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逆徒
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逆徒
平出修
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 4 of 5

4

若い弁護人は斯の如く推断して、善意を以つて判官諸公を見送つた。

傍聴人は最初より静粛であつた。宣告を聞いてからも、一語を発する者もなかつた。退場と云ふときにも、唯々として列を正して出てしまつた。固より自分一身に関係したことではない。彼等は自らの生活の為、泣き惑ひ、悶えあがきこそすれ、それがこの事件と何の連絡があらう。彼等は彼等の好奇心をさへ満足させればそれでいゝのである。法廷の状況、被告の顔付、新聞の号外よりはいくらか早く知ることの出来る判決の結果。それ等の希望は悉く達することが出来た以上に、彼等に何の慾求があらう。

被告銘々にそれ/″\酌量すべき情状がなかつたか。有つても之を判官が酌量しなかつたか。それは判官として正当な遣方であらうか。中心となるべき四五人の関係事実と、其他の多数者の関係事実とが、全くかけ離れて居るものを、必ず一つの主文にしてしまはなければならないと云ふ法則でもあるのであらうか。それよりももつと重大な影響――かくも容易に多数の死刑囚を出したことより生ずる重刑主義の影響が、国民の精神教育にどんな利弊を来たすであらうか。……之等幾多の疑惑は決して傍聴人には起らなかつた。文明の裁判制度と云ふものは斯程迄に国民の信頼を受けつゝあるのであつた。

若い弁護人は、目前に現はれた死刑の宜告の事実を打消すことは出来ない乍らも、之が真実の出来事であるとはどうしても思へなかつた。二十幾人が数日後に死ぬ。いやどうして死ぬものか。此矛盾した考の調和に苦んだ。忽ち一つの考が頭の中に閃いた、鳴呼、判官は深く考へてゐる。被告は決して殺されることはない。一審にして終審なる此判決は宣告とともに確定する。之を変改することは帝王の力でも為能はざる処である。死刑は即ち執行せられ、彼等はみんな殺される。けれども彼等は死ない。判決の変改は出来なくとも、その効果は或る方法によつては動かし得ないでもない。或方法……或方法……。

若い弁護人は自分の席を起つて、被告席の方へ足を運んだ。自分の担任した二人の被告にある注意を与へようと思つたが為であつた。其被告は犯罪の中心からは遠く離れて居たものであつた。予審及捜査に関する調書上の記述よりも、被告が法廷でした供述を重んずるといふ主義の裁判官であるならば、彼等は当然無罪となるべきものであつた。少くとも不敬罪の最長期五年の科刑が適当のものであつた。何分にも今の裁判所では、予審及捜査に関する調書の証拠力に絶対の価値が附せられてある。事実の真相と云ふものは、検事及び予審判事が密行して調査した材料から組立てらるべきものであると信ぜられてある。調書は法律知識のある判検事が理詰で作上げたものであるから、前後一貫、些の矛盾や破綻を示さない。被告が公判に附せられたとき、被告の罪科は既に決定して動すべからざるものとなつて了つて居る。此意味に於て今の公判は予審の復習である。予審判事、検事が、極端に被告の自供を強要するの悪習は、この調書に絶対の証拠力を附すと云ふ公判判事の無識、無定見から由来して居ると云つてもいゝ。此事件の如きは殊に調書の作成に苦心したらしかつた。一代を震骸すべき重大犯罪事件の調書として、其数頁を繰つたものは、誰でも被告の自白なるものが、絶倫なる記憶力と放胆なる蛮性からでなければ、決して供述することの出来ない事実の供述から出来上つて居ることを看出し得たであらう。火を放つて富豪を劫掠しようと企てたとか、電気を東京全市に通じて一夜に市民を焚殺する積りであつたとか、聞くだに戦慄すべき犯罪計画を極めて易々と喋散して居る。斯の様な調書が存在して居て、それが裁判所の証拠資料の唯一無二なるものであるとすれば、被告はどこにも逃るゝ途はない。若い弁護人は、其担任に係る被告人に対して何時も気休めを云つたことはなかつた。彼等が無罪を信じ、軽い処刑を信じて居たときも、弁護人は常に首を振つた。

「そんな勇気のある裁判官は無いからなあ。」

しかし彼とても時々もしやと云ふ考を起さなかつた訳ではない。もし裁判官に、洞察の明と、果断の勇とがあるならば……、もしその明と勇とがあるならば……。被告等は無罪となるかも知れない。かう思つて終始法廷の模様に注意した。被告等の公判に於ける陳述を聞いて居ると、どうやら楽観的の気分にもなつて、之れなら大丈夫かも知れないと心に喜悦を感じて法廷を出る。が、家へ帰つて調書を翻へすと、何たる恐ろしき罪案ぞ、之れでは到底助からないと悲観しなければならなくなる。その悲観が事実となつてしまつて、被告等の予期は全く外れた。彼等は矢張り死刑に処せられた。若い弁護人は彼等の失望、落胆が忿懣に変じ、若くは自棄となつて、どんな無分別を起さぬとも限るまいと思つたから、慰藉とある希望とを与へたいと考へて、静に被告の席近く進んだのであつた。

被告席は四列になつてゐて、彼の担任せる被告等は第三列目の中程に居た。彼はその第四列目の右手の通路を隔てた処に、女囚の真野すゞ子が独放れて、一人椅子に凭つてるのを見た。彼女は彼を見て黙礼した。彼も同じく黙礼した。一語をも交したことのない女と、一語を交すこともなく別れて了ふのだと思つて、彼は或種の感じに撲たれた。

訴訟法上の形式として、総べての取調の終了したとき、裁判長は被告等に最後の陳述を許した。此許に応じて陳述したものが二人あつた。その一人はすゞ子である。

「長い間御辛労をかけましたが、事件も愈々今日でお仕舞となりました。私はもう何も申上ぐることもありません、又何も悔いる処はありません、私が只残念なのは、折角のヽヽが全くヽヽに終つたこと、それ丈であります。私が女だつたものですから……女はどうしても意久地がないものですから、……。それが私の恥辱です。私共の先人には、勇敢、決行の模範を示して死んだ人が沢山あります。私はその先人に対して寔に済まないと思ひます。私は潔く死にます。これが私の運命ですから。犠牲者はいつでも最高の栄誉と尊敬とを後代から受けます。私もその犠牲者となつて、今死にます。私はいつの時代にか、私の志のある所が明にされる時代が来るだらうと信じて居ますから何の心残りもありません。」

彼女がこんな陳述をして居たとき、若い弁護人は、片腹痛いことに思つた。彼女は何ものだ。何の理解があると云ふのだ。云はでものことを云ひふらし、書かでものことを書き散らし、警察の厳重なる取締を受けなければならなくなつて、無暗と神経を昂らせ、反抗的気分を増進させ、とどのつまりは此の如き犯罪を計画した。それが何の犠牲者である、何の栄誉と尊敬とが報いられる。元来当局者の騒ぎ方からして仰々しい。今にも国家の破壊が行はれるかのやうに、被告が往返する通路には、五歩に一人宛の警官を配置する。憲兵で裁判所を警戒する。裁判官、弁護人にも護衛を附す。こんなことは、彼女等をして益々得意にならせる許りである。革命の先覚者たるかの如くに振舞ふ彼女の暴状を見よ、苦しいことだ。

「私は一つお願があります。」彼女は尚饒舌をやめない。

「私はもう覚悟して居ます。此計画を企てた最初から覚悟して居ます。どんな重い罪科になつてもちつとも不満はありません。けれども私以外の多数の人々です。この人達は私共とは何の関係もありません。こんな犯罪計画は多人数を語つて居ては、とても成就することが出来ないものだと、最初から私は気付いて居ました。ほんの四人つ切りの企です。四人つ切りの犯罪です。それを沢山の連累者があるかの様に、検事廷でも予審でもお調べをなされました。それは、全く誤解です。その誤解の為、どれ丈け多数の方々が苦しみましたか、貴方方ももう御存じでいらつしやいます。此人達には年老つた親もあり、幼い子供もあり、若い妻もあります。何も知らない事でもし殺されると云ふやうなことになりましたら、本人の悲惨は固より、肉親や知友もどれ丈けお上をお怨み致しませうか。私共がこんな計画を企てたばつかりに、罪のない人が殺される。そんな、不都合な結果を見るやうになりますと、私は……。私は……死んでも……死んで死にきれません……」

彼女は段々に胸が迫つて来た。涙が交つて声は聞取れなくなつた。

若い弁護人も、彼女の此陳述には共鳴を感じた。いかにも女の美しい同情が籠つてゐると思つた。人間の誠が閃いてゐるとも思つた。本統に彼女の云ふことを採上げて貰ひたいと、彼自も判官の前に身を投掛けて哀訴して見たいとも思つた。

それもこれももう無駄になつた。彼女の顔を見たとき弁護人は刹那にその当時の光景を思起したのであつた。

彼女は美しい容貌ではない。たゞ口許に人を魅する力が籠つて居た。両頬の間はかなりに広く、鼻は低くかつた。頬の色は紅色を潮していつも生々して居た。始終神経の昂奮がつゞいて居たせいかもしれない。或は持病であると云ふ肺結核患者の特徴が現れて居たのかも知れない。被告等も退廷するときになつた。彼女が一番先になつて法廷を出る順序となつてゐる。若い弁護人が彼に黙礼した後直に、彼女は椅子を離れた。手錠を箝められ、腰縄がつけられた。彼女は手錠の儘の手でかゞんで、編笠をとつた。ここを出てしまへば、彼等は再び顔を合すことが出来ないのである。永久の訣別である。彼女は心持背延をしてみんなの方を見た。彼女の顔は輝しく光つた。すきとほつた声で彼女は呼んだ。

「皆さん左様なら。」云ひさま彼は笠で顔を蔽うた。すたすたと廷外へ小走りに走り出でた。

彼女の最後の一語が全被告の反抗的気分をそゝつた。

「ヽヽヽヽヽヽ。」

第一声は被告三村保三郎より放たれ全被告一同之に和した。

「ヽヽヽヽヽヽ。」

若い弁護人は耳許から突然に、喚呼の声を聞かされて、一時は呆気にとられて居た。

けれども之をもつて、彼等が真にヽヽヽ主義に殉ずるの声とは聞くべからざるものであつた。此叫声が彼等の信念から生れたものであると誤信する者は、此犯罪事件が彼等の信念から企画されたと誤信すると同じ間違を来たすであらう。彼等は判決に不服であつた。事情の相違、酌量の余地を全然無視した判決を彼等は呪つた。その不平の声の突発が即ち「ヽヽヽヽヽヽ」となつたのである。

若い弁護人は確に斯の如くであると解釈して自分の担任する被告の方を見た。その一人の如きは丸で悄然かへつて居る。とぼ/\して足許も危な相に見える。若い弁護人は第二列目と三列目との間の通路に身を置いて、自分の目の前を横切つて、廷外に出でようとする二人の被告の耳許に口を寄せた。

「落付いていろ。世の中は判決ばかりぢやないんだから。」

彼はかう云つて、此詞の意味が被告等に理解されたらしいのを見て、少しく安心した。

「いゝえ。もうどうなるもんですか。」

荒々しい調子で彼の詞を打消しつゝ通りすぎたものがあつた。見ると柿色の囚人服を着た外山直堂であつた。

此者は僧侶で、秘密出版事件で服役中、此事件に連座したのである。彼の法廷にありての、言語動作は終始捨ばちであつた。訊問の際職業を問はれたとき

「ヽヽ宗の僧侶でありましたが、此度の事件で僧籍を剥奪されました。私は喜んで之を受けました。」と答へて新聞種を作つた男である。

「あゝ、救ふべからざる人間だ。彼は全く継子根性になつてしまつた。」若い弁護人は、殊更に気丈さを装ふらしき此男の囚人姿を目送した。

弁護人控所は人いきれのする程、混雑して居た。どの顔にもどの顔にも不安と、驚きと、尖つた感情の色が浮んで居た。

「みんな死刑つて云ふことはないや。」

「検事の論告よりも酷い裁判だ。」

「本気なんだらうか。」

「なに。万歳を叫んだ。ヽヽヽの。」

「秋山も叫んださうだ。」

「あんまり云はん方がいゝぞ。」

若い弁護人は自分の担任した被告の妻と妹とに判決の結果を通知する電報を認めなければならなかつたが、こんなごたついて居る処では、それを認める余席もないと思つて、廊下へ出た。身を切る様な冷たい風が大きな階段の口から彼の熱した顔を吹きつけた。心持が晴々したやうに感じた。

「どうでした。」

彼の肩をそつと押へたものがある。見るとヽヽ新聞の記者であつた。

Chapter 4 of 5
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