一 風俗の根本は夫婦に在り
人類の進化は風俗に支配さるること大である。而して風俗の根本は、主として宗教的意識より導かれるもので、宗教の原始的意識は昔の神話に現れ、その神話が漸次に進化して、多神教より一神教となるに至ったが、風俗の進化は即ちこの宗教の進化と相伴っている。人類は社会的動物であって離鮮索居の孤寂が忍び難く、友を求めて共に歓楽するを喜ぶ。その故にここに風俗なるものが形成される。而してそれが宗教的生活と深い因縁を結ぶは何故ぞというに、元来宗教的意識なるものはあるいは神を恐れ、あるいは超自然的の力を信ずる事に存するので、そのために自己もしくは自己の家族、更に自己の民族のために、あるいは災害を免れんことを祈り、あるいは幸福安全を与えられんことを祈るに至るのだが、その祈りは一人よりも二人、二人よりも三人と言うが如く、衆を加うれば加うるほど力を生ずるように感ずることは人情の自然である。これが即ち寺院教会等の起源を為すもので、宗教も畢竟社会現象の一たるものだ。然るに社会的生活には、多少その間に娯楽なき能わず。ここに於て、歌舞音曲がいずれの国、いずれの派の宗教にも必然に具在するので、原始時代よりその如く、今にもその原始的生活を持続する野蛮の間にそれが見出される。多数集りて厳粛に祈祷するや、やがて讃美歌を歌い楽器の声がこれを助ける。更に起って舞踏をする。これ人類自然の性情の発動であって、かくの如きところに人々相親しむの機会が与えられ、これが風俗の根本を為して、一郷一党より更にその輪波を拡げて一国一民族の間に及ぼすことになる。風俗に純あり、不純あり、善あり、悪あり、従って善果のみとは言い難く、悪果もまた頗る大なるものが有るけれども、それの如何に論なく、その社会に及ぼす力の甚大なる一事は承認せなければならぬ。
特に歌の起源を考うるに、有史以前未だ文学あらざるの時に在っては人々読書により、もしくは読書を聴聞することに由って快楽を取ることが出来なかったから、自然に歌なるものが生れた。文字なければ記録の以て事実を後世に伝うることも出来ぬ。これに於て物語が生れる。物語は即ち事実をば音調によって面白く排列し、これを諷誦すれば自ずから一種の声律を為して人の快感を誘うものであるから、つまりこれもまた一種の歌である。歌であるが故に、人々口より口に伝えて事実が永く後昆に伝わるものである。歌声の滑かに揚る処には自然に多く人が集る。即ちこれは社会的のものである。支那にも詩経あり、雅頌よりして各国の国風まで収録した詩集であるが、詩は之なり、志の之く所なりとも称し、孟子にも詩三百一言以てこれを掩えば思い邪なしともいい、我が朝の貫之もその古今集の序に於て「やまと歌は人の心を種として万の言の葉とぞなれりける」と説き、「花に住む鶯、水に住む蛙の声をきけば、生きとし生けるものいずれか歌を詠まざりける」とも述べおる如く、誠の声は能く人を動かす。人心を導く上に詩は最も有力なるものであるから、支那の哲学者達もこれを重視し、さてこそ詩経と称してその五つのバイブルの中の一に加えたのである。即ち孔子の如きは、「風を移し俗を易うる、礼楽より善きは無し」といっているので、既に楽といえば歌は必ずこれに伴う。彼は風俗を改むるにこれに優るものは無いと着眼したのである。上来論じ来りたるところによって自ずから分明なる如く、本来宗教的意識と芸術的意識とは、相離るる能わざるもので、而してこれが風俗の根本であり、それの向上するもここに於てし、堕落するもここに於てする。これ鄭の子産が音楽を聞いてその国の治乱を知ったゆえんである。支那の古代はかくの如く音楽に重きを置いたから、自ずからその雅正なるものの発達を見たのであるが、今や次第に衰滅し音楽と称すべきものの残存するものいくばくもなく、僅かに郢風鄭声に適する月琴の類があって、その花柳に弄ばれているくらいのものである。日本とてもまた同じく、一時雅楽は平安朝の宗教全盛期と共に大いに起ったけれども、僅かに三、四曲の大阪の天王寺辺にその余韻を止むるばかりで、その他は全く亡び了り、淫猥なる三味線がもっぱら温柔郷裡に跋扈し、緑酒紅灯の間を周旋するに止まる。琴曲ことごとく雅正ならずといえども、これを三味線に比すれば優にその選を異にするが、これの中流以上の家庭に幾分残存するのがせめてもの幸いである。国を憂うるの士は須らくこの間に瞑目一番、潜思すべきである。