花
花といふものを、しみじみ、美しいなあ、と感じたのは、この病院へ入院した次の日であつた。今は収容病室といふのが新しく建つたので、入院者がすぐ重病室へ入れられるといふことはないけれども、私が来た当時はまだそれが出来てゐなかつたので、私は入院するなり直ちに重病室へ入れられた。
私がそこでどんなものを見、どんなことを感じたか、言語に絶してゐてたうてい表現など出来るものではない。日光を見ぬうちは結構と言ふな、といふことがあるが、ここではちやうどその反対のことが言へる。たとへばあなたが、あなたのあらん限りの想像力を使つて醜悪なもの、不快なもの、恐るべきものを思ひ描かれても、一歩この中へ足を入れられるや、忽ち、如何に自分の想像力が貧しいものであるか、といふことを知られるであらうと思ふ。私もそれを感じた。ここへ来るまで色々とここのことを想像したり描いたりしたのだつたが、来て見て予想以上なのに吃驚してしまつた。膿臭を浴びたことのなかつた私の神経は、昏乱し、悲鳴を発し、文字通りささらのやうになつてしまつたのである。私は、泣いていいのか、笑つていいのか、また、無気味だと感じていいのか、滑稽だと感じていいのか、さつぱり判らなかつた。
そこは、色彩において全くゼロであり、音響においてはコンマ以下であり、香りにおいては更にその以下であつた。私の感覚は脅えて、石のやうに竦んでしまふばかりだつた。持つて来た書物が消毒室から帰つて来るまでの間、私は全く死人のやうになつてゐた。私はせめて活字を、文字を、思想の通つた、人間の雰囲気の感ぜられる言葉を、見たかつたのだつた。今でも忘れないのは、その時私の隣のベッドにゐた婦人患者が、キングだつたか、表紙の切れた雑誌を貸して呉れた時のうれしさである。私は実際、噛みつくやうにして今まで見向きもしなかつたこの娯楽雑誌の頁をくつたものである。
しかしなんといつても、自分の書物が、自分の体臭や手垢のしみついた本が帰つて来た時のよろこびは、それ以上だつた。私は涙を流さんばかりにして、その本を一冊一冊抱きかかへて見たり撫でまはしたりした後、ベッドに取りついてゐるけんどんの上に積んで置いた。それを眺めてゐる間、私はなんとなくほつとした思ひになつてゐた。
私がさういふ思ひをしてゐる所へ、誰だつたか忘れたが、花を持つて来てくれたのである。なんといふ花か、迂闊な私は名前を知らないが、小さな花弁を持つた、真紅な花であつたのを覚えてゐる。はなびらの裏側は幾分白みがかつてゐて、薄桃色だつた。華かではなかつたが、どことなく品の良いととのつた感じのする花で、私はもう夢中になつて眺めたものである。
それまで、私は花など眺めたことは丸切りなかつたのであるが、それからといふものはすつかり花が好きになつてしまつた。
この間、ある事情で四国の故郷までまことに苦しい旅をしたが、帰つて来ると私はまだ花の咲かないコスモスを鉢に活けた。舎の前に生えてゐたもので、私は指先に力を入れながら注意深く掘り返した。そこへ看護婦の一人が来て言ふことには、
「北條さんが花をいぢるなんて、ちよつとをかしいみたいね。」
なるほど、さう言はれて見ると私は野蛮人に違ひない。しかし、私は言つたのである。「平和に暮したいんだよ。何時でも死神が僕につきまとふからね。」
彼女は可哀想なといふ風な表情で私を見てゐた。