Chapter 3 of 6
末実り
子供はその生れる境遇によって、非常な損得をする。しかし父親だって、運命のもとにあえぎあえぎ生きているのだから致し方もない。
私は現在、男、男、女、女、男と五人の子を持っている。持っているという語は、厳格にいうと人間を物に見立てたようで面白くないから、天から恵まれたという方が正しい。
第一は父の世俗面を表現している。第二は父の科学面を代表する。第三は父の芸術面を代表する女だ。第四の女は、父の読書癖を代表するし、放慢癖と鼻っぱしを偲ばせるが、海のものとも山のものともわからない。
そこで第五の男の子になるが、これはいうまでもなく末実りである。西瓜だって胡瓜だって末実りは普通より安価であり、ことに時代と身辺の変化のせいで、風波の中にさすらえて来たのであるため父親の立場からいうと、これに対して責任観が深くなるわけである。
この風波にさらされて発育して来た末実りが、将来幸福に生きて行けるであろうか、今日までは無事らしく過ぎて来たが、親の方もかなり疲れて七つさがりになって来ているので、と多少の心配があり、しかも不精者の父親だからそう思いながら見守っているだけである。ゾラの書いた大部の連続小説の中に、数代に亘るルゴン・マカール家の遺伝が述べられている。これは当時の学説に誘導された誇張もあるのだろうから、そんなに気にかけることはないと思うが、それにしても子供の顔の目つき鼻つきが大分親に似てくるにつれて、父親は自分を顧み、いささか心配なしとせぬ。どうか或る意味においては親に似ぬ鬼子になってくれと思うて手出しの途もないのでただ自然に祈りをかけている。