悪魔の使者
「くそッ! また鳩だ。これで四度目か」
立松捜査課長は、苦り切った表情で受話機を切ると赤星刑事を顧みて、吐き出すようにそう言った。
平和の使者と言われる鳩が、悪魔の使となって、高価な宝石を持つ富豪の家庭を頻々と脅かしているのである。
この訴えを聞いてから早くも一カ月余りになるが、未だに犯人の目星さえつかず、あせりにあせっている矢先、またしても今の訴えだ。
「今度は誰です?」
赤星刑事は、眼を輝かしながら、急き込むように尋ねた。
「杉山三等書記官の処だ。氏は目下賜暇帰朝中で東京にいるが、明後日の東洋丸で帰任することになっている。君も知っての通り米国娘と婚約中なので、お土産に素晴らしいダイヤを銀座の天華堂から買ったんだ。それが昨日の午後だ。ところが今日五時頃外出から帰ってみると、大きな包みが届いている。それが君、例の鳥籠なんよ。中にはお定まりの伝書鳩が一羽入っていて、その脚に手紙と小さな袋が結えてあり、
汝が昨日求めたダイヤをこの袋に入れ、鳩につけて放すべし。もしこの命令に反かば、汝の生命無きものと覚悟せよ。
と例の凄い脅し文句が書いてあると言うんだ」
捜査課長は立上りながら、外套に手を通すと、
「さ、これから杉山氏の処へ急行だ。君も一緒に頼む」
緊張に面を硬ばらして言った。
二十分の後。
立松は赤星刑事を伴って、グランド・ホテルに杉山書記官を訪ねたのである。
そこには例の鳥籠を囲んで、早くも二三の人が、騒がしく話し合っていた。
瀟洒な服装をした背の高い男がこのホテルの支配人、でっぷり肥った五十がらみの赤ら顔が宝石を売った天華堂の主人、三十七、八と思える洋装の美婦人が保険会社の外交員岩城文子である。
「僕は、僕は、こんな脅し文句で絶対に出すのは厭です、昨日ダイヤを求めると、すぐ保険を附けたのです。ですから、この手紙を受取ると、天華堂さんと、岩城さんに急いで来て頂きました――」
杉山は、すっかり興奮していた。別段紹介したわけではないが、天華堂主人と岩城文子とは立松と赤星の方を向いて丁寧に頭を下げた。赤星はこの二人を注意深く見た。天華堂の節くれ立った大きな太い指には三カラットもありそうな立派なダイヤが光っていたが、岩城文子の華奢な細い奇麗な指には一つの指輪さえなかった、こんな指にこそダイヤも引立つだろうのに――、と思った。赤星にじっと見られて、彼女は心持ち顔を赤くしながら、微笑してつつましく控えていた。
立松は、鳥籠及び白絹の小袋、手紙を丹念調べていたが、
「これを持って来た者の人相その他は分りませんか?」
この間に、支配人が一膝乗り出した。
「御出発前の杉山さんには、毎日色々の贈物が届けられますんで、別に気にも留めず、ボーイが受取ったそうですが、眼の下に青い痣のある大きな顔の男だと申して居ります」
この時杉山は立松の方に向をかえて、
「いま、天華堂さんから鳩に就いての恐しい話を聞かされたところですが――、一体事実なんですか?」
表面平気を粧いながらも、内心の尠からざる不安は、その面持でハッキリ見てとれる。
立松は眉を顰めながら首肯いて、
「困った事ながら事実です――一ヶ月ほど前有名な実業家富田氏が、高価なダイヤを求めた数日後、同様の方法で脅迫されました。氏は警察の保護を受けてその要求に応じなかった処、無惨にも何者かに殺害されました。
続いて同じ手段でまた一人、そして第三番目が、百万長者宝田銀造さんの夫人です。この人は先方の要求通り、鳩にダイヤを附けて放したため、未だに無事です。で、貴君が四番目に見込まれたというわけです」
額を押えていた杉山氏の手は、俄に身辺の危険を知って、微かに震え出した。
「何とか、――何とかお助け願えないでしょうか?」
「全力を挙げています」
「鳩を飛行機で追いかけたら、どうでしょう?」
「海か沙漠ならいざ知らず、東京及びその近郊では絶対不可能です。犯人はこの弱点を巧におさえている強か者、いかにすれば犯人を誘き出せるかが問題です」
立松は思い出したように煙草に火をつけて、
「このダイヤを買ったのを知っている人は何人ありますか?」
杉山に訊問するように聞いた。
「僕と天華堂と岩城さんと――」
この時天華堂が横から口をはさんだ。
「手前共の店員は大抵存じて居ります。それから――、もう一人――」と云って、ちょっと廻りを眺めて、天華堂主人は何か躊躇した。
「もう一人は誰だ?」
「佐伯田博士でございます。――鳩の脅迫が評判になってからは、店へ出入する者には特別の注意をしています。昨日、杉山さんがダイヤをお買い上げになった時でした。一人の立派な紳士がずっと入って来られ、『ショー・ウインドウにある真珠の頸飾を見せてくれ』と云うのでお見せしたら、『僕はこれと恰度同じようなのを買ったから、値段と品質とを較べてみたいと思ったんだ』と、見ただけでさっさと帰って行くので、時節柄怪しいお客さんだと思い、調べたら佐伯田さんというお金持の弁護士さんで、手前共仲間の大きい店へは悉く行ったそうです」と、天華堂主人は少し得意になって説明した。
赤星は天華堂の顔をじっと見ながら云った。
「その佐伯田博士というのはどんな人だった?」
「痩せた背の高い、がっちりした人です。鼻眼鏡をかけていて、ちょっと西洋人みたいな顔をしていました」
「店員の他に知っているのはその人だけだな、イヤ有難う」と立松は質問を打ち切り、「して、杉山さん、貴方はどうなさいます?」
と訊いた。
「この鳥籠は気味が悪いから警視庁で預って下さいませんか。――脅迫状位で予定変更も余り意気地がない。僕は、断然明後日出発します」ときっぱり云ったが、その顔は青褪めていた。
「ああそうですか。貴方が安全に船に乗込むまで、警察の方で保護します。赤星君、万事君に任せる、無事に出発させて上げろ」
杉山はほっとしたように微笑して言った。
「いやどうも、有難うございます。そうして下されば全く安心です」
天華堂は眉をよせて心配そうに、
「次ぎの船になすったらいかがです? この際外出は一番危険です、当分家の中にいて様子をごらんになったが安全だと思いますがね」
「まさか途中で殺されることもあるまい。それに赤星さんがついていて下さるから、心配はないよ」
と杉山は幾分朗らかになった。