古代の帝国主義
古代の帝国主義は、民族的観念を根本とせぬので、即ち種々雑多の異民族を征服集合するというのであった。例えば、希臘人は自国以外を野蛮国と呼び、これを征服するを主義としたのである。故に、かつてマセドニヤの使節は希臘の「エートリヤン」会議で他人種、即ち野蛮人バーバリヤンと我が希臘人とは永久に戦争すべしと叫んだ。
支那もまたその通りで、自国以外を東夷、南蛮、北狄、西戎といった。これは希臘人と同じである。漢武帝、成吉汗等は、その眼中に映じ来る他国を一々民族の如何を問わず征服するという、古代の帝国主義者であったのである。
羅馬に至りては、一層この古代主義を取ったのである。羅馬は民族の如何を問わず、一切これをその配下に入れるために征服主義を取ったのである。今日の「パン・ジャーマニズム」の如き民族的統一ではなく、同民族以外の者でも一切侵略征服せんとしたのである。換言すれば、羅馬は世界的主権を握るべく主張したのである。従って、亜細亜人でも、阿弗利加人でも、皆これをその配下に入れて、その上に世界的主権を立てるべく主張し、且つこれを実行したものである。この世界的主権の観念は一変して領土主権となり、終に東羅馬帝国並びに羅馬日耳曼「ローマノ・ジャーマン・エムパイアー」の滅亡と共に、現今の欧州列国の基礎が出来て、ここに初めて羅馬の世界的主権の観念は亡びたのである。とにかく、この羅馬の世界帝国主義は今日の如き民族的統一主義とは異なる。この世界主義に代りて起りたるものが、いわゆる民族的統一主義である。
一面に於て正統主義なるものがあって、国内に民族の異なるものあること墺太利の如くなるも、その国王の祖先がその領土を世襲すれば、その国王の正統なる後胤はこれを領有すべきもので、民族の異なるためにその国を分裂すべからずというのが正統主義である。この主義は維乙納会議の際にメッテルニヒ等の主唱したる有力の主義であるが、今これについては別に話さぬ。ここには昔の帝国主義、即ち民族に拘わらずすべての民族を征服せんとした例の羅馬の世界統一主義、あるいは漢の武帝、成吉汗、タメルラン、アレキサンダー等の採りたる主義より、今日の民族を根拠とせし帝国主義に変遷したる次第を話してみよう。