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恨なき殺人
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恨なき殺人
宮島資夫
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翻訳 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 4 of 7

四

池田は見張りに帰ると、鈴木に今日のことを話してから、

「所長は来たの」と訊ねた。

「今日はまだ来ないよ。昨日も来なかったのに」と変に笑ってから、

「来たからって坑内へ入るわけじゃなし、事務所で女の小言でも言ってる方が無事だんべ」と、わざと奥州訛りを出して言った。

その日も退けどきになると、池田は一番先きに山を下って、選鉱場の外から沼田を呼んだ。沼田は何時ものように包みを抱えて、ノシノシと出て来た。

「昨夜石山は何か言ってたかい」と池田はすぐに訊ねた。

「ううん、何とも言わねえ。奴さんまた碁を打とうってから、三番つづけて負かしてやった。時々お前の調子っ外れの声が聞えても、知らんふりをしてたっけ」

「でも今夜は何うかなるだろう。それで何とも言わなきゃ、彼奴もよっぽど唐変木だ」と、池田は沼田の意見を促すように言った。

「でも何とも解らんぞ。あんな耻知らずは、いざとなるとひっ腰が弱いから」と沼田は嘲るように言った。それでも池田は、今夜はどうにかなるものと、無理に考えてみた。

村境いの峠を越して、事務所の屋根が見えた時、池田の心は何となく緊張した。石山が何と言い出すだろうと色々に考えてみた。そして若し生意気なことを言ったら、足腰の立たなくなるほど打ちのめしてやろうとも考えていた。けれども、彼はまた、この位のことを大事らしく、くよくよ考える自分をケチ臭い奴だと思う気も起っていた。

事務所といっても、この村の旧家を借りた百姓家であった。茅葺きのダダッ広い家の、薄暗い台所の隅には、馬小舎も出来ていた。夏になると、蠅は真黒になるほど群り飛んでいた。この辺にはめずらしく、座敷には天井が張ってあったが、それすら木地も見えないほど真黒に煤けていた。縁側の柱についている刀傷は、水戸の天狗組が暴れた時つけたものだと言うのが、家主の婆さんの唯一の自慢であったが、それほど古い家であった。ただ、小高い畑の上に建っているだけに、向うの山に月の出た夜などは、山村らしい眺めがあった。

二人が帰って来た時は、石山は湯に入っていた。池田は縁側で草鞋を脱ぐとごろりと寝転んで空を仰いで、湯のあくのを待っていた。

西の空は赤くなって、黒くなった山影との色彩がクッキリと分れていた。畑の向うの崖下を流れる川面から立つ靄が、川向いの山裾をうっすらと廻っていた。

池田は包みを縁に投り出したまま、前の広場をブラブラ歩きながら、夕やけの空を仰いでいた。

石山が湯から上って来ると、沼田は、

「ヤ、ただいま」と挨拶をしたが、池田は黙って湯に入ってしまった。沼田も直ぐに後から来た。

二人が湯から上るころ、大谷や阿部が帰って来た。一人者の事務員だけ事務所に泊ることになっていたのであった。

湯から上ると、池田は縁側に寝ころんでいた。石山は黙って現場の報告書を見ていたが、何時ものように次の間には出て来なかった。石山は毎日定って晩酌をやった。みんなの食事が終ったころに、丁度その酔いの廻りはじめるのも毎日同じようであった。食い散らした膳を前においたまま、左の手に報告書を持って、酔ってドロンとした眼でちょいちょい見ながら、

「オイ、君、一寸」と誰かを呼んで、訳けのわからない質問をはじめるのが定りであった。池田はそんな時にはよく議論をした。

けれどもその晩は、晩酌がすんでも石山は黙っていた。

ランプをつけると、前の畑や、向うの山の葉蔭から、小さな虫が雲のように集って来た。若い事務員はその虫を防ぐために、又た面白半分に縁側の前でかがり火をたいた。風の加減で煙が座敷一杯に舞い込んで来ると、誰も外に出てしまった。夜はさすがに、山奥らしい涼しい風が吹いていた。空には夏らしく星が光って、山は黒く立っていた。

池田は広場の隅に積んである鉱石の俵に身をもたせて、空を仰いでいた。沼田がその傍で細い声で鼻唄をうたっていると、

「沼田君、昨夜のかたきを打とう」と、しまりのない声で石山が呼んだ。

「やりますかな」と云ってから、「よし、又小っぴどく負かしてやろう」と呟いた。

「この容子じゃ駄目だな」と池田が囁くと、

「黙っているなら打っちゃっとけよ」と言って沼田は座敷の方へ行って了った。

阿部も大谷も、仲間の家へでも行ったのか、姿が見えなかった。

池田は話し相手もなくなったので、暗い道をソロソロ歩きながら、下の方の仙太という酒店に行った。

村の娘を相手にして、少しばかりの酒を飲んで、夜風に吹かれて帰って来た時には、石山はもう寝てしまっていた。池田はホッと安心したような、好い機会を失ったのを惜しむような妙な気持ちになっていた。

明る朝、何時ものように現場に出かける時、池田は、

「これでもう済みかなあ」と沼田に言った。

「すみさ、どうせ奴等のするこたあこんなものよ」と沼田はうそぶいていた。

期待していたほどにもなく済む事のために、自分の生活を動揺させられるのは、随分馬鹿らしいことだと思った。けれどもそれと共に、このことが、何か長い退屈を忘れさせてくれたとも思っていた。そして彼は現場に出ると、何時ものように真暗な坑内を歩いたり、帳面をつけたりしていた。

萩野は彼の顔を見ると、

「別に騒ぎにもなりませんでしたか」と、嬉し相に言っていた。

Chapter 4 of 7
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