Chapter 1 of 4
釣の法悦境
海釣りや磯釣り、さては湖沼の舟釣りを除くと、釣にはあるく事がつきものになつて居る。鮒も鮠も、足で釣れと云はれて居るほどである。実際未明の薄明や、有明の月光の下に釣場に到着して、竿を継いでリユツクを背に、魚籠を腰に、釣場をもとめて、釣りあるくたのしさは、単なるピクニツクなどゝは比較にならない。
夕暮れて帰路を急ぐ時の快い疲労は、魚籠の重い軽いに関係なく、満ち足りた気持ちを与へて呉れるのである。
若し溪谷釣りで、山中の流れを釣り登るのであるならば、一つの釣場から次の釣場迄岩をよぢ上り、山吹の叢を踏み分け、思ひもよらぬ萬古の雪に足を滑らせ、自然と戦ふたのしみは一入深いであらう。そして一日の労苦に重い魚籠を誇つて、遂に魚どめの滝で竿を収めて、さて山中暦日なき深山のまこと鄙びた山の湯に一夜の泊りをする時のうれしさ、それは釣人のみが知る法悦境であらう。
すべての肉体的運動のうち、大地を両脚で蹴つて進む歩行ほど、全身の筋肉を平等に働かせるものはないであらう。錬成の基本となる運動は歩行である。その歩行も駈足でなく、スタ/\とあるく歩行である。
歩行は脚部だけの運動ではない、腰部は云ふ迄もなく、腹筋も背筋も、進んではうなじの諸筋肉に到る迄、相当の活動をしなくてはならぬのである。唯強ゐて云へば、手の筋肉の活動が比較的少いだけである。幸にも釣人は一日中竿をふつて居なくてはならぬので、肩から手先の筋肉まで活動する事になるのである。
溪谷に沿つて釣り登る場合には、全身の筋肉の活動の程度は一層強いのである。