Chapter 1 of 5

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……その頃、伯父は四条の大橋際に宿屋と薬屋とをやつてゐた。祇園の方から鴨川を西に渡つて、右へ先斗町へ入らうとする向ひ角の三階家で、二階と三階を宿屋に使ひ、下の、四条通りに面した方に薬屋を開いてゐたのだつた。そして宿屋の方を浪華亭といひ、薬屋の方を浪華堂と呼んでゐた。

私は十三歳の夏、この伯父を頼つて京都へ行つたのだつた。中学へでも入れて貰ふつもりで行つたのだが、それは夢で、着いた晩、伯父はお雪さんといふ妾上りの細君に腰を揉ませながら、

「今夜だけはお客さんやが、明日から丁稚やぜ。」

と宣告した。そしてその通り、翌日から浪華堂の店先に立たされたのであつた。ありふれた売薬や化粧品を、宿屋の片手間に小売りしてゐたので、他に店員も居なかつた。

ところがそれからまだ五六日も経つか経たぬに、或日私は使に出された。伯父の留守の時で、主婦のお雪さんに言ひつかつて、西洞院蛸薬師の親類まで、夜具か何かの入つた大きな風呂敷包を持つて行かされたのだつた。

私は大に面食つた。何しろ昨日今日北国の片田舎から出て来たばかりで、まだ京の市街の東西も知らず、言葉も碌に聞き取れぬ時分のことだつたのだ。四条通りを西へ幾筋目かの辻を上つてとか下つてとかと、道はくはしく教へられたが、もとより充分呑込めもせず、見当もつかぬ位だつた。それに前に一度、七つの時父が京詣りの時一緒に連れられて来て、六条の伯母の家に滞在中、或日一人でうか/\その辺へ遊びに出て迷児になり、通りがかりの見知らぬ男に半日もあつちこつち引つ張りされた揚句、トドのつまりに、着て居た羽織を騙り取られた上、黄昏の場末の街上に置き去りにされた苦い経験があつたので、尚更不安に感じたのであつた。

だが、勿論拒むべくもなかつた。

「旦那はんお留守の間に早よ行つて来てんか。何でもあらへん、眼つぶりもつてでも楽に行ける。えら行けの丹波行けや。」

お雪さんはさう事もなげに言ひながら、私にその包みを背負はせるのだつた。包みは大きい割にさほど重くもなかつたが、小さな私の背丈にもあまる位だつたので、それを背負つて歩く恰好は、見るも無態なものだつた。店の片方の壁に、何かの薬の広告用の額鏡がかゝつてゐて、それに映つた自分の姿でそれと知つたのだが、風呂敷包みに手足が生えたとでもいはうか、何のことはない、亀が後脚に立つて蠢いてゐるやうだと、それを私に背負はせたお雪さん自身さへ、思ひ遣りなく手を拍つて笑つたほどだつた。(私はこの時以来、このお雪さんにあまり好意を持たなくなつた。三十五六の、細面の美人顔だつたが、何となく冷つこい、底意地の悪るさうな人に思はれた。)

京都でも一番目貫きの四条の大通りを、私はそんな恰好でよち/\歩いて行つたのだつた。私は往来の人々や、両側の店々の人々の眼が悉く私の上に注がれ、そしてみんな可笑しがつて笑つてゐるやうな気がして、子供ながらも恥かしいやら情けないやらで、顔もよう上げられなかつた。その上、始めて様子も分らぬ所へ行くので、道も殊更遠く感ぜられるのに、背の荷物は段々持ち重りがして来るし、さらでだに暑い八月の日盛り頃で、全身汗水漬になるし、前からも後からも人力車が突ツかけて来て、車夫にぽん/\怒鳴られるし、ほんとうに泣き出したい位だつた。

でも、漸くその家に辿り着くことが出来た。人に道を尋ねる術も知らず、またそんな勇気もなく、辻々の電柱に貼られた町名札を唯一の頼りにして行つたのであるが、迷児にもならず路地一つ間違ひもしなかつたのは、我ながら幸ひよりも寧ろ大手柄といふべきだつた。

それはとある細い路地の奥の小さなしもた家だつた。お雪さん(私はこの人を、伯父と本人に向つては「伯母はん」と言つてゐたが、他の第三者と話す時には、本名で呼び習はしてゐた。)の姉さんの家だと聞かされてゐたが、その姉さんの人らしく、顔に疱瘡の跡のある四十前後の女が出て来て、

「おほきに御苦労さん、えろおしたえな。」

と何処の国の訛りか、変に抑揚のついた尻上りの口調で言つて、私の背から荷物を取り下してくれた。

私はその時通り庭の土間を上つた所に立つて、汗を拭き/\、何気なく奥の間の方へ眼をやつたが、手前の部屋との界の葭障子を透して、其処に女が一人寝てゐるのが見えた。後ろ向きになつてゐたので顔は分らなかつたが、若い女の人らしく赤ん坊に添へ乳でもしてゐる様子だつた。

後になつて分つたことだが、その女が、これから話さうとするお信さんといふ人だつたのだ。伯父の養ひ子で、だから私には義理の従姉に当るわけだつた。当時お産をして、故あつてその家に預けられて居たのだつた。

お信さんは元は乞食の子であつた。――そんな意外な話を聞いたのは、それから二三ヶ月もしてからだつた。四条の橋の下にゐて、朝夕浪華亭の裏口へ、客の食べ残りなどを貰ひに来い来いしてゐたのを、伯父がその親達に幾らかの金を与へ、二度とその辺へ顔を見せぬといふ約束で拾ひ上げたのだといふ話だつた。お信さんの七つ八つの頃のことだつたさうな。

「えらい虱でな。風呂へ入れるいうて着物脱がさはつたら、大変や。身体中一面真赤に腫れ上つててな、見られしまへんどしたんえ。」

六条の伯母の家へ遊びに行つてゐた時、出入りの或る心易い女の人が、自分もその時その場に居合せたもののやうな調子で、私にさう言つて聞かせた。

「そやけど、ぢき、いゝ別嬪はんにならはつてな……」

そして情夫こしらへて、嬰児生まはつたんや――といふやうな蔑みの意味を言外に匂はしながら、その人が続けるのだつた。

「尤も、乞食してはつた時分から、可愛らしい別嬪の子どしてな。ふた親の人かて、初から乞食してはつたんやないねや。始めてからまだそないにもならなんだんやし、元は中京の油屋はんか何かで、結構やつて居やはつたいふ話やし、浪華亭はんもあい風な人やよつて可哀相や思はつたんどツしやろ。後で芸妓はんにでもしやはる気どしたかも知れへん。」

伯父は元来堅気な人ではなく、所謂遊侠の徒であつた。私の父のすぐ上の兄で、本願寺附近の或る仏壇屋の次男に生れたのだが、十六の時家を飛出し、大阪で何とかいふ侠客の乾分になつたりして、十年ばかりもごろ/\してゐた後再び京都に舞ひ戻り、七条の停車場前にうどん屋を開いたのが当つて、それから後はとん/\拍子に発展し、五条に鳥屋、西石垣に会席料理屋、木屋町に席貸し、先斗町に芸者屋、それから四条に宿屋といふ風に次々と手を拡げ、妾の四五人も持つて、それぞれさういふ商売をやらせるといふ豪勢さで、一時は京都の遊び人社会でも、「浪華亭はん/\」といはれて、相当幅利きの顔役にもなつてゐたさうだ。私が頼つて行つた時分には、併し、伯父も衰運の一途を辿つてゐて、店も最後の四条の宿屋兼薬屋を剰すのみとなり、女も一番新しいお雪さんだけみたいになつてゐたが、お信さんを養女にしたのは、それから十四五年も前の、丁度全盛時代のことらしく、一種の侠気の外に、多分の気まぐれも手伝つてゐたらしいのだつた。

序だが、伯父は最初から正妻といふものを置かず、妾から妾を渡り歩くといふ放縦遊冶の生活をつゞけてゐて、そしてその誰にも子供がなかつたので、お信さんの外にも、後嗣ぎの養子を別にして、他に二人も養女と名のつく者を持つてゐた。一人はお藤さんといつて、西石垣に会席料理屋をやらせてゐたお文さんといふ女(お雪さんの前の妾本妻で、病気で伯父と別居してゐたが、交際はずつと続けてゐた)の娘分にしてあつたのだし、今一人はお高さんといつて、先斗町に芸者屋をやらせてゐたお鶴さんといふ女の娘分にしてあつたのだ。それでお信さんは、お雪さんの娘分になつてゐたわけであるが、私が行つた時分には、養子の惠三郎(大阪の新町の芸者屋の息子)は兵隊になつて伏見の聯隊に入営してゐたし、お藤さんは旦那を持つて、養母のお文さんと共に祇園の方に一戸を構へ、三味線の師匠をやつてゐた。二十七八で、眼のぱつちりした面長の美人だつた。それからお高さんは、丹波の福知山で芸者になつてゐた。自分から好き好んで是非なりたいといつて承知しないので、まさか眼と鼻の先斗町や祇園から出すわけにもいかず、或る縁故から福知山へやつたのださうだ。もう四五年にもなるといふことだつたが、私が行つてから二月あまり経つた頃、病気で戻されて来て、その晩、まだ宵の口にふらつと表へ出て行つたと思ふと、その儘嘘みたいに疏水に身を投げて死んで了つた。私はその時、監視かた/″\見えがくれに後をつけて行つたのであるが、四条の橋を東に渡つて、灯影まだらな川端通りを少し上つたところから、駆けつけて救ひ止める暇もあらばこそ、アツといふ間にざんぶと飛び込んだのだつた。そして団栗の橋際まで二町程も流されて漸つと引上げられ、その場は息を吹き返したが、勿論それが基で、二三日病院に居て死んだのだつた。二十四五の、色の浅黒い、その名のやうに丈の高い痩せぎすの女だつたが、重い神経衰弱に罹つてゐたらしいのだつた。

さてお信さんのことであるが、私がお信さんと直接会つたのは、私の数年間の京都生活中、後にも先にも、たつた二度しかないのである。それも極く僅かな時間のことだつた。それにも拘らず、その時の印象が非常に強く私の胸に刻まれてゐて、四十年後の今日でも、尚且昨日のことのやうにあり/\と思ひ出されるのである。

一度は、最初の使ひから半月程の後、二度目に使ひに行つた時だつた。今度は片手に持てるやうな小さい包み物を持つて行つたのであるが、その時お雪さんの姉さんの人が留守だつたらしく、お信さん自身が出て来てそれを受取つた。二十前後の小柄な、肉附きのいい、下ぶくれの円顔で、眼のやゝ細い、柔和さうな顔つきの人だつたが、私がすぐ帰らうとすると、一寸お待ち、といつて奥へ引込み、間もなくラムネを一本手に持つて戻つて来た。そして、

「たつた一本や、飲んでお行き、結構冷えとす」と言つて私の前にさし出した。

「へえ、おほきに。」

私はまだほや/\の怪しげな京言葉で礼を言つたが、実はまだラムネなるものを飲んだことがなく、栓の抜き方も知らなかつた。あの首のくゝれたやうな独特の形をした罎の口を塞いでゐる円い硝子玉、それを拇指でぐつと押すと、ポン・シユッと胸のすくやうな快音を立てて抜ける、あの原始的な素朴なやり方を知らなかつたのだ。で、上り框に腰掛けたまゝ、暫く戸惑ひの形でもぢ/\してゐると、お信さんは遠慮でもしてゐると思つたか、折角冷えてゐるのだから、温くならぬうちに早く飲めと頻りに勧めるのだつた。私は益々当惑し、暑さよりも恥しさで赫くなつて、徒らに額の汗を拭くのみだつた。と終ひにお信さんもそれに気がついたらしく、併し私に恥をかゝせまいとの心遣ひからだつたか、只一寸口元に微笑を浮べただけで、

「ラツパ飲みした方がおいしいんやが……」

とさりげなく他を言ふやうに呟きながらコップを持つて来て、手づからポンと口を抜いてそれに注いでくれた。そして私が御馳走になつてゐる間、その側に生後間もない赤ん坊に乳を呑ませながら、私に年や名前や境遇のことなぞ、いろ/\と聞いたり尋ねたりした。

私は問はれるまゝに、年が十三であることや、郷里には父が漁師をしてゐるが、母は生さぬ仲だといふことや、実の姉が一人あつて、その姉も三年前矢張り十三の年に京都へ来て、六条の伯母の家(これも宿屋だつた)に奉公してゐることや、それやこれやで、自分もつい最近伯父を頼つて一人で出て来たのだといふことなどを、ありの儘に打ち明けた。

お信さんは何かしら特別興味を唆られたやうに、一々さうどすか/\とうなづき/\聞いてゐた。殊に私が伯父の家に奉公してゐるのだといふことや、姉が六条の伯母の家に居るのだといふことを話した時には、まあとばかりに顔の表情を変へさへしたが、最後に、

「なあ、大抵やおへんえな。そやけど感心や。小さいのに中々しつかりしてはる。いゝ丁稚はんや。えらいことおしても辛抱してな、せいぜい機嫌ようお働きやす。」

と優しく劬はるやうに言つて、帰りしなに十銭玉を一つお駄賃にくれた。

私はまだその頃お信さんが何者であるか、その身上のことなど何一つ知つてゐなかつた。伯父の養ひ子だといふことはもとより、名前も知つてゐなかつたのだ。たゞ、多分そこの家の嫁さんか娘さんか位に想像してゐたに過ぎなかつたが、併し大変優しい親切な思ひ遣りに富んだ人だといふ気がして、何となく親しみ深く、且つ一種慕はしいものをさへ感ぜずに居られなかつた。それも単に、ラムネを御馳走になつたとか、お駄賃を貰つたとかいふことの為ではない。そんなことより寧ろ、その時お信さんから受けた直接の印象――私にいろ/\と身の上のことなど尋ねて、まるで姉が奉公に出てゐる弟でも慰撫するやうに、優しく劬はり犒つてくれたお信さんその人に、何となく、情愛に富んだ、人間的な温いものを感じて、それに一層心を動かされ、且つ引きつけられもしたのだつた。

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