二 山間の夜路
徒歩して、栗生峠を越ゆ。天氣となりて、邪魔になるは、澁川にて買ひたる傘也。されど棄つるも惜しければ、いや/\ながら持ちゆく。いよ/\進むに從つて、黄に紅に、山はいよ/\明か也。他所には見難き桑竝木の中を通りて、千歳橋に至る。橋の下は例の澄める片品川也。數町の間、兩岸は絶壁にして、水急湍を成し、虎踞し、龍躍るの概あり。一同立ちどまりて、これは/\とばかりに感歎す。橋を渡れば、追貝村にて、物賣る店あり。旅店も三つ四つあり。裸男數年前、こゝの一旅店にやどりしことありけるが、今來て見れば、主人もかはりて、木賃宿となり居れり。滄桑の感なしとせず。追貝に名高き『龍宮の椀』は閑却して、吹割の瀧を見る。利根の一支流なる片品川とは云へ、餘程の水量あり。幅四五十間、全石を底となし、水其上を蓋うて流る。その底一落し、乙字形を成して、瀧之に懸る。中央は瀧と瀧と相鬪ふ。水力電氣の工事の爲に、少し風致を損したれども、なほ天下無類の奇景也。
日は暮れむとす。追貝に宿らむか、明日金精峠を越ゆる能はざるべし。明日金精峠を越えむか、今日、もそつと進みおかざるべからず。終に、進むことに決し、途に提燈と蝋燭とを買ふ。その提燈は、小兒の玩具にするものにて、極めて小にして、赤く色どりたり。蝋燭の大きさは、紙卷の煙草ぐらゐに過ぎず。最も年若き十口坊、提燈持となり、先に立ちて行く。四面暗黒にして、唯左方に片品川の水音を聞く。追貝より一里半なる須賀川村に宿屋ありといふを當にして、須賀川村に著きたるに、宿屋はありたり。されど『部屋ふさがり居れり』とて斷らる。仕方なし、進まむ、進まむと、失望してぐずつく夜光命を促して行く。鎌田村にて、やつと乞ひて、物賣る家に宿るを得たり。
草鞋を脱いで、店先に上れば、折しも買物に來れる一紳士。じろ/\裸男の顏を眺めしが、圖らずも裸男の名を稱す。『明日金精峠を越ゆ』と云へば、『御案内申さむ』といふ。座に請じて共に飮む。千明林藏といふ人にて、豫備の陸軍少尉、在郷軍人會の片品村支部長なるが、四五年間米國に遊歴せりとて、詳かに米國の事を説く。山村には思ひもかけぬこと也。扇持ち來りて揮毫を乞ふまゝに、裸男惡筆を揮ひて、
米國を語る山家の夜寒かな