Chapter 1 of 4

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俺かい。俺は昔しお万の覆した油を甞アめて了つた太郎どんの犬さ。其俺の身の上咄しが聞きたいと。四つ足の俺に咄して聞かせるやうな履歴があるもんか。だが、人間の小説家さまが俺の来歴を聞くやうでは先生余程窮したと見えるね。よし/\一番大気を吐かうかな。

俺は爰から十町離れた乞丐横町の裏屋の路次の奥の塵溜の傍で生れたのだ。俺の母犬は俺を生むと間もなく暗黒の晩に道路で寝惚けた巡行巡査に足を踏まれたので、喫驚してワンと吠えたら狂犬だと云つて殺されて了つたさうだ。自分の過失を棚へ上げて狂犬呼ばゝりは怪しからぬ咄だ。加之も大切な生命を軽卒に奪るとは飛んでもない万物の霊だ。人間の威張臭る此娑婆では泣く子と地頭で仕方が無いが、天国に生れたなら一つ対手取つて訴訟を提起してやる覚悟だ。

生れて二タ月目位だな。悪戯な頑童どのに頸へ縄をくゝし附けられて病院の原に引摺られ、散三責められた上に古井戸の中へ投込まれやうとした処を今の旦那に救けられたのだ。

乳も碌に飲まない中に母犬には別れ、宿なしの親なしで随分苦労もしたが、今の旦那には勿躰ないほどお世話になつて、恰と応挙の描いた狗児のやうだと仰しやつて大変可愛がられたもんだ。坊様も嬢様も無類の犬煩悩で入らつしやるから、爰の邸へ引取られてからは俺も飛んだ幸福者で、今年で八年、終に一度餓じい目どころか、両に四升の鬼の牙のやうなお米を頂戴してゐた。憚りながら未だ南京米を口に入れた事の無いお兄いさんだ。

俺の血統かい。俺は尋常の地犬サ。雑りツけない純粋の日本犬だ。耳の垂れた尻尾を下げた瞳の碧い毛唐の犬がやつて来てから、地犬々々と俺の同類を白痴にするが、憚りながら神州の倭魂を伝へた純粋のお犬様だ。西洋臭い顔をした雑種犬とは、ヘン、種が違います。

元来俺の解らないのは無暗やたらに西洋犬を珍重する奴サ。一つ気序でに話して聞かせやう。犬の先祖は狼だといふが、之は間違で、「ドール」といふ山犬の一種だ。今でも英領印度の西境のミドナボールからシヤマルの間に棲んでゐる。世界の文明が悉く印度から来たやうに犬も矢張印度を母国として四方に蕃殖したのだ。尤も埃及では猫と同じやうに犬を尊んで川の神と祀つて、恰度ナイルの氾濫時分にシリヤス星が見えるので、此星を犬星と名けて犬を星の精だといつたものださうな。アツシリヤでも早くから犬を珍重して今の「マスチツフ」だの「グレイハウンド」だのといふ奴が在たさうだが、爾んな事は扨ておき、我々は印度の「ドール」から進化したのだといふが学者の一致した説である。狼や「ジヤカル」から発達したといふのは嘘だよ。我々同類を誣ゆるものだよ。

処で、此「ドール」といふ奴は痛く人間を嫌つて決して影を見せないさうだが、敏捷活溌で頗る猟が上手である。豹のやうな木に登るものや象のやうな図抜けて大きな身幹のものゝ外は何でも捕る。虎でさへが「ドール」に会つては辟易する。無論一疋と一疋とでは虎には及ばないが、「ドール」君は常に大隊を率ゐて一斉襲撃するから大抵な猛虎は忽ち殺されて了ふ。中々慓悍決死の大将軍である。少と味噌を上げるやうだが、先づ猛獣狩の功者と云つたら「ドール」先生だらう。天晴武勇の振舞は我々犬族の先祖たるに耻ぢずと云ふべしだ。

さて犬族一統の中で、此「ドール」君の風を最も能く伝へてゐるは我々日本犬だよ。耳から尻尾の具合、面貌までが頗る肖ておる。殊に勇武絶倫、猛獣を物ともせざる勇敢の気象が丸出しである。恐らく「ドール」君正統の嫡流だと信じますナ。独り日本犬ばかりでない、日本犬に似てゐる者は悉く勁勇無双である。西蔵犬、「エスキモー」犬、西比利亜犬、我々の兄弟分は何れも力が強く勇気があつてしたゝかな豪傑である。唯だ何れも未開の国で野法図に育つたお庇に歴史に功蹟を遺すだけに進歩しなかつたが其性質の勝れて怜悧で勇気のあるのは学者に認められておる。「エスキモー」犬が雪中橇車を牽いて数日の道を行つても少しも疲労しない事や、西比利亜犬が旅人を護衛して狼や其他の猛獣を追散らす勇気は実に素晴らしいもんだ。西比利亜では犬を「エンヌ」といふさうで語音が稍や似通つておる。或は日本犬と同種族であるまいかといふ説があるさうだが、如何さま宛もありさうな事だ哩。

それから我々は何しろ二千五百年の歴史ある国に生まれたのだからエスキモーや西比利亜の徒輩と違つて立派な来歴がある。桓武天皇九代の皇胤と列べ立てゝは緞帳の台詞染みて笑止しくないが、御歴代の天皇様から御鐘愛を蒙むつて恐れ多くも九重に咫尺し奉つた例は君達も忠君無二の日本人だから御存じだらう。勿論翁丸のやうな悪戯をして君の勅勘を蒙むつた者もあるが、我々は先づ君の御寵愛を忝ふした方だ。歴史で一番評判の愛犬家は北条高時どのだ子。高時殿は大不忠者のやうに歴史で散三に悪く云はれておるがお気の毒だよ。藤原氏以来朝敵の数が殖えてるが、畢竟政権与奪の争ひをして不利益の位置に立つたものが朝敵呼ばゝりをされたので、此神州に生れて誰か天子様に抵抗ふ不届者があるもんか。元来政治を行るに天子様を挿んで為やうといふは日本人の不心得で、昔日から時の政府に反対するものを直ぐ朝敵にして了うが、今でも忠君を自分達の専売にしたやうな気になつて無暗と反対者を不忠呼ばはりする者があるが悪い癖だ。己が勝手に尊皇愛国を狭く解釈して濫りに不敬呼ばはりするは恐れ多くも皇室の稜威を減ずる憚ある次第だ。誠に飛んでもない咄で、一番気の毒な目にあつて大悪党の帳本と誤解されたのは北条氏だよ。高時殿はどうせ家を滅ぼす奴だから難有い人物ではなからうけれど、一族二百人枕を並べて自殺した最期は心あるものの涙を濺ぐ種だ。楠殿が高時の酒九献肴九種を用ゆるを聞いて驕奢の甚だしいのを慨嘆したといふは、失敬ながら田舎侍の野暮な過言だ子。天下の執権ともある者が酒九献肴九種ぐらゐ気張つたツて驕奢の沙汰でもあるまいと、俺は思ふナ。這般な事をいふと例の大忠臣党が直ぐ犬畜生の言草だなんぞと云ひさうだが、人間様の仰しやる事が兎角御都合主義だから無慾な犬畜生の言草が却て道理に合つてる。……ホイ、話が迂闊り横道へ外れた。這般な議論はでも可いが、処で此高時殿が大の闘犬好きで其お庇で我々は大分進歩した。闘鶏、闘犬、闘牛の類を惣て野蛮だといつて悪くいふ者もあるが、人間様に角觝がある間は這般な事を云はれまいと思ふよ。尤も禽獣の角闘は血を流すからといふが、血を流すのは俺達の勝手で、勝負といふ味は人間様の相撲も俺達の仲間の角闘も変つた事は無い。相撲が筋肉の発育を奨励する間接の原因となると同様に闘犬は俺達の身躰を非常に強壮にし且つ勇猛な気象を養ふやうにした。それから高時殿と一対の愛犬家は五代将軍綱吉公だナ。犬公方と下々の仇口に呼ばれた位だから無法に我々同類に御憐愍を給はつたものだ。公の生類御憐愍を悪くいふ奴があるが、畢竟今の欧羅巴で喧ましくいふ動物保護で人道の大義に協つてるものだ。手段は少と極端過ぎたかも知れんが目的は中々立派なものだ。我々は左に右く御恩を荷つた身分だから今でも忝く思つてる。綱吉公は我々の為にはヱス基督だ子。此頃のやうな恐水病が恐ろしいからツて濫りに不幸な浪人犬を撲殺し、歴気とした御主人様でさへが、能く職分を守つて吠える者は直ぐ狂犬だと誣ひて殺して了う時勢では公の恩沢は今更のやうに渇仰するよ。現に俺の母親などは寃の咎で殺された。之が綱吉公の御代なら直ぐ敵を取つて貰へたのだ。

我々日本犬は高時殿以降屡々角闘を奨励され、早くから田猟にも用ひられたから他の野蛮国の産とは違つて、躰格も立派なら性質も怜悧で、殊に勇気があつて力勝れ、喧嘩と狩猟に極めて名人である。人種の気象は風土と相伴ふさうだが、我々犬族も多分爾うらしいのは日本人と日本犬と何から何までが能く似ておる。唯だ日本人の躰格は世界中或る黒奴を除きて最も下等であるが、日本犬の躰格は世界各国の犬と比較して中等以上どころか寧ろ上等に位しておる。我々犬の方が遥に人間様の君達よりは優等躰格なんだ。余り白痴にして貰うまいよ。

然るに君、黒船以来毛唐の種が段々内地雑居を初めてから、人間様の間でも眼色の変つた奴が幅を利かしたが、俺達犬社会では毛唐種に暴らされてイヤモウ散三な目に遇つた。尤も毛唐種には勝れて立派な上等な奴がある。俺も頗る感服しておる。「マスチツフ」の躰格の立派なのや、「ブルドツク」の剛情で馬鹿力のあるのや、「アルパイン、スパニヱル」の大慈悲心に富んでるのは大和魂の俺達も殆んど我を折つておる。だが、解らない事が一つある。人間様の中では雑種児が小さくなつてるが、犬の中では雑種までが西洋振りやがつて威張散らす。俺が朋輩の家禽や牛馬の夥伴では、日本産でも純粋種は大切にして雑種は賤んでおるさうだ。夫が当然の筈だのに、犬だけは雑種までが毛唐臭い顔付をしてけつかるは怪しからん咄だ。君達人間様が平生愛国者振るくせに我々大和犬族の優等なるを忘れて外国種の下等な性質を遺伝いだ雑種犬を珍重するとは何事だ。欧羅巴かぶれも爰に到つて殆んど沙汰の限りだ子。言語道断である。

純粋外国種だつて必と俺達より勝れてるわけでは無い。「テリヤー」や「ターンスピツト」や「プードル」のやうな奴は何所が好いんだか俺達には解らぬ。マルタ犬は一名を獅子犬と呼ばれてゐるが名ばかり立派でからもう弱虫な怯な奴だ。墨西哥犬は君達の掌面に載るやうな可愛らしい奴だが、俺達は何でも大きいのが好きだから小さい方で世界第一なんぞは余り下らんナ。夫から日本にも来てゐるが、矮狗位な大きさで頭の毛が長く幾条となく前額に垂れて目を覆してゐる「スカイ、テリヤー」といふ奴、彼奴はどうも汚臭くて、人間なら貧乏書生染みて不可んな。「ハウンド」族でも英吉利の「グレイハウンド」や露西亜「ハウンド」は躰格も立派で中々見栄がするが、伊太利「ハウンド」と来たら翫弄犬と言はれるだけに脊の高さが一尺、重さが唯ツた一貫目――「ハウンド」で厶るが凄まじいお笑草だ子。犬も国に伴れるもんで、伊太利のやうな美術国だから那様な細つこい繊麗な翫弄犬を生じたのだらう。且つ俺のやうな四つ足の分際では些と生意気な言分だが、伊太利も豈夫にウヰダやロンブロゾが舌を吐いて論ずるほど疲弊してもおるまいが、細つこい瘠せ身代でゐながら些と海軍力のあるのを鼻に掛けて東洋の猟場にチヨツ掻を出し中原の大豚の分配を取らうと小癪な所為をする所は、矢張伊太利「ハウンド」の気ばかり強くて随分足も達者だが忽ち疲れてベタ/\に閉口して了う具合と似てゐるやうだよ。俺達は夫れと反つて今まで自分の力量に気が附かず、雑種犬にまで白痴にされて段々田舎へ引込んで、支那の犬にさへ尻尾を下げて恐れ入つたもんだ。之からは最う負けるものか。鎌倉以来の負けじ魂を奮つて「マスチツフ」でも「ブルドツク」でもさア来い。対手になつて見せる。

なに、大層威張ると?……威張るとも、我々大和犬族は敢て毛唐種に譲らない力量勇気があるから子。元来君達からして甚だ不心得だ。といふは自分達は失敬ながら世界を知らないで蚊の臑のやうな痩腕を叩いて日本主義の国粋主義のと慷慨振る癖に、純粋日本種の加之も神州の産たるを辱かしめざる勇猛活溌なる我々を地犬々々と軽蔑しおる。怪しからぬ撞着な咄だ。

何だい、素晴らしい大気だと。そりやあ大気も吐かうさ。平生君達の我々日本犬に対する待遇が頗る不満足だからね。しかし近頃それがしの宮殿下が我々の夥伴を召されて浅からぬ御寵愛を忝ふするは我々の世の中に出る機運が熟したんだね。君達も平凡小説や平凡議論を書く暇があるなら日本人冥加に「猟之友」にでも日本犬主義を少と皷吹し給へ。そこへ行くと感心なは俺の旦那だ。暫らく洋行して世界で有名な犬を能く御承知で、「ポインター」や「セツター」は勿論日本人の余り知らない「シトリーパー」や「ラーチヤー」種の猟犬をお飼ひになつたが、爾ういふ犬社会に通じた方が矢張日本種は中々好いと仰しやつて俺を頭に都合三疋御扶持を給はつてゐる。君達は碌に犬を知りもしない癖に我々を地犬々々と軽蔑するが、憚りながら旦那のお邸では是でも日本犬様だよ。

俺の旦那は此位豪い方だから家内の方が揃つて悉皆豪いや。別して感心なのは嬢様だ子。齢は十九の厄年で名は妙子と仰しやる。君達に見せたいほどな好い御容貌だ。なに、既う知つてゐる? 中々油断のならない狼連だ。旦那や夫人が御心配なさるのも無理は無い。併し嬢様は滅法お怜悧だから子、君達のやうな間抜に喰はれる筈はないワ。第一、何処へかお出掛けになる時は毎でも俺がお伴を仰付かるから子、君達が指でもさせば直ぐワンと喰付く。麺包の一片や二片呉れたからつて容赦は無いよ。人間様の方は賄賂が効くさうだが、俺達の方ぢやア迚も駄目だよ。握飯で騙されるやうな半間な犬が此節がら有るものか。

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