Chapter 1 of 15

一 祝言の演劇化

万葉巻十六の「乞食者詠」とある二首の長歌は、ほかひゞとの祝言が、早く演劇化した証拠の、貴重な例と見られる。二首ながら、二つの生き物の、からだの癖を述べたり、愁訴する様を歌うたりして居るが、其内容から見ても、又表題の四字から察しても、此歌には当然、身ぶりが伴うて居たと考へてよい。「詠」はうたと訓み慣れて来たが、正確な用字例は、舞人の自ら諷誦する詞章である。

此歌は、鹿・蟹の述懐歌らしいものになつて居るが、元は農業の、害物駆除の呪言から出て居る。即、田畠を荒す精霊の代表として、鹿や蟹に、服従を誓はす形の呪言があり、鹿や蟹に扮した者の誓ふ、身ぶりや、覆奏詞があつた。此副演出の部分が発達して、次第に、滑稽な詠、をこな身ぶりに、人を絶倒させるやうな演芸が、成立するまでに、変つたのだと思ふ。

其身ぶりを、人がしたか、人形がしたかは訣らない。併し、呪言の副演出の本体は、人体であるが、もどき役に廻る者は、地方によつて、違うて居た。人間であつた事も勿論あるが、ある国・ある家の神事に出る精霊役は、人形である事もあり、又鏡・瓢などを顔とした、仮りの偶人である事もあつた。此だけの事は、考へてよい根拠が十分にある。

ほかひゞとは、細かに糺して見ると、くゞつとおなじ者でない処も見える。併し、此ほかひゞとの中に、沢山のくゞつも交つて居た事は考へてよい。私は、くゞつ・傀儡子同種説は、信ずる事が出来ないで居るが、くゞつの名に宛て字せられた、傀儡子の生活と、何処までも、不思議に合うて居るのは、事実である。

くゞつの民の女が、人形を舞はした事は、平安朝の中期に文献がある。其盛んに見えたのは、真に突如として、室町の頃からであるが、以前にも、所々方々に、下級の神人や、くゞつの手によつて行はれて居た。此団体が、摂津広田の西ノ宮から起つた様に見えるのは、恐らく、新式であつた為、都人士に歓ばれたからであらう。

西ノ宮一社について見れば、祭り毎に、海のあなたから来り臨む神の形代としての人形に、神の身ぶりを演じさせて居たのが、うかれびとの祝言に使はれた為に、門芸としての第一歩を、演芸の方に踏み入れる事になつたのだと思はれる。

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