一
時雨に真青なのは蒼鬣魚の鰭である。形は小さいが、三十枚ばかりずつ幾山にも並べた、あの暗灰色の菱形の魚を、三角形に積んで、下積になったのは、軒下の石に藍を流して、上の方は、浜の砂をざらざらとそのままだから、海の底のピラミッドを影で覗く鮮さがある。この深秘らしい謎の魚を、事ともしない、魚屋は偉い。
「そら、持ってけ、持ってけ。賭博場のまじないだ。みを食えば暖か暖かだ。」
と雨垂に笠も被らないで、一山ずつ十銭の附木札にして、喚いている。
やっぱり綺麗なのは小鯛である。数は少いが、これも一山ずつにして、どの店にも夥多しい。二十銭というのを、はじめは一尾の値だろうと思うと、十ウあるいは十五だから、なりは小形でもお話になる。同じ勢をつけても、鯛の方はどうやら蒼鬣魚より売手が上品に見えるのも可笑い。どの店のも声を揃えて、
「活きとるぞ、活きとるぞウ。」
この魚市場に近い、本願寺別院―末寺と称える大道場へ、山から、里から、泊りがけに参詣する爺婆が、また土産にも買って帰るらしい。
「鯛だぞ、鯛だぞ、活きとるぞ、魚は塩とは限らんわい。醤油で、ほっかりと煮て喰わっせえ、頬ぺたが落こちる。――一ウ一ウ、二ア二アそら二十よ。」
何と生魚を、いきなり古新聞に引包んだのを、爺様は汚れた風呂敷に捲いて、茣蓙の上へ、首に掛けて、てくりてくりと行く。
甘鯛、いとより鯛、魴の濡れて艶々したのに、青い魚が入交って、鱚も飴色が黄に目立つ。
大釜に湯気を濛々と、狭い巷に漲らせて、逞しい漢が向顱巻で踏はだかり、青竹の割箸の逞しいやつを使って、押立ちながら、二尺に余る大蟹の真赤に茹る処をほかほかと引上げ引上げ、畳一畳ほどの筵の台へ、見る間に堆く積む光景は、油地獄で、むかしキリシタンをゆでころばしたようには見えないで、黒奴が珊瑚畑に花を培う趣がある。――ここは雪国だ、あれへ、ちらちらと雪が掛ったら、真珠が降るように見えるだろう。
「七分じゃー八分じゃー一貫じゃー、そら、お篝じゃ、お祭じゃ、家も蔵も、持ってけ、背負ってけ。」
などと喚く。赫燿たる大蟹を篝火は分ったが、七分八分は値段ではない、肉の多少で、一貫はすなわち十分の意味だそうである。
菅笠脚絆で、笊に積んで、女の売るのは、小形のしおらしい蟹で、市の居つきが荷を張ったのではない。……浜から取立てを茹上げて持出すのだそうで、女護島の針刺といった形。
「こうばく蟹いらんかねえ、こうばく蟹買っとくなあ。」
こう言うのを、爪は白し紅白か。聞けば、その脚の細さ、みどころと云ってはいくらもない、腹に真紫の粒々の子が満ちて、甲を剥がすと、朱色の瑪瑙のごとき子がある。それが美味なのだという。(子をば食う蟹)か、と考えた。……女が売るだけにこれは不躾だった。香箱蟹だそうである。ことりと甲で蓋をしていかにも似ている。名の優しい香箱を売る姉さんだが、悪く値切ろうものなら泡のごとく毒を噴く。
びしゃびしゃ、茣蓙を着て並んで、砂つきの小鰯のぴかりと光るのを売る姉えも同じで、
「おほほだ、そんな値なら私が食う。」
と、横啣えにペロリと舐める。
「活きものだ。活きものだ。」
どこも魚市は気が強い。――私は見ていたが――妙なもので、ここで鯨を売ればといっても、山車に載せて裃で曳きもしまいし、あの、おいらんと渾名のある海豚を売ればといって、身を切って客に抱かせもしないであろうが、飯蛸なぞもそうである……栄螺、黄螺、生の馬刀貝などというと、張出した軒並を引込んで、異に薄暗い軒下の穴から、こう覗く。客も覗く。……
つま屋と名づくるのが、また不思議に貝蛸の小店に並んでいて、防風芹、生海苔、松露、菊の花弁。……この雨に樺色の合羽占地茸、一本占地茸。雨は次第に、大分寒い、山から小僧の千本占地茸、にょきりと大松茸は面白い。
私が傘を軒とすれすれに翳して彳んだ処は――こう言出すと、この真剣な話に、背後へ松茸を背負っているようで、巫山戯たらしく見えるから、念のために申して置くが、売もののそれ等は、市の中を――右へ左へ、肩擦れ、足の踏交る、狭い中を縫って歩行いた間に見たので、ちょうど立ったのは、乾物屋の軒下で、四辻をちょっと入った処だった。辻には――ふかし芋も売るから、その湯気と、烏賊を丸焼に醤油の芬々とした香を立てるのと、二条の煙が濃淡あい縺れて雨に靡く中を抜けて来た。
「御免なさいよ。――連が買ものをしてるのを待ってるんですから。」
私と袖を合わせて立った、橘八郎が、ついその番傘の下になる……蜆の剥身の茹ったのを笊に盛って踞っている親仁に言った。――どうも狭いので、傘の雫がほたほたと剥身に落ちて、親仁が苦い顔をして睨み上げたからである。
八郎はこの土地うまれで、十四五年久振りで、勤めのために帰郷する――私の方は京都へ行く用があった。そこで自然誘われて、雪国の都を見物のため、東京から信越線を掛けて大廻りをしたのであった。
当国へは昨夜ついた。
八郎の勤めというのも、その身の上も、私が説明をするより宿帳を見れば簡単に直ぐ分る。旅店で……どちらもはじめてだが、とにかく嚮導だから……女中が宿帳を持参すると、八郎はその職業という処へ――「能職。」と認めた。渠は能役者である。
戸籍の届出は、音曲教師だというから、その通りなり、何とか記しようがありそうな処を、ぶっきらぼうに、「能職。」――これに対して、私も一工夫したいようにも思ったが、年の割に頭も禿げているし、露出に――学校教授、槙村と名刺で済ました。
霜月、もみじの好季節に、年一回の催能、当流第一人のお役者が本舞台からの乗込みである。ここにいささかなりとも、その出迎えの模様、対手方と挨拶の一順はあるべきだけれど、実は記すべき事がない。――仔細は別にあるとして、私の連立った橘八郎は、能楽家、音曲教師、役者などというよりも、実に「能職」の方が相応しい。
紋着、羽織、儀式一通りは旅店のトランクに心得たろうが、先生、細い藍弁慶の着ものに、紺の無地博多を腰さがり、まさか三尺ではないが、縞唐桟の羽織を着て、色の浅黒い空脛を端折って――途中から降られたのだから仕方がない――好みではないが、薩摩下駄をびしゃびしゃと引摺って、番傘の雫を、剥身屋の親仁にあやまった処は、まったく、「家。」や、「師。」ではない、「職。」であろう。
東京では細君と二人ぐらしで――(私は謡や能で知己なのではない。)どうやらごく小人数の活計には困らないから、旅行をするのに一着外套を心得ていない事はない。
あの、ぼっと霧雨に包まれた山を背後に、向って、この辻へ入る時だ。……
「魚市へ入るのに、外套で、ぞろりは変だ。」
と往来で釦をはずすと――(いま買ものをするのを待つと云った)――この男の従姉だという、雪国の雪で育った、色の抜けるほど白い、すっきりとした世話女房、町で老舗の紅屋の内儀……お悦という御新姐が、
「段々降って来るのに――勝手になさい。」
留めるのかと思うと、脱がして、ざっと折って、黒地の縞お召の袖に引掛けて取った。
「先生――」
ついでだから言うが、学校の教師だから、私を先生と――云う、私も時々、先生と云う。同じ事で……その紅屋のを、八郎が、「姉さん」と云うと、「兄さん。」と云う。「お悦さん。」と云うと「八さん。」と云う。従って、年も同じだと聞く。
「先生は土地のお客人だ。着ていらっしゃい。同じに脱ぐなんて串戯です、いや串戯じゃない。」
どうも、剥身屋の荷をかばうと、その唐桟の袖が雨垂に濡れる。私は外套で入交って、傘をたたんだ。