三
自分は本誌第五年第二號及び第三號に續狗尾録の題目を以て歐洲に於ける支那學の歴史と其現状とを略述し、僅かに佛國を敍して其儘筆を輟めて居たが、再び狗尾を續けて英國と伊太利に及ぶことゝする。
抑英國の支那に對して通商を始めたのは、歐洲大陸の諸國、葡萄牙・西班牙・荷蘭等よりは遲くれて居るけれども、其結果に於ては誠に重大なる者があつて、康煕の末期には、東印度會社の商船が續々として支那に來て、其貿易は甚だ盛んであつた。かく支那との通商が盛んとなるに從ひ、必要上、英國人の中に支那の語言を學ぶ者が出て、それから支那の文學や歴史等の方面に手を出すものがなくてはならぬ譯だが、事實は之に反し、彼等は支那語に對しては全く興味を感ぜず、寧ろ輕蔑をして居つた。彼等は支那人に對しても英語で押通して居たから、支那人の方で英語を使つて用を辨ずる、即ち今日でも猶支那の各通商口岸で、支那人が外國人に對して使つて居る「ピヂン、イングリシユ」はこれで、英國人の方でも東洋に來ると、態々これを學んで、支那人と思想を交換する道具にして居るが、此奇怪な言語は今申した理由に本づくのである。併しこれは一般に言つた話で、昔でも英國人の或者は實用の支那語だけは熱心に勉強したものもあつたと思はるゝが、此語を利用して又溯つて支那の文字を味はひ、支那の書籍を英文に飜譯するとか、或は英文を以て紹介した樣な人は殆んどなかつた。之を耶蘇會士の人々が支那に來るや直に支那の語言文字を研究して十數年を出でずして種々の學術的著作をなしたのと大に其趣を異にする。英國人で初期の支那學者の一人たる『フランシス・デビス』曰く『英國人は何等か利益を得る目算あるに非ざれば妄りに時間と精力を費すことを欲せず。但一たび利益の之に伴ふことを知れば全力を注ぎて之をなす(一)』と。英國人が支那の研究に手を着けなかつたのも、所謂之より生ずる直接の利益を左程感ぜなかつたからで、又一方より見れば英語ばかりで天下を横行しようといふ一種英國流の自尊自大心にも其原因を求むることが出來る。
英國人が支那の文學を飜譯し若しくは紹介した最初のものは無名氏の手になつた支那小説『好逑傳』の英譯であらう。『デビス』が其著『Chinese Novels』の卷首に『マカートニー卿』の支那派遣以前になつた英國人の支那に關する述作としては唯一部の極めて不完全な小説のみといつたのは即是れである(二)。此書は題して Hau Kiou Choaan or the Pleasing History, a Translation from the Chinese Language to which are added, I. The Argument or Story of a Chinese Play, II. A Collection of Chinese Proverbs and III. Fragments of Chinese Poetry. 4 vols. London, Dodsley, 1761 といふ。『ヰーリー』の支那文學書目解題に據れば、此書の原稿は、Wilkinson といつて長く支那に在住し、又支那語も可なり出來て居つた人の手にあつたもので、原稿の末に 1719(康煕五十八年に當る)の識語があつたが、それは所有者 Wilkinson が支那を去つた年に當る。又其第四卷は葡萄牙語にて書かれてあつたのを、Dr.Percy といふ人が英譯し倫敦で出版したとある(三)。これを除きては、別に英國人が支那の文學歴史等に關し著述若しくは飜譯をしたものはない。
一千七百九十二年(乾隆五十七年)英國と支那との貿易が盛んになるに連れ、大使を簡派し、兩國の關係を一層親密ならしめ、又兩國臣民との間に起る紛爭を少なくする目的を以て、前に擧げた『マカートニー卿』(Lord Macartney 馬戞爾尼)が大命を拜し、支那へ出發することゝなり、隨員なども澤山任選し、大英國の使節として愧かしからぬ威儀を具へた。それにも關らず此一行に缺くべからざる譯官を物色しても、英國内にて之を得ることが出來なかつた。そこで態々人を巴里に派して支那語に堪能で、通譯の任に膺るものを探したけれど折惡しく巴里の Maison de Saint Lazare でも Maison des Missions Etrangeres. でも人が見當たらないので、羅馬教皇宮殿の文庫に貯藏されたる漢籍の整理を命ぜられ居る支那人あることを聞いたから、巴里より轉じて羅馬に往き尋ねて見たが、かゝるものは已に居ない。そこで又『ナポリ』まで下り同處に嘗て支那に傳道して居た天主教の神父 Ripa(馬國賢)が建てた中國書院といふ若い支那の教民を教育する所があつたので、同書院に就いてやつと二人の支那學生を得、これを倫敦に伴ひ還つて大使の譯官とした。彼等は英語は分らぬけれど、拉丁語と以太利語に通じて居たから、譯官として双方の意思を通ずるには差支なかつたとある(四)。堂々たる英國使節の譯官として、支那の教民を使用せねばならぬことになつたのを見ても、當時英本國で、支那の語言文字を知つた人のなかつた事が分る。從來英國人が支那語を馬鹿にして遣らなかつた咎は當時痛切に感ぜられた。然るに馬大使一行の内に副使 Staunton の子同苗 George Thomas Staunton (司當東)といふものがあつた。當時十二歳の童生で、大使の侍者として一行に加はつて居たが、天資聰敏な人で、船中にて已に幾分か支那語を習ひ覺えた。支那に着いてからも熱心に研究し、又支那文をも讀み出し、數年ならずして非常な進境があつた。彼れは其後長く支那に留まつて居たが、支那通として東印度會社に入り、其辣腕を奮ひ、支那官憲を苦しめた。國朝柔遠記に嘉慶帝が兩廣總督に降したる諭旨を録した中に「聞有二英吉利夷人司當東一。前於二該國入貢時一。曾隨入二京師一。年幼狡黠。囘レ國時將二沿途山川形勢一。倶一一繪二成圖册一。到レ粤後。又不レ囘二本國一。留住二澳門一已二十年。通二曉漢語一。」云々の文句があるが(五)、支那人の側でも、彼れが當時如何に支那通として憚かられて居たかゞ分る。彼が支那文を研究した結果として第一に發表されたものは、大清律例の英譯で、題して Ta Tsing Leu Lee,being the Fundamental Laws and a Selection from the Supplementary Statutes,of the Penal Code of China……Translated from the Chinese & accompanied with an Appendix, Consisting of authentic documents and a few occasional notes, illustrative of the subject of the work: By Sir George Thomas Staunton Bart. F. R. S. London 1810 といふ、出版されて程なく佛伊二國語にも重譯されたが(六)、此書が出來て英國人に對して寡からぬ利益を與へたといふのは、かの南京條約の結果として香港が英國に割讓され其統治を受くることゝなつたとき、爲政者が從來支那に行はれた律例を知るの必要を感じたが、Staunton の飜譯は直ちに其必要を充たすを得た。又判官の案上にも必ずこの一册が備附けてあつて、香港住民の多數たる支那人の獄を斷ずるに缺くべからざる參考書となつた事はかの支那學者で且つ香港太守たりし『デビス』の自白する所である(七)。勿論 Staunton が律例を譯するには將來支那の領土が英國に割讓さるゝことを豫想して居たとも思はれぬ。然れども大清律例が英國人の手になつた殆んど最初の飜譯たることを思ひ、之を明末より清初に懸けて支那に居つた耶蘇會士の連中が、四書五經といふ樣な古典より研究を始めたことゝ比較して考へると、少からぬ興味がある。前に擧げた『デビス』の『英國人は何等の利益あることを明にせねば妄りに時間と精力を費やさぬ』といつた言葉も思ひ當るのである。序に申して置くが、この『デビス』なども色々飜譯をやつて居るが、其種類を擧げると、小説とか劇とかいふ樣な方面を重に遣つて居る。尤も耶蘇會士中にも Prmare の如き學者は元雜劇趙氏孤兒などを譯してそれが佛國の文豪『ヴオルテール』にまで影響を與へた事は有名な話で、耶蘇會士にも丸るで俗文學の方面を顧みなかつた譯ではないが、どちらかと言へば古典の方であつた。英國人の考は之と變なつて、古典も支那を理解するに必要だが、それよりも俗文學即ち小説とか劇などの方が支那の風俗人情を知るに尤も便利と見た。此等が英國人の實際的な所とでもいへよう。
Staunton に繼いで支那學者として指を屈すべきはかの Robert Morrison(1782-1834)即ち馬禮遜である。彼は實に支那に於ける Protestant mission の創設者であるが、其支那學の方面に於ける功績も亦偉大なもので、彼の著はした字典丈でも、どの位學界に貢獻したか知れぬ。馬禮遜の傳記によれば、彼は倫敦で當時在住の支那人に就いて少し許り支那語を學び 1807(嘉慶十二年)布教の目的を以て米國を經て澳門に來り程なく廣州に轉じたが、同處に居た Staunton とも交を結び大に益する所あつたといふ。それから專心支那文學を修め、東印度會社に聘せられて支那文の飜譯を擔當したが、比較的閑散なる儘、力を著述と支那文研究に費やすことを得て、耶蘇教の教義に關する種々の漢文著述――神天聖書即ち The Holy Bible の漢譯も其一である――をしたが、同時に英國人が支那文を學ぶことを容易すくする爲め支那文典若しくは其他語學に關する著述をした。然れども尤斯學に裨益する所ありしは其心血を注ぎしかの有名な全部六册の漢英對譯字典 A Dictionary of the Chinese Language in three Parts. Part the First; containing Chinese and English,arranged according to the Radicals; Part the Second, Chinese and English arranged alphabetically; and Part the Third, English and Chinese. By the Rev. Robert Morrison 6 Vol. in-4 1815-1823 である。今でこそ Giles や Williams などの字典があるので、Morrison の方は餘り顧みるものがないけれども、當時にあつて此書が學者に裨益を與へたことは非常なもので其勞は實に多しといふべきであるが、東印度會社が常に其事業に同情を有し、前後一萬磅の大金を支出して之を助けた事も特筆すべきである。Morrison に關聯して記載すべきは William Milne(米憐 1785-1822)の事である。この人も London Missionary Society から支那に派遣され常に Morrison と事を共にし聖書の飜譯も舊約全書の一部は其手になつたものだか、支那文も能く出來たと見え、かの清朝の教育勅語ともいふべき聖諭廣訓を譯し、題して The Sacred Edict といひ 1817 に倫敦で出版して居る。同時英國人にて宣教師たる Joshua Marshman(1768-1837)といふ者が居た。此人は支那學者ながら支那には來なかつた。印度カルカッタから程遠からぬセラムポールで布教して居たうち、支那文を學び支那文典を著はし、又論語の一部分と大學を譯述して居るので(八)、『デビス』の如きは Morrison と同じく英國人で支那學をした初期の仲間に入れて居る。次に申すべきはこの『デビス』(Davis, John Francis, 1795-1890)である。彼れは支那に來て東印度會社の書記から大班に進み、貿易監督官、香港太守等の劇職に居ながら、立派な支那學者で、其著述も極めて多い。漢詩を論じたるものあり、元雜劇、小説を譯したるものもあり、其の中に文句の意味を誤解した點も少なからぬが之を責むるは酷である。殊に其著 The Chinese. A General Description of the Empire of China and its Inhabitants. London 1832. は支那に關する種々の智識を與ふるものとして歐洲人士に歡迎されたと見え、屡覆刻され又初版の世に出でゝ間もなく、佛獨蘭伊の四國語に譯されて居る(九)。以上は一千八百年以後英國人で、支那學の先驅をした重な人々である。前にも申す如く『マカートニー卿』が大使となつて支那に來るまでは、譯官を得るさへ困難した位であるが、其後英國人が其國と支那との通商上若しくは支那に布教する點について支那の語言文字を知る必要あることを感じたから數年ならずしてかゝる人を出したもので、一千八百十六年(嘉慶二十一年)に Lord Amherst(國朝柔遠記には羅爾美都と書いてある)が大使となつて支那に來り、北京に乘込んだときは隨員として Staunton あり Morrison あり、又 Davis あり、何れも當時錚々たる支那通で、然かもそれが『マカートニー卿』の派遣されしより僅に二十四年に過ぎぬが、兩者を比較して誠に霄壤の差があつた。
(大正三年十二月、藝文第五年第拾壹號)(一)Davis, Chinese Miscellanies. p. 50(二)Davis, Chinese Novels. p. 4(三)Wylie, Notes on Chinese Literature. p. xxxiii.(四)Sir George Staunton,An Aushentic Account of an Embassy from the King of Great Britain to the Emperor of China. & c. pp. 45-47.(五)國朝柔遠記卷七(六)Henri Cordier, Bibliotheca Sinica. p. 546(七)Davis, Chinese Miscellanies. p. 51(八)Memorials of Protestant Missionaries to the Chinese. pp. 1-2.(九)Henri Cordier, Half a Decade of Chinese Studies. T'oung Pao III.
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