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オフェリヤ殺し
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オフェリヤ殺し
小栗虫太郎
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번역 Pagera AI
원문 Public Domain
Chapter 5 of 6

5

「何しろ小保内には、照明掛りの証言があるんですからね。自然気の強い事も云える訳ですが僕は今始めて、舞台裏にも、絶海の孤島と云うやつがあるのを知りましたよ。所で、これだけ云ってしまえば、もうそれ以外に、お訊ねになる事はないと思いますが、ああそうそう、貴方から幡江さんの幻覚論を伺うんでしたっけな」

「いや、あの両所存在(同時に一人の人物が異なった場所に出現する事)の謎なら、とうから僕は問題にしちゃいませんがね」

法水は、眦に狡るそうな皺を湛えて、云い出した。

「あの時、亡霊に吹き変ってから、君はたしか奈落へ下りたでしょう。そうすると、君にとって何んとも不幸な暗合が生まれてしまうのです。君は、クリテウムヌスの『虚言堂』を読んだ事がありますか。羅馬の婦人は、男の腰骨を疲れさせるばかりではなかったそうです。凍らせた月桂樹の葉で、手頸の脈管を切ったとか云いますからね」

「なに、それでは僕が、その間に何か、仕掛でも作って置いたと云うのですか」

淡路の顔には、突然憤怒が漲って、両手をわなわなと顫わせた。が、そうしているうちに、その硬張った筋が次第に弛んで行って、何か激情を解かして行くものが、あるように思われた。

やがて、淡路は切なそうな諦めの色を現わして、

「止むを得ません。自分の無辜を証明するためには、恩師との約束も反古にせんけりゃならんでしょう。実はあの時、僕は奈落に降りはしなかったのです」

と奈落と云う言葉を口にすると、左り眼を奇妙にビクリと瞬き、淡路は風間の存在を裏書した。そして、最後に付け加えて、

「そんな訳で、今では僕も小保内も、恩師に反いた事を後悔して居ります。そして、貴方と云う侵入者に、決して快よくない事は、今も聴いた小保内の言葉でもお判りでしょう。だが、どうして師匠が捕まるもんですか。決して決して捕まりっこありませんぞ」

遂に、法水の巧妙なカマが、淡路の口を割り、あの朦朧とした幻が、実在に移される事になった。そうして次々と、焦点面に排列されてゆく風間の姿は、最早疑うべくもないものになってしまった。

然し、法水の顔は、益々冴えないものとなって、間もなく衣川暁子が、入って来たのも気附かないほどであった。

風間九十郎の妻、幡江の母暁子は、既に二十余年も新劇のために闘い続けている。そのためか、暁子の容姿からは女らしさが失せていて、眼は落ち窪み、鼻翼には硬い肉がついて、何かしら、冷酷な感情と狂熱めいた怖しさを覚えるのだった。

彼女は座につくと、胸をせり上げ、荒々しい語気を吐いた。

「どうしたって云うんでしょう。あのメデアみたいな男が、捕まらないなんて。彼奴は、自分の目的のためなら、それが吾が子だって、殺し兼ねませんわ。私、あの男の眼も胸も剥り抜いてやって、いっそ片輪にしてしまいたいんですの」

「いや、僕は決して、そうとは信じませんね」

法水は強く否定して、今までにない厳粛な調子になった。

「そうなったら第一、人間生活の鉄則がどうなってしまうのでしょう。父と娘――その間には無意識ですが、極く微妙な×××な結合があるのです。いっそこの事件は、父に依っては絶対に行えないものだ――と云いましょうか」

「では、父でないとすると」

暁子は冷やかに云ったが、顔には包むにも包み了せようのない、憎悪の波が高まって行った。

「ですから、いま貴方が云われたメデアと云う名を、僕はクリテムネストラに変えて貰いたいんです。姦通・嫉妬・復讐――ねえ暁子さん、ロンネと幡江は、今までどんな関係にあったのでしょうか」

と風間が帰朝してからも、尚絶とうともしないロンネとの不倫な関係を、法水は暗に仄めかした。そして、暁子の怖し気な眼を見やりながら、

「なるほど子供は、自分の血と肉を分けた、一部に違いありません。だがもし、その愛と同じ程度の、憎しみが傍にあるとしたらどうなりましょう。そうなると、母親の残虐性は、もはや心理上の謎ではなくなってしまうのですよ。僕は思い切って云いますが……」

と云いかけたときに、暁子は、聴くまいとするものの如く立ち上った。そして、引っ痙れた顔を、法水にピタリと据えて、

「よろしい、私は自分自身で、風間を探し出しますわ。でも貴方は、私に斯う仰言りたいのでしょう。お前は、吾が子の死の悲しみを忘れ、そうしてまでも、自分だけを庇おうとする――って。結局、風間を突き出すのが、一番いい方法だと云う事は、私にもようく分っているんですの」

そうして、暁子は去ってしまったが、今の問答は何んとなく、法水の詭弁のように思われた。四人をほしいままに踊らせたと云うのも、それぞれに底を割ってみれば、風間を捜し出す、前提に過ぎないのではないだろうか。

然し、それまでに宏壮な場内を、隅々までほじり散らしたにも拘らず、遂に風間は発見されなかった。そして、事件の第一日は空しく終ってしまった。

三、風間九十郎の登場

翌日は、他の劇団から傭った女優で、欠けたオフェリヤを補い、沙翁記念劇場はいつも通り蓋を明けた。

が、前夜の惨劇が好奇心を唆ったものか、その夜は補助椅子までも、出し切った程の大入りだった。然し、オフェリヤ殺し場は、遂に差し止められて、あの無残な夢を新たにしようとした、観客を失望させた。

法水は演技の進行中も、絶えず俳優の動作に注意を配っていたが、恰度四幕目が終って休憩に入ると、何んと思ったか、暁子と孔雀を自分の室に招いた。

「僕はとうとう、一つの結論に達しましたよ。と云うのは、あの当時、風間は奈落には居りませんでした。実は舞台の前方――隠伏奏楽所の中に潜んでいたのです」

と冒頭吐かれた言葉には、女二人のみならず、検事も熊城も驚かされてしまった。熊城は透さず抗議した。

「冗談じゃない。常套を嫌う君の趣味は、いつもながらの事だが、然し、隠伏奏楽所の入口と云えば、下手の遙か外れじゃないか。そして、そこと奈落の壁には、ほんの腿が入る位の丸窓が二つ三つ明いているに過ぎないのだ。だから、道具方が開閉器室に入るのを、見定めてからだと、彼処へ行くまでに、時間の裕りがない。第一君は、刺されたのが奈落の中央だと云う事を、忘れているらしいね」

「そうなるかねえ」

法水は、嘲ら笑うような響きを罩めて云った。

「知っての通り、屍体の顔は至極平静な表情をしている。所が、奇妙な事には、眼球が非道く突き出ているんだ。そこに、あの奏楽所からでないと行えない、一つの徴候が含まれているんだよ。ねえ熊城君、幡江が一気に咽喉をかき切られた場所と云うのは、実を云うと、奈落の中央ではないのだ――その端にあったのだよ。つまり、舞台から奈落に落ち込んで行く間は、身体がくの字なりになり、胸が圧されて、非道く窮屈な姿勢だったに相違ない。所が、漸く半身が奈落に入ると、胸が寛やかになって、一時に溜り切った息を吐き出すだろうからね。そこへ、奏楽所の小窓から手が差し伸べられて、頸動脈も迷走神経も、幡江はともども、一文字に掻き切られてしまったのだよ。何故なら、縊死者の眼を見ても判る通りだが、激しい息を吐く際には、脳が膨張するので、眼球がそれに圧されて、突き出てしまうのだ。また、犀利な刃物を、非常な速力で加えた場合には、血管の断面が、一時は収縮するけれども、やがて内部の圧力が高まるにつれて、傷口からドクドクと吹き出て来るのだ。つまり熊城君、その二つの理論で、奈落の中央から血が滴り始めた理由が判るじゃないか。それから次に云いたいのは、あの妖術のような震動が、どうして起されたか――なんだ」

と息の間を置かずに、法水は云い続けた。

「たしかに、あれからうけた印象は、悽愴の極みだったよ、まさにその超自然たるや、力学の大法則を徹底的に蹂躪している。然し、あの現象は、この建築固有のもので、決して人の手で行われたのではない。当然、あの場面には起るべきだったし、ただ風間がそれを知っていて、舞台裏の注意を、自分から他に、外らそうとして利用したに過ぎない。ねえ支倉君、群衆心理の波及力には、悪疫以上のものがあると云うじゃないか。所が、その病源と云うのが、有名なツェルネル錯視なんだよ。現に、桟敷の円柱を見給え。横につけられた溝が、上から斜めに捲かれていて、それが一本置きに向き合っているだろう。だから、花弁が散って来て、その反映がチラチラ明滅すると、柱の平行線が、かわるがわる傾いで行くように見えるのだ。確か、三十年程前ライプチッヒ劇場にも、略々それに似た、現象が起ったとか云うそうなんだよ」

その間他の四人は、生気のない脱殻のように茫然としていた。まさに、変異の極みとのみ思い込んでいた劇場の震動も、蓋を割ってみれば他愛もなく、五千人の眼の中に、追い込まれてしまったではないか。

暁子は、指を神経的に絡ませて云った。

「ですけど、風間の方は一体どうなるんでしょう。なるほど、そう云う仮説は、貴方がたには是非必要でしょうけれども、私達には、風間の身体一つさえあればいいのですからね」

「それは次の幕に……」

法水は確信を仄めかして、立ち上った。

「実は、風間が奏楽所を利用したのを知って、僕はその場所に最短線を引いてみました。するとそれに当ったのが、道具置場じゃありませんか。たしか彼処には、次の幕に使うオフェリヤの棺などが置いてありましたね。僕はその棺に、舞台の上から風間を指摘して、抛り込んでやりますよ」

次の場面「墓場」の幕が上ると、書割は一面に、灰色がかった丘である。雲は低く垂れ、風の唸りが聴こえて、その荒凉たる風物の中を、ハムレットがホレイショを伴って登場する。

やがてハムレットが、オフェリヤの棺を埋めた、墓穴の中に飛び下りると、その瞬間、王妃の暁子が絹を裂くような悲鳴を上げた。何故なら、その重た気な棺の蓋を、法水が両手に抱えてもたげ始めたからである。

所がその中には、重錘と詰め物が詰まっていると思いのほか、蓋の開きにつれて得も云われぬ悪臭が立ち上って来る。そして、全く明け切られたとき、一同の眼は暗さに馴れるまで、凝と大きく見開かれていた。すると、その薄闇の中から次第に輪廓を現わして、やがて一同の眼に、飛び付いて来たものがあった。

そこには一人の、腐爛した男の屍体が、横たわっていたのである。

「ああ、風間だ。風間が……」

暁子は、地底から湧き出たような声で叫んだ。

意外にもそれは、幡江の下手人と目されている、風間九十郎だったのである。

着衣も、腐汁に浸みた所だけは、腐ってボロボロになり、そこから黄ばんだ、雁皮みたいな皮膚が覗いている。眼窩には、…………………………溜っているだけで、黒いバサバサした髪が………………………跡には、肉の表面がドス黒い緑色に見える。そして、その上には、瘠せた蛔虫のような形、…………………………………………………。

既に、風間九十郎の上には、見る影もない腐朽の印がとどめられているのだった。

「こら坊主、香を焚け、香を……」

墓穴の中から躍り出ると、法水は台本にもない台詞を叫んだ。そして観客に悪臭を覚られまいとした。

然し、続いて今度は、満場を総立ちにさせたほどの出来事が起った。

と云うのは、レイアティズがハムレットに争いを挑むところで、その役の小保内精一が長剣を抜いて突っ掛かって来ると、いきなり蹌踉いたものか、その剣光を目がけて、孔雀が飛び出したのであった。それはまったく、電光のような敏ばやさで、ハッと感じた小保内も、剣を引く隙がなく、余勢が孔雀の心臓を貫いてしまった。

その刹那、孔雀の全身が像のように静止して、何か言葉のような引っ痙れが、ひくひく頬の上で顫えていた。そして、唇の両端から、スウッと血の滴りが糸を引くと、何やら模索しているようだった眼が一点に停まり、やがて孔雀は、棒のように仆れてしまった。

その同時に起った二つの出来事に依って、事件の帰趨は、略々判然と意識されたけれども、果してそれが、真実であるかどうか迷わなければならなかった。

然し、その翌夜になると、法水は劇場に一同を集め、事件の真相を発表した。淡い散光の下で昨夜通りの書割の前で、法水はあの妖冶極まりない野獣――陶孔雀の犯罪顛末を語り始めたのであった。

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