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あの顔
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あの顔
大倉燁子
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번역 Pagera AI
원문 Public Domain
Chapter 3 of 3

3

彼女は言葉を続けて、

「愛子は日一日と可愛くなります。夫は家へ帰るのは赤ン坊を見るためで、愛子をあやしたり、抱いたりしています。愛子を中心としての話ばかりで、赤ン坊を離しては私達の夫婦関係というものは全く水のような冷めたいものになってしまうのです。それもまた私にとっては淋しい、つまらないものだったのです」

「しかし、赤ン坊がいるからまだいいのですよ」

「そうかも知れませんが、ある日、夫は縁側に出て愛子をあやしていましたが、突然ぎゅっと抱きしめ、頬ずりしながら、妾の名をよんだのです。私はハッとして、眼がくらくらとしました。ああ、夫は赤ン坊を通して彼女を愛撫している、と思うとむらむらとして、いきなり愛子を引ったくってしまいました。夫は不機嫌な顔をしてむうっと黙り込んでいました」

「気まりが悪かったんでしょうよ」

「私はそういう雰囲気にいるのが辛く、何とかして夫の心を和げようと思い、この子のおかげで毎日が楽しい、子どものない夫婦なんてつまらないでしょうねえ、と申すと、ふふん、子どものない妻なんか他人と同じだ、と、ぷつんと云って外へ出てしまいました。私はその言葉が頭にこびりついて離れませんでした。何年連れ添っても子どものない私は彼から見たら他人なのだ、そこへゆくと妾の方は別れても他人ではないのだろう、と口惜しくって、胸が燃えるようでした」

「男という者は勝手な事を云いますからね」

「それに愛子の顔が妾にそっくりで、眼つきだの、笑う口許だの、実に生き写しなのです。あの憎い妾に似ていると思うと、可愛さよりも憎らしくなるものですのねえ。愛くるしい眼をじいッと見詰めていると、いつかそれが赤ン坊でなくほんものの妾の顔に見えたりして、この眼で夫を惑わせたか、蕾のような赤い唇を見ると、夫の心を吸い寄せた憎い唇――と、思わず口尻を捻り上げて泣かせたりしました」と云って、彼女は虚のような声で笑った。

博士はいかにも興味深くその話に聞き入っていたが、

「愛子さんをいじめたりしては、なお御主人との間が拙くなるじゃありませんか」

「でもあんまりよく似ているんで、憎らしくなってしまいますわ。そして、恰度昨日の事なんですが」と云いかけて、身震るいしながら「夫と愛子の事で喧嘩したあとで、私はまだ興奮からさめきらず、むしゃくしゃ腹を立てているところへ弘さんがやって来たんです。また無心だな、この男も私に同情するような顔をして痛めつけに来るんだ、と癪にさわり――」

「無理もないな」

「で、私は突っかかるような調子で、またお金を貰いに来たの? と云うと、弘さんは恥しそうに顔をぱっと赤くしました。今日は駄目よ。そういつもいつも柳の下に泥鰌はいないわよ、ちっと河岸を変えたらどう? ときめつけてやりました」

博士は口許にちょっと笑いを浮べた。

「弘さんは何か口の中でぶつぶつ云っていましたが、丁寧に頭を下げて、すみませんが、今日は退っぴきならない事で金が要るのです。その金がないと僕は詐欺になるんです、どうぞもう一度だけ助けて下さい。拝みます。としおれ返って頼むのです。私は威丈高になって、何の真似? 拝んだりして乞食みたいだわ。あんたが詐欺になろうと烏になろうと私の知った事っちゃない。同情してやればつけ上って、来る度にお金々々なんだから、ほんとにいやんなっちまう。帰って頂戴よ。と呶鳴りつけてやりました」

「驚いたでしょう? あなたの権幕に――」

「弘さんはべそを掻くような顔をして部屋を出ました。襖を閉めるか閉めないに、私はまた声を張り上げて、お金が出ないと分ったらもう来まいよ、あの乞食は、――と、悪口を浴びせて、やっと、溜飲を下げたものです。すると、ガタンと何か襖に打つかる音がしました。振り向いて見ると、襖を蹴倒した弘さんが仁王立ちになって私を見下している、両の拳を握りしめ、歯をきりきりと鳴らし、眼を釣り上げているんです。発作だ! これから暴れ始めるんだな、狂った牡牛のように、――と思うとぞッと頭から水をかけられたように総毛立ちました」その有様をまのあたりに見るように震るえて、

「弘さんの顔はまるでお面を被ぶったように無表情になっているのを見ると、思わず私は愛子を抱いて身を退きました。同時に自分の云い過ぎを後悔したのです。弘さん、私が悪るかった、堪忍して頂戴、お金を上げるから、と云いました、が、金という言葉が一層彼の憤りの火に油をそそいだ結果になりました。金が欲しさに戻ったと思うのか、と云うや、いきなりそこにあった人形を叩きつけ、力を込めて手足をばらばらに引きちぎりました。その凄まじい権幕に私は夢中で庭へ飛び降りて逃げ出しました」

「愛子さんをどうしました」

「残して来た事に気がついて、引返したのです、が、ああ、先生、その時の私の驚きと恐怖はとても御想像がつきますまい。私は縁側に両手を突いたまま、釘づけになったように身動きも出来なかったのです。弘さんは赤ン坊の首を両手でしめつけていたんです、それから人形と同じように手足をちぎろうとしているのを見て、私は狂気のように彼に武者振りつき愛子を奪い近しましたが、その時はもう赤ン坊はぐったりとなって、死んでいました。その物音に馳け込んで来た女中は直ぐに派出所へ走ったのです。そして、先生、弘さんは殺人犯としてその場からひかれて行ったのです」

博士はたまりかねたように、

「浪子さん、よくわかりました。が、どうぞほんとの話をして下さい」と云った。

「え? 何を仰しゃるの? 先生、これが嘘偽わりのないほんとの話なんですわ」

「あなたは何故抱いていた赤ン坊を残して、一人で庭へ逃げたんでしょう?」

「?」

「正直な話を聞かないと、助けたいと思っても助けられなくなる場合が沢山あるんです」

浪子は黙って、うつむいた。

「引返して来て、あなたは赤ン坊を奪ったと仰しゃる。そんな馬鹿なことはあり得ませんよ。あなたは弘さんの狂暴になるのを承知している、故意に赤ン坊を残して逃げたと云われても文句ありませんね」

「飛んでもない。私はあんまり恐しかったので、気が転倒してしまって――」

「僕から云わせると、あなたは赤ン坊の顔が妾にそっくりで、それを見ていると憎くなると仰しゃった、その時已にあなたは手こそ下さないが、心には充分殺意を生じていたのだ、と、私は見ているんです」

「ああ恐しい、そんなこと、――先生、もう何も仰しゃらないで下さい。私はそんな悪い女じゃありません」

「なら何故ほんとの話をなさらないんです。せめて僕にだけ、――僕を信用して僕にだけ真実を語って下さるならば、僕は誓ってそれを漏らしもしないし、永久の秘密として葬ると同時に、弘さんのために極力尽力もしましょうし、また、あなたをも救って上げます。あなたをも、但し、――あなたが強情を張って、飽くまで自分に都合のよいような創作話をされるならば、この弁護はお断りいたすほかありません」ときっぱりと云った。

浪子は憤然としていたが、やがて、彼の足許にひれ伏すように両手をついて、

「すみません。先生まで欺こうとした私は何というお馬鹿さんでしょう。先生、私は神父様へは真実の告白をしました。赤ン坊を殺したのは私です。にっこりと笑ったあの顔、――あああの顔が、こんな罪をつくってしまったのです。あまりにも妾に似ていたので憎悪の念がむらむらと湧き、その羽二重のような柔かい頸に手が触れると、あとはもう何もわからなくなってしまいました。気がついた時、赤ン坊は死んでいたのです、そこへ弘さんがやって来たので私は愛子を戸棚にかくしました。極度に興奮していたのと、弘さんに見られなかったかという不安とで、私は気狂いのようになり、無茶苦茶に悪口を彼に浴びせかけたのです。すると果して彼は怒り、意識喪失になったので、これ幸いと赤ン坊を弘さんの傍へ置いて、彼が夢中の裡にしめ殺したものとしたのです。ところが、警官に連行される時、弘さんが私の耳にささやいたのです。僕は浪子姉さんの境遇に心から同情してるんだ、姉さんがあんまり可哀想だから罪は僕が背負って行く、僕の好意を無にしてはいけませんよ。僕は最初から廊下で、すっかり見ていた。今日だけは僕は正気だった、意識喪失症状なんか起しちゃいなかった、あれは僕の芝居です。浪子姉さん、どうぞ幸福に暮らして下さい。と申したのです。私の罪をきて裁かれる彼の事を思いますと、私は一層自首しようかとも考えますが、それでは弘さんの心に反く事にもなりますし、ああ、どうしたらよろしいのでございましょう」浪子は身をもだえて泣き伏した。

「約束通り、僕はいまの話は聞き流して永久に忘れてしまいますよ。ね? そして、極力弘さんを救う事に努力しましょう。意識喪失者は精神病患者ですからね。なあに、気狂いは何をするか知れませんよアハ……」

●図書カード

Chapter 3 of 3
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