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「光景覩るがごとし……詳いなあ。」
多津吉は苦笑した。
振袖は案外真面目で、
「……お亡くなんなすってから、あと、直ぐに大層な値になって、近常さんの品は、そうなると、お国自慢よ。煙管一つも他国へ取られるな、と皆蔵込むから、余計値が出るでしょう。贋もの沢山になって、鑑定が大切だが、その鑑定を頼まれて確かなのが自分だって、按摩、(掌に据えて、貫目を計って、釣合を取って、撫でてかぐ。)……とそう云うんですッて、大変だわね。毛彫浮彫の花鳥草木……まあ私のお取次ぎは粗雑ですよ。(匂がする、)と言うくらいだから、按摩、それから、それへ聞伝え、思い込んで、(近常の事は余程悉いようだ。)と天狗様が、私にさ、貴方、おじぎの仕方から、もっ立尻の様子まで……その昨夜宿で聞いたっていう按摩の遣った通り――按摩は這いましたとさ、話しながら。――私は時々お酌をしながら聞いていて、その天狗様に這われたらどうしよう、と思ったんですよ。いかに私だって気味が悪い。」
「まさか、昼這う奴があるものか。」
と多津吉は投げるように言って再び苦笑した。
「だって、そこが魔ものじゃあなくって?……それに酔ってるんでしょう。ウイで沢山な処へ、だんだんスキッて来てるんですもの。」
「何の事だい、スキッて来るとは。」
「私にも分らない、ほほほ。」
と、片褄を少し崩すと、ちらめく裳、紫の袖は斜になった。
「承れ、いかに近常――と更る処だわね。手拭の床几でさ。東京に美術工業大博覧会がある。外国に対しても晴の仕事じゃから、第一は、お国のため、また県のため、続いては、親仁の名誉のため、心血を灌いだ出品をするように、――大仕事となれば、いずれ費用も掛ろう。手間も要ろう。官より直接とは参らぬが、そこは有志の資本家と内約が結んである。どうじゃ、親仁。お国のため。――はッというので、近常さん、(阿母喜んで下さい。)と、火鉢で茶を入れていたおふくろさんと、課長殿の顔を見て、濃い眉の下に露一杯。
不景気だし、註文は取れず、くらしも、かつかつ。簪は銀の松葉、それはまだ上等よ。煙管は真鍮まで承って、裁縫の指ぬきの、いまも名誉の毛彫の鏨が、針たての穴を敲いていなすったって処だって言いますもの、職人に取っては、城一つ、国一郡、知行されたほどの、その嬉しさ。――ああ、降ったる雪かな。――」
振袖は花やかに、帯の扇をぬいて開いて、片手を白く、折からこぼるる松に翳した。
「あとで御祝儀を遊ばせ。――法界屋の鉢の木では、梅、桜、松も縁日ものですがね、……近常さんは、名も一字、常世が三ヶの庄を賜ったほどの嬉しさで。――もっとも、下職も三人入り、破屋も金銀の地金に、輝いて世に出ました。仕上り二年間の見積の処が、一年と持たず、四月五月といううちから、職人の作料工賃にも差支えが出来たんですって、――それがだわね、……県庁の息が掛って、つなぎの資本をおろしていた大商人が、相場か何かで、がらがらと来て、美術工業の奨励、県庁のためどころではなくなったんです。資本が続かないでしょう。近常さんは幾度も幾度も課長どのへ逢いに行き、縋ってもみたんだけれども、横へ刎ねた頬髯が、ぐったりと下って弱っているの。人はいいんだわね、畳は汚ながっても、さ。
有志の後援を頼みにしたので、お役所にそんな金子の用意はなかったんです。さあ、そうなると頼んだ職人を断るにつけて、作料を渡すにさえ、御新造さんの記念の小袖。……この方はね、踊のお師匠さんでしたとさ。下方もお出来なすって、……貴方お聞きなさいよ。これなんだから、天狗様に熱を吹かれているうちにも、余計に、その近常さんが贔屓になったんですよ。……その小袖を年一度、七夕様だわね、鼓の調を渡して、小袖の土用干をなさる時ばかり、花ももみじも一時に、城も御殿も羨しくないとお思いなすった、その記念まで……箪笥はもうない、古葛籠の底から、……お墓の黒髪に枕させた、まあね……御経でも取出すように、頂いて、古着屋の手に渡りましたッて、お可哀相に。――」
と、さし俯向いて、畳んだ扇子で胸を圧えた。撫肩がすらすらと、薄のように、尾上の風に靡いたのである。
「お待ちないよ、この振袖。失礼ですが、……色はさめました、模様も薄くなりました。でも、それだけに、どんな事で、これがその御新造さんのお記念かも知れません。……この土地へ来ましてから、つい思いつきで、古着屋から買ったんですから。」
「ちょっと。」
「あら、なぜ、袖を引張らないの、持たないんです。」
多津吉は、妙に唇をゆがめながら、
「余り不躾らしいから。」
と云った、大島の知らず、絣の羽織の袖を、居寄って振袖の紫に敷いて熟と瞻たのであったが、
「せめて、移り香を。」
「厭味たらしい、およしなさい、柄にもない。……じゃあ私も気障をしてよ。」
するりと簪を抜くと、ひらひらの薄が、光る鞠のように、袖と袂と重った上へ、鬢の香を誘って落ちた。
「しばらくそうしていらっしゃい。――離れないお禁厭よ。」
「竜胆以上に嬉しいなあ。」
と、寂しそうに笑った。
「御挨拶だわね。――狐の尻尾よ。その実は。……暗くなったらひらひら燃えるかも知れませんよ。
いえね、狐火でも欲しいほど、洋燈がしょんぼり点いたばかり、それも油煙に燻って、近常さんの内はまた真暗になりました。……お正月がそれなんですもの。霜枯の二月をお察しなさい。お年よりは台所で寒の中の水仕事、乏しいお膳の跡片づけ、それも、夜のもう八時すぎ九時ぐらい。近常さんは、ほかに身の置場所のない仕事場で、さあ、こうなると酷いものです。……がら落の相場師は、侠気はあっても苦しい余りに、そちこち、玉子の黄味ぐらいまで形のついた。……」
ふと黙って、
「待って下さい、形は似ていますけれどもね、いま玉子を言っては不可い。ここへ、またお使者が飛んで来て、鶏の因縁になるんですから。」
「…………」
「そうね、ほんのりと雲と波が明くなったッて言いましょうか。それッていうのが、近常さんの一代の仕事として、博覧会へ出品しようとおもくろみなすったのが、尺まわりの円形の釣香炉でしたとさ。地の総銀一面に浮彫の波の中に、うつくしい竜宮を色で象嵌に透かして、片面へ、兎を走らす。……蓋は黄金無垢の雲の高彫に、千羽鶴を透彫にして、一方の波へ、毛彫の冴で、月の影を颯と映そうというのだそうですから。……
黄金の雲なんか真先よ。――銀の波も……こうなると、水盃だわね、疾のむかし、お別れになって、灰神楽が吹溜ったような、手づくねの蝋型に指のあとの波の形の顕われたのを、細工盤に載せたのを、半分閉じた目で熟と見まもって、ただ手は冴えても、腕は鳴っても、遣場のない鉄鎚を取りしめて……火鉢に火はなし、氷のように。
戸外は大雪よ、貴方。
……あら、簪が揺れるわ、振落そうとするんじゃあなくって?……邪慳よ。そうしといて頂戴、後生だから。
一時、……無念、残念に張詰めた精もつきて、魂も抜けたように、ぐったりとなったのが、はッと気が着いて、暗い間の内を見なさいますとね、向う斜の古戸棚を劃った納戸境の柱に掛っていた、時計がないの。
時計がさ、御新造さんが、その振袖の時分に、お狂言か何かで、御守殿から頂戴なすッたって、……時間なんか、何時だか、もう分らないんだそうですけれど、打つと、それは何ともいえない、好い音がするんです。一つ残った記念だし、耳の遠い人だけに、迦陵頻伽の歌のように聞きなすったのが、まあ! ないんでしょう。目のせいか、と擦りながら、ドキドキする胸で、棒立ちに、仕事場を出て見なすったそうですがね、……盗まれたに違いない。
――そういえば何だか、黒い影が壁から棚前を伝った気がする、はッ盗まれた、とお思いなさると、上下一度にがッくりと歯が抜けた気と一所に、内がポカンと穴のように見えて、戸障子も、どんでん返し――ばたばたと、何ですかね、台所の板の間を隔ての、一枚破襖に描いた、芭蕉の葉の上に、むかしむかしから留まっていた蝸牛が、ころりと落ちて死んだように見えたんですとさ。……そこが真白な雪になりました……突抜けに格子戸が開いたんです、音も何も聞えやしない。」
「もっともだね、ああ、もっともだとも。」
と呻くように多津吉は応じた。
「葉へも、白く降積ったような芭蕉の中から、頬被をした、おかしな首をぬっと出して、ずかずかと入った男があるんです。袴の股立を取っている。やあ、盗賊――と近常さんが、さがんなさると、台所から、お媼さんが。――
幕末ごろの推込じゃアあるまいし、袴の股立を取った盗賊もおかしいと、私も思ったんですけれどもさ。その股立が、きょろッとして、それが、慌てて頬被を取ると、へたへたと叩頭をしました。(やあ、大師匠、先生、お婆々様ッ。)さ、……お婆々様は気障だけれども、大層な奉りようなんですとさ。
柴山運八といって、近常さんと同業、錺屋さんだけれども、これは美術家で、そのお父さんというのが以前後藤彫で、近常さんのお師匠さんなんですって。――いまは、その子運八の代で、工場を持って、何とか閣で、大きな処を遣っている。そこの下職人が駆込んだ使いなんです。もっとも見知合いで、不断は、おい、とっさんか、せいぜい近小父、でも、名より、目の方へ、見当をつける若いものが、大師匠、先生は……ちょっと、尋常事ではないでしょう。
大切な事を頼みに来たの。
あの、大博覧会の出品ね――県庁から、この錺職へお声がかりがある位ですもの。美術家の何とか閣が檜舞台へ糶出さない筈はないことよ。
作は大仕掛な、床の間の置物で、……唐草高蒔絵の両柄の車、――曳けばきりきりと動くんです。――それに朧銀台の太鼓に、七賢人を象嵌して載せた、その上へ銀の鶏を据えたんです。これが呼びものの細工ですとさ。
工芸も、何ですか、大層に気を配って、……世の泰平をかたどった、諫鼓――それも打つに及ばぬ意味で……と私に分るように、天狗様は言ったんですがね。苔深うして何とかは分りませんでしたわ。……塚に苔は生えていません。」
と扇子の要で、軽く払うにつれて、弱腰に敷くこぼれ松葉は、日に紅く曼珠沙華の幻を描く時、打重ねた袖の、いずれ綿薄ければ、男の絣も、落葉に透くまで、薄の簪は静である。
「……その諫鼓とかの出品は、東京の博覧会で感状とか、一等賞とか、県の名誉になったそうです。――ところでですわね、股立を取った趣は、羽にうつ石目一鏨も、残りなく出来上って、あとへ、銘を入れるばかり、二年の大仕事の仕上りで、職人も一同、羽織、袴で並んだ処、その鶏の目に、瞳を一点打つとなって、手が出ません、手が出ないんですとさ。(おいでを願って、……すぐにおいでを願って、願って、大師匠、先生に一鏨、是非とも、)と言うんだそうです。……城下でも評判だったと言いますし、師匠の家だし、近常さんも、時々仕事中に、まあね、見学といった形で、閣へ行きなすったものですから、鶏の工合は分っています。
お媼さんは、七輪の焚落しを持っていらっしゃる、こちらへと、使者を火鉢に坐らせて、近常さんが向直って、(阿母、一番鶏が鳴きました。時計はのうても夜は明けます。……鶏の目を明けよ、と云うおおせ、しかも、師匠のお家から、職人冥加に叶いました。御辞退を申す筈なれども、謹んで承ります。)(おう、ようしてござれ。)お使者が、(やあ、難有い。)となりました。
お年よりが、納戸の葛籠を、かさかさとお開けなさるのに心着けて、(いや、羽織だけ、職人はこれが礼服。)と仕事着の膝を軽くたたいて、羽織を着て、仕事場の神棚へ、拝をして、ただ一つ欅の如輪木で塵も置かず、拭込んで、あの黒水晶のような鏨箪笥、何千本か艶々と透通るような中から、抽斗を開けて取ろうとして――(片目じゃろうね。)――ッて天狗様が、うけ売のうけ売で話をする癖に、いきなり大な声をしたから、私吃驚した!……ちょっと、おまけに、大目玉八貫小僧のように、片目を指の輪で剥き出すんですもの。……
職人も吃驚しましたって、ええと聞くと、(片目は富さんが入れましたでござりましょう。)――この富さんとかいうのはね、多勢職人をつかった、諫鼓、いさめのつづみの……今度の棟梁で、近常さんには、弟分だけれど相弟子の、それは仕事の上手ですって。