Chapter 1 of 30

投降

昭和二十年九月六日、北部ルソン、カピサヤンにて新聞報道関係者二十三名の先頭に立って米軍に投降。

「朝日」「読売」各三名、「同盟」「日映」各一名、その他は「毎日」関係者。カピサヤンといっても地図に出ていないから若干説明する。ルソン島の北端、アパリ近くでバシー海峡に流れ入る大河がカガヤン河。カガヤン渓谷――黒部渓谷などを連想しては大変な間違いで、実に広く大きな平原である――を流れて、そこを豊饒な土地にしている。この河に沿って、国道第五号線というのが、アパリから南下し、もちろん途中で河はなくなってしまうが、マニラにまで行っている。アパリから約二十キロにラロがあり、さらに二十キロ南下すると、東の方からドモン河という支流が合流する。このドモン河を溯ること約三十キロの地点にある小村落がカピサヤンで、我々は、そこからもっと上流のサッカランという場所から、投降のために下りて来たのである。元来我々新聞関係者の一部は新聞社の飛行機が台湾から救出に来るというので、五号線をもっと南へ行った処のツゲガラオ――ここは日本軍が最後まで守っていた飛行場所在地である――に三月末集合したのだが、米機の銃爆撃は激しくなるし、河向うからはゲリラが迫撃砲を撃込んで来るし、台湾、沖縄等の状況から判断しても、民間機の飛来など可能の余地が全くないので、五月末日、警備隊のS大佐の意見を参考として行動を起し、北上してドモン河の中流クマオ地区に移動したのである。この時軍の南下に従って南下したもの、ツゲガラオにとどまったもの、五号線を避けて――空からの襲撃と河向うからの銃砲撃のために、この国道筋は決して安全ではなかった――山伝いに北方へ行こうとしたもの等もあったが、僕等は真直ぐクマオに逃げこんだ。この地、河の両側約一キロが平地で、丘陵地帯がこれに接している。その丘陵も右岸のは密林におおわれ、敵機の攻撃に対しては安全だったが、地上部隊がすごい勢いで進撃してくるので、七月二十日前後から、野戦病院を初め、多くの非実戦部隊や我々みたいな非戦闘員が、さらに上流地区へ移動し、大密林の中で山蛭にくいつかれながら、いわゆる現地自活をやっていたのである。その内に終戦となり、師団参謀A中佐が米軍と連絡をとった結果、九月五日の病院と婦女子の隊をトップとして、約一週間にわたってドモン流域の各部隊が次々にカピサヤンで投降することになった。いわばこれは筋書を立て、スケジュールによる投降だったのである。向うから雨霰と大砲や小銃を撃って来る中を、白旗を振り廻して降参したというような、劇的な場面とは違って、至極事務的に、スムーズに行われたのである。このことについては、米軍当局の理解や好意、A中佐の努力等も、大きに関係したであろうが、僕としてはA中佐の通訳をつとめた本社〔毎日新聞社〕のE・M君の貢献すくなからざりしを信じて疑わぬ。その場に居合せたのではないから、もちろんはっきりしたことはいえないが、M君は本当に英語の出来る人である。いわゆるインタープレターも多く見たが、いい加減なのが多い。隔靴掻痒そのものである。投降の打合せというような場合には、それでは困るのである。本当に英語の出来る人が通訳として働いたことは、大きくいえば、ドモン流域所在の我々全体にとって、幸福だったといえよう。

さて六日午前七時、我々はドモン河を徒渉してカピサヤンに入った。僕はまず立派な道路がいつの間にか出来ているのに驚き、次に蠅がまるでいないのに驚いた。(その後も驚いてばかりいたから、「驚く」という動詞が今後何回出て来るか分らない。あらかじめお断りしておいた方がよさそうだ。)僕がクマオから上流地区に「転進」した時には、せいぜい水牛の通る小径だったのが、また、この時とて、渡河点の東岸までは、依然として小径なのが、こっち側へ来ると、舗装こそしてないが、六輪大型トラックが二輛ならんで通って、まだ余地のある大道になっている。その路の両側に一列に並び、装具を前に、武器を出して米軍の来るのを待った。もっとも武器といった所で、僕等の一行は二挺の拳銃を護身用として持っていただけだから、話は簡単である。それまで移動の途中、あちこちでひろった手榴弾が五つ六つあったけど、それ等はすでにサッカラン附近の深淵に投込まれてあった。

我々の宿営地に近く、とても満々と水をたたえた淵があり、いかにも魚がいそうな場所だったし、魚なんて一年近くも食っていないので、やって見ようという訳で、敵機の来ぬ時を狙って野球選手(どこのチームか知らない)のK君が裸になって河に入り、手榴弾を叩きこんだ。すると不発もあったが、そうでないのは大効果を現し、ボラ、コノシロ、鰺、サヨリ等々、別して前二者は一尺五寸以上の奴もあり、悪童どもは大饗宴を張ったことである。コノシロとか鰺とか、海の魚が河にいるのは変だが、事実いたのだから仕方がない。サヨリなんぞは群をなして泳いでいた。

さて、米軍側がいつ到着してもいいように、一同遠くへ行かぬように、隊列をみださぬように注意して、ボソボソ話をしていると、九時頃、自動車の爆音が聞え、大型のトラックが何台か現れた。それと前後して乗用車も着き、数名の米軍将校が日本の連絡将校と一緒にやって来た。M君の姿も見られた。間もなく、作業服の米兵が、チューイング・ガムを噛みながら、呑気な顔をして我々の前を歩いて過ぎ、引続いて武器の没収が終ると、トラックに四十人ずつだか乗れという命令が出た。僕は二台目のに乗り、側面のベンチに腰を下した。

Chapter 1 of 30