(七) 雑
これらの外に予の感じたる句を挙げんに
鳥一羽濡れて立ちけり朝桜
『類聚』に出でし句と覚ゆれど、予のはじめこれを見て艶麗の感に堪へざりしは、春水の『梅暦』の中にありしなり。当時『梅暦』を愛せし余波は俳句に及びて、この俳句を見るごとに幾多の聯想に打たれたるにやあらん。この句清婉なれども品格卑し。
秋やけさ一足に知るぬぐひ縁 重頼
言葉つき気に入らで、はじめは感服せざりしが、後に立秋を足の裏に感ずる処に感服せり。しかし善き句に非ず。
むつとして戻れば庭に柳かな 蓼太
端唄にて感心したり。この句厭味の頂上なり。
行き/\て倒れ伏すとも萩の原 曾良
情の極端を現してかつ萩の美をいへる処に感心せり。これは悪句にあらず。
長々と川一筋や雪の原 凡兆
この自然の句、初めは感ぜざりしが、後漸くこれを感ずるに至れり。これらや予が自然に入るの階梯なりしならん。
以上論ずる所は予が入門の第一歩にして、第二歩以後なほ幾多の邪路に迷ひしは言ふまでもなし。予が進歩の順序をいはば、初め貞徳派、天保調などに入り、次に『三傑集』一部によりやや天明、寛政を覗ひしも、僅に蓼太の俗調を称讃せしに過ぎず。漸く『七部集』(殊に「猿蓑」)に眼を開き、始めて元禄の貴ぶべきを知れり。その後あるいは『五色墨』に擬し、あるいは文化、文政に摸する所ありしが、終に蕪村に帰著す。予の進歩は近時の俳人の如く一躍して堂に上るが如き快事に遭遇せず、一歩々々刻苦に刻苦して漸くに進みたる者なれば、著き変遷は固よりあるべきはずなけれど、『七部集』を見て言ふべからざる愉快を感ぜし時は、始めて夜の明けたるが如き心地に、大悟徹底あるいはこれならんかなど、いたづらに思ひ驕りし事を記憶す。とにかく予が理窟を捨てて自然に入りたるはこの時なり。写実的自然は俳句の大部分にして、即ち俳句の生命なり。この趣味を解せずして俳句に入らんとするは、水を汲まずして月を取らんとするに同じ。いよいよ取らんとしていよいよ度を失す。月影紛々終に完円を見ず。
(明治三十二年二月)
●図書カード