Chapter 1 of 1

Chapter 1

ある男が、牛に重い荷物を引かせて町へ出かけたのであります。

「きょうの荷は、ちと牛に無理かもしれないが、まあ引けるか、引かせてみよう。」と、男は、心の中で思ったのでした。

牛や馬は、いくらつらいことがあっても、それを口に出して訴えることはできませんでした。そして、だまって人間からされるままにならなければなりませんでした。

牛は、その荷を重いと思いました。けれど、いっしょうけんめいに力を出して、重い車を引いたのです。

街道をきしり、きしり、牛は、車を引いて町の方へとゆきました。汗は、たらたらと牛の体から流れたのでした。松並木には、せみが、のんきそうに唄をうたっていました。せみには、いまどんな苦しみを牛が味わっているかということを知りませんでした。野原の上を越え、そよそよと吹いてくる涼しい風に、こずえに止まって鳴いているせみは眠気を催すとみえて、その声が高くなったり、低くなったりしていました。

牛は、心のうちで、せめてこの世の中に生まれてくるなら、なぜ自分は、せみに生まれてこなかったろうとうらやみながら、一歩一歩、倦まずに車を引いたのであります。

男は、手綱の先で、ピシリピシリと牛のしりをたたきましたが、牛は、力をいっぱい出していますので、もうそのうえ早く足を運ぶことはできませんでした。さすがに、男も、心のうちでは、無理をさせていると思ったので、そのうえひどいことはできなかったばかりでなく、またそのかいがなかったからです。

それに、真夏のことであって、いつ牛が途の上で倒れまいものでもないと思ったから、よけいに心配もしたのでした。

街道の中ほどに掛け茶屋があって、そこでは、いつも、うまそうな餡ころもちを造って、店に並べておきました。男は、酒呑みで、餡ころもちはほしくなかったが、牛が、たいそうそれを好きだということを聞いていましたから、やがて、その家の前へさしかかると、

「どうか、この荷物を無事に先方へ届けてくれ。そうすれば帰りに餡ころもちを買ってやるぞ。」と、男は、牛にいったのであります。

その言葉が牛にわかったものか、牛は重そうな足どりを精いっぱいに早めました。そして、その日の午後、町の目的地へ着くことができたのであります。

男は、そこで賃金を、いつもよりはよけいにもらいました。心のうちでほくほく喜びながら、牛にも水をやり、自分も休んでから、帰りに着いたのでした。

「牛もたいそうだし、自分も骨だが、多く積んで積めないことはないものだ。すこしこうして勉強をすれば、こんなによけいにお金がもらえるじゃないか……。」と、手綱を引いて歩きながら考えました。

町を出てから、田舎道にさしかかったところに居酒屋がありました。そこまでくると、男は、牛を前の柳の木につないで、店の中へはいりました。彼は、有り合いの肴でいっぱいやったのでありました。そして、いい機嫌になって、そこから出たのであります。

その間、牛は、居眠りをして、じっと待っていました。牛は疲れていたのです。赤々として、太陽は、西の空へ傾きかけて、雲がもくりもくりと野原の上の空にわいていました。

男は、牛を引いて、やがて餡ころもちを売っている店の前へかかりますと、その時分から、ゴロゴロと雷が鳴りはじめました。

「あ、夕立がきそうになった。ぐずぐずしているとぬれてしまうから、今日は我慢をしてくれな。明日は、きっと餡ころもちを買ってやるから。」と、男は牛にいいました。

牛は、黙って、下を向いて歩いていました。男は、けっしてうそをいうつもりはなかったのでしょう。すくなくも哀れな牛にはそう信じられたのでした。

明くる日も男は、昨日と同じほどの重い荷を引かせたのです。牛は、汗を滴らして車を引きました。そのうち、餡ころもちを売る店の前へさしかかると、男は、ちょっと店の方を横目で見て、

「今日は、帰りに餡ころもちを買ってやるぞ。だから、早く歩けよ。」といいました。

昨日と同じ時分に、町へ着きました。そして、男は、昨日と同じように、よけいに金をもらいました。男は、ほくほく喜んだのであります。この男は、よけいに金を持つと、なんで忍耐して、居酒屋の前を素通りすることができましょう。やはり我慢がされずに、店へはいって、たらふく飲みました。その間、牛は外にじっとして待っていました。

男は、いい機嫌で店から出ると、牛を引いてゆきました。

やがて、餡ころもちを売る店の前へさしかかりました。

「なに、畜生のことだ。人間のいったことなどがわかるものか……。」と、男は、ずうずうしくも知らぬ顔をして、牛を引いて、その前を通り過ぎてしまいました。そのとき、牛は、

「モウ、モウー。」と、なきました。

「さ、早く歩け!」と、男は、しかりつけて、ピシリと牛のしりを手綱で力まかせにたたきました。すると、いままで、おとなしかった牛は、急に、猛りたって、男を角の先にかけたかと思うと、五、六間もかなたの田の中へ、まりを投げ飛ばすように投げ込んでしまったのです。

彼は、顔を泥田の中にうずめてもがきました。そのまに、牛は、ひとりでのこのこと歩いて家へ帰ってゆきました。

男は、ようやく田の中からはい上がると、泥まみれになって村へ帰りましたが、あう人たちがみんな怪しんで、どうしたかと聞きましたけれど、さすがに、牛にうそをいって、復讐されたとはいえず苦笑いしていました。

彼は、家に帰ってから、黙っている牛が、なんでもよくわかっていることを覚って、心から自分の悪かったことを牛に謝したといいます。

――一九二六・六作――

●図書カード

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