Chapter 1 of 3

○教門論疑問 第一

余このごろ西先生の教門論を読に、その文真切、その義奥妙、反復数回発明するところ少々ならず。しかして窃おもう、その立論の旨おおいに古説と同じからざるあるをもって、看者胸中の先入を一洗するにあらずんば、おそらくはその真意の向うところを認めざらんことを。よりて、余いま固陋を省ず、その了解し難きゆえんの意を摂録し、あえて先生に質す。もし先生の垂教を忝せば、あに ただ不佞の幸のみならんや。

およそ政を行い教を布く、まず信を人に得るにあり。信ぜられてしかるのちに令行れ、教立つ。いまだ信ぜられずんば、令して行れず、戒め守られざるなり。これを信ぜしむるの道同じからずといえども、人をして疑わしめざるに至ては、すなわち一なり。それすでに疑わざるに及んでは、水火をも踏ましむべく、木石をも拝せしむべし。けだし信の難きにあらず、これを信ぜしむるを難しとす。すなわち徳をもって信を得る者あり、術をもって信を売る者あり、人のこれを信ずるや、いまだかつて知らずして信ずる者あらず。それこれを信ずるのはじめ、目これを見、耳これを聞、心これを察し、その信ずべきを知て、しかるのちはじめて疑わざるに至る。

昔し洋人はじめて印度に航する者あり。王に謂て曰く、臣が国、冬日あり、水凍結して晶のごとく、鏡のごとく、堅きこと石のごとしと。王己を詐るとなしてこれを殺せり。王いまだかつて見ず、いまだかつて聞ず、またいまだかつてこれを察せず。王のこれを殺す、また宜なり。ゆえに自ら省て知らずんば、何によりて自ら信ぜん。自ら信ぜずんば、なんぞよく人を信ぜしめん。古人身を殺して信を証せし者、少なからず。しかれどもその成功の跡を見れば、あたかもはじめより知らずして信ずる者のごときあり。いわゆる知らず知らず帝の則に従う、これなり。これ、これを化という。そのすでに化するに及んでは、人これを如何ともすべからざるものなり。しかれども信の心に根する、深きものあり、浅きものあり。深きものは動し難く、浅きものは揺し易し。いま動し難きものにつきてこれを蕩揺せば、幹折れ、枝摧て、その根いよいよ蔓せん。有力者といえどもついにこれを抜くあたわざるべし。もしまずその浅きものを選てこれを芟艾せば、深きものも必ず孤立すること能わず。その勢ついに自ら仆れん。けだし釈迦は波羅門を破り、路得は天主教を新にす。わが邦の沙門もまたよく崇を興せり。これによりてこれを見れば、信あに遷すべからざらんや。

西洋諸国たえて鄙野の教門なし。ここをもって人の好むところに任するもまた可ならん。かつ人々識高く、学博し。あに木石虫獣を拝する者あらんや。わが邦はすなわち否ず。愚夫愚婦の邪教に沈溺、惑乱する、言うに堪えざるものあり。しかして政府、あにこれを問わざるべけんや。われ聞く、国の王者あるは、なお家の父母あるがごとし。四海の内、みな兄弟なり。その父母兄弟の政を行う者は、その信ずるところ、自ら愚夫愚婦の見と同じからず。しかりしかして子弟の沈溺するを見、手を拱して救わずんば、なんぞ父母兄弟たるにあらん、なんぞ民を保するにあらん、またなんぞ不仁不慈の謗を免れんや。

いま先生の言に云く、信に本末なし、ただ真とするものを信ずべきなりと。これなお瞽者をして五色を撰ばしむるがごとし。いやしくもかの愚夫愚婦をして、おのおのその真とするものを信ぜしめば、ついに草鞋大王を拝するに至らん。これ手を拱して人を棄るの道なり。また云く、匹夫匹婦の木石虫獣を信ずるも、その真たるを信ずと。ああ、これ何の謂ぞや。木石虫獣にして真たらば、なんぞ天を畏れん、なんぞ上帝を敬せん、またなんぞ教を用いんや。邪を拒ぎ、淫を斥し、仮を棄て、真を求むるは、教の大本なり。先生の云く、政治の権は教門の道とその本を同うせず云々、その主とするところ人民を聚め国を成し、不正をして正を犯すことを得ざらしめ、もってその治安を保す云々、もしそれ教門の道のごときはまさにこれとあい反す云々、全然その本を別にするものなり。またなんぞあい関渉して教門のためにして政治その害を受くることあらんや。余読てこの文に至り、おおいに了解し難を覚う。これ先生のいわゆる教門なるものは、正教を指すか、はた邪教を指すか、その意のあるところ、いまだ知べからざればなり。

今、仮に耶蘇の教をもってこれを論ぜん。耶蘇に十誡あり。その首の三条は敬神の道なり。四に曰く、父母を孝敬せよ。これすなわち帝王、官長より父母、師長に至まで、ともにこれを敬すべき義なり。五に曰く、殺すなかれ。人およそ忿恨、詈罵より人を傷け、人を害すべきことを誡む。六に曰く、邪淫を行うなかれ。七に曰く、偸盗するなかれ。およそ人の財物を傷り不公平のことを戒む。八に曰く、妄証するなかれ。およそ人の声名を毀り、ならびに人を詐るなどを禁ず。九に曰く、他人の妻を願うなかれ。これ淫念を絶なり。十に曰く、他人の財を貪るなかれ。これ貪心を誡るなり。以上七誡のごとき、人もしこれを犯せば、みな必ず政府の罰を被るに足る。教門の道、ただ刑法の目を設けざるのみ。しかしてこれよりはなはだしきものあり。善人は天堂の賞を受け、悪人は地獄の罰を受く。その厳なる、五刑より厳なり。いやしくも人々よくこの戒を守るに至らば、五刑ありといえどもあによく措かざるを得んや。いやしくもこの道に反せば、なんぞよく人民を聚め、国を成し、不正をして正を犯すことを得ざらしめ、もってその治安を保つべけんや。

これによりてこれを見れば、なんぞその本を別にすというべけん。またなんぞあい関渉せずというべけんや。政府、道なければ法律行われず、人民、教なければ政に服せず。教の人における、一日も無るべからず。飽食・暖衣・逸居して教なきは、禽獣に近し。教の政における、その帰、一なり。われ聞、文明の国たる、王家大礼あれば必ず教師を引てこれを司らしむ。天を敬するゆえんなり。民を信ずるゆえんなり。教の政における大なるかな。しかりといえども、教の道正しからざれば、その政に害あるまた少々たらず。これ人の好むところに任すべからざるゆえんなり。いやしくも教、正にしてかつ真ならば、人智の開明にしたがいてその信いよいよ深く、その政を行うにおいていよいよ欠如すべからざるものとす。もしそれ虚妄なるがごとき、なんぞ信を開明の民に得るに足ん。いわゆる神教政治なるもの、その実は神教にあらずして、愚民を哄騙するの術なり。蛮王、一詭道をもって万民を統御せんと欲す。その滅亡に至る、また宜ならずや。

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