Chapter 1 of 82

先斗町と書いて、ぽんと町と読むことは、京都に遊んだ人なら誰でも知っていよう。

しかし、なぜその町――四条大橋の西詰を鴨川に沿うてはいるその細長い路地を、先斗町とよぶのだろうか。

「ポントというのはポルトガル語で港のことだ。つまり鴨川の港という意味でつけた名だと思う」

と、ある人が説明すると、

「いや、先斗町は鴨川と高瀬川にはさまれた堤だ。堤は鼓だ、堤の川(皮)はポント打つ。それで先斗町という名が出たのだろう。小唄にも(鼓をポント打ちゃ先斗町)とあるよ」

と、乙な異説を持ち出す人もある。

鼓がポンと鳴れば、やがて鴨川踊だ、三階がキャバレエ「鴨川」になっている歌舞練場では三年振りに復活する鴨川踊の稽古がそろそろはじまっていた。

「君の家」の君勇は稽古に出掛けようとして、

「……通い馴れたる細路地を……」

と、昔、はやったが今はもう時代おくれになってしまっている鴨川小唄の一節を、ふと口ずさみながら、屋形の玄関をガラリとあけて出た途端、

「あら――」

と、立ちすくんだ。

路地の奥から出て来た、まだうら若い美貌の学生の姿を見つけたのだ。

帽子の白線は三本、桜の中に三の字のはいった徽章、先斗町の「桔梗家」から吉田の三高へ通っている梶鶴雄といえば、この界隈で誰ひとり知らぬ者はない。――しかし、お茶屋の息子で三高生というのが珍らしいというわけではなかった。

今は「桔梗家」の女将だが、鶴雄の母親はかつて美貌をうたわれた先斗町の名妓で、その血を享けているせいか、鶴雄は女たちにぞっと寒気を覚えさせるほどの美少年だった。そんな意味で知られているのだ。

だから、君勇もすらりとした鶴雄の長身を一眼見るなり、それと判ったが、なぜかふと赧くなった。

そして、一寸頭を下げて、すれ違いかけたが、何思ったのか、急に引き返すと、

「ぼんぼん、どこイお行きやすンえ……?」

そう言いながら、十七の歳より体を濡らしはじめて、二十三の今日まで、沢山の男に触れて来たせいか、むっちりした肉づきに、したたるような色気をたたえた肩を、いきなりどすんと鶴雄の肩に寄せて行って、

「わてもその辺までお伴させとくれやすな」

うっとりした眼で、鶴雄の顔を覗き込んだ。

そしてぱっと小娘のように赧くなった、髪の毛がふと鶴雄の頬に触れた。

鶴雄はつんと身を引いて、

「その辺ってどの辺だ」

ぶっ切ら棒に言った。

「どこイでも、ぼんぼんのお行きやすところへ……」

「だめだ!」

「なんぜどす……」

と、君勇がきき返すと、鶴雄はふとためらったが、やがて睫毛の長い眼で、ちらと睨みつけるように君勇の横顔を見ると、

「女に会いに行くんだ」

それにしては随分野暮ったい調子で、ずばりと言って、すたすた歩き出した。

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