ぐらいならば、そう気をつかわなくとも、はあ」
それ以来、だいこんはひどい音をたてて紅茶を啜りこむ。日本のお茶は小鳥が水をのむように音をたてずにそっと喉の奥へおくりこむ。
流行 だいこんがパリの流行をリードしてやろうという大望をおこす。
二三年前に流行った伊太利風の大きな麦稈帽子をひっぱりだし、こねかえしたり踏んづけたりして洗面器のようなものをつくりあげる。
一生懸命に首をひねったすえ、けっきょく飾りには赤いトマトと花玉菜をつける。これにマヨネーズがかかっていたら、自動販売器の硝子箱の中におさまっている野菜皿そっくりである。
だいこんは大得意でフレッドさんを誘ってブゥルヴァルへおしだす。ところで、帽子の皿が浅いところへ野菜がひどく重いので、帽子は頭のうえに落着いていない。とかく鼻の上までズリさがる。
はじめのうちはそれとなく指で突きあげていたが、やがて精も根もつきはて、鼻のうえまで帽子をズリさげたまま、夕方の人ごみの中を「ごめん、ごめん」と手さぐりで歩いて行った。
つい五十時間ばかり前に死んだひとの肉筆……死ぬまであたしをかあいがってくれたひとの肉筆って、なんだか悲しいような気持にさせるものだ。なんということもなく、眼についたのを写しかけたが、こんなことをしてみたってしようがない。ママはまだ満寿子さんを誤解しているようだから、すこし読ませてやろうと思ってノートを抱えて階下へ行くと、ママは品のいいモオニングを着た式部官のようなひとを玄関から送りだしているところだった。
ママは急にいそがしくなった。パパの書斎へ行って長いことなにか話してから、燕尾服や大礼服に風を入れはじめた。
「ママ、なにかあるの」
ママはかんがえこんだまま返事をしない。ママは悧巧なひとだから、ひとと話をしながらなんでも考えることができる。考える顔つきでものを考えたりすることはめったにない。しばらくしてからママがいった。
「ダンス付きの茶話会なのよ。あなたルイーズさんのところへ行っていらっしゃい」
「いいよ、美容院なんか」
ママがほんとうに怒りだす前の、あのしずかな表情であたしの顔を見た。あたしは椅子から飛びあがった。
「はい、行ってきます」
「ママは出ますから、のそのそしていないで、すぐいらっしゃいよ」
「かしこまりました。夫人さま」
ママは大いそぎで身じまいをすると、訪問着に半礼装のシャールをかけて招待のお礼に行った。
どうも普通でない。茶話会や別荘会なら電話でお礼をいってすましてしまう。ヨーロッパにいるときだって、ユゥジェンヌ大公妃の夜会かパリ伯爵の大舞踏会ででもなければ、じぶんで答礼に行くようなことはなかった。
ママの居間へ行ってみると、鼬鼠の半外套や大礼用の長手袋までだしてある。あたしの知っているところは、ヴェルサイユのグラン・ギャラや大統領のレセプシォン付の晩餐会でも半礼装の夜会服でいいことになっていた。ホックが五つもついた肱まである長手袋をしたのは、戴冠式祝賀の団体謁見と帯勲者舞踏会が最後だった。パパにしても、日本へ帰ってからはめったにドレスコートなんか着ない。新任独逸大使のレセプシォンにも、めんどうくさがってタクシードですましてしまった。なにか格式の高い、たいへんな茶話会らしいのにママは隠している。
美容院から帰ってくると、応接間でマダム・オゥジエが待っていた。
「オゥジエさん、きょうはなんなの」
「さっきママからお電話があったんです。あなたのロオブ・ド・ギャラをおつくりするんですって」
三時ごろママが帰ってきてマダム・オゥジエと相談をはじめた。
「白でなく、赤にしていただくわ」
「そうでしょうか。それは赤にもよりますけど」
「いっそ濃い赤にしましょうよ」
「ではエスパニョール……明るい唐辛子色なぞ面白いじゃございませんか」
「血紅色なんかどうかしら」
「お嬢さまのような丸味では、ああいう野獣派の赤はいけませんわ。いっそ赤鉛筆色になすったら。いくぶん弱いですが、あれならお品もよろしいし、ヴァリュウも出ますから」
「じゃ、それにしましょう」
「それからフォルムですが……これはパトウですわ。この襞も結目もおかしなくらい無意味でしょう。ところがこれが全体をひきたてているんです。おわかりになりますでしょう。これはいかがですか」
「ええ、わかりますとも。パトウね……そう、全体をね……なんでもいいから真面目につくっていただきたいわ」
「どういうお向きなのでしょう」
めったにないことにママが顔をしかめた。
「ですから、真面目な向きなの。あなたはお上手だけど、すこしファンタスチックだという評判よ。こんどはそうでなくおねがいするわ。明日の正午まで。よくって」
「かしこまりました」
マダム・オゥジエが帰ると、あたしはママにたずねた。
「ロオブ・ド・ギャラを着る茶話会なんて、あたしはじめてだわ」
「あなたはほんとうの茶話会にいくどというほども出たことはないでしょう。ウィンナ風の正式な茶話会では、ロオブ・モンタントを着ることだってあるのよ」
「知ってるよ。でもそれはむかしのはなしでしょう」
「あなた、くどいのね。どうなすったの、きょうは」
「どうもしない。ただきいているだけだ」
ママがいきなり大きな声をだした。
「なんですか、そのおっしゃりようは。お退りなさい」
ママがこんなにひどく怒ったのは十年来のことだ。あたしはドアのところまでひと飛びにとんで逃げた。
「ごめんなさい、ママ。退ります」
あたしの性分として、腑に落ちないことをそのままにしておくわけにはいかない。パパなら話してくれるだろうと思って書斎へ出かけて行った。ノックしたが返事がないのでドアをあけてみると、パパは机の上にピストルのケースや油雑巾をだしっぱなしにしたまま、露台の硝子扉の前に立って庭を見ていた。
「だれだね。そこにいるのは」
「だいこん」
「なにか用ならママにいいなさい。パパはいまいそがしいから」
「ママじゃない。パパに用があるんです」
しばらくしてからパパがいった。
「じゃ、五分たってから来なさい」
あたしは廊下へ出て五分待っていた。入って行くとパパはじぶんの前のクリュブをさしていった。
「そこへお掛けなさい」
へんにていねいなので、あたしはたじたじになった。逃げだすほうがいいようだ。
「いそがしいなら、またあとで」
「まあいいから、そこへおかけ」
あたしは掛けながらでたらめをいった。
「うちでもいよいよ武装解除か。あのピストルは接収されるんでしょう。もう射撃会にも行けないんだね」
「敗けた以上、それくらいのことは当然だ。用事というのはそんなことなのか」
パパは泣いていたんだ。むやみにひッこすったのだとみえて、鼻のあたまや頬っぺたがひっぱたかれたように赤くなっていた。
パパがひとりで泣いている。またなにかあったんだろう。ひっぱたかれたようなパパの赤い頬を見ているうちに、茶話会のこともダンスのこともどうでもよくなった。あたしがいった。
「パパ、泣いてたの」
「行為としての戦闘は終ったが、戦争は終ったわけじゃない」
「そうですよ、パパ」
「ここで軍部がクウ・デタでもはじめたら、日本もご皇室もそれでおしまい。なにひとつ残りゃしない。もしそんなことになったらと思うとパパは泣かずにいられない」
「あたしなら、それくらいのことでは泣かない。まだなにもはじまったわけじゃないんだから」
「パパはお前とちがう。パパと日本のつながりは、お前の三倍だけ長いんだから、パパはお前の三倍だけ泣く権利があるんだ。たいした用事でなかったら、もうすこしそっとしておいてもらおう」
「じゃ、どうぞごゆっくり」
あたしが椅子から立ちあがっていった。