Chapter 1 of 14

南欧の俤

上海通いの急行船「郵船」の上海丸で神戸を立ったのが、七月二十二日の午前十一時。丁度来島海峡で日が暮れるので、暑さ知らずの涼風に吹かれながら、瀬戸内の最も島の多く美くしい部分を日の中に見られるから、夏の雲仙行としては郵船に越すものはない。長崎へ着いたのが翌朝の九時、阜頭へ着くと、迎えの自動車が待っており、すぐそれに乗込むと、一路島原半島を目指したのである。同行者は上野さんと大塚さん。

この前雲仙に上った時は、茂木から、船で小浜に渡っているので、今度はわざと陸行を選んだのである。千々岩灘に添う十五里の沿岸道路は、平坦な道の少い代り、風景の捨難いところが多く、退屈を覚えない。江の浦辺りから海が見え出し、海上にはいくつかの小島も見え、無数の漁船も見える。或時は松並木の間から、或時は断崖の上からそれを眺めて行く。その間湾を隔てて、いつも私達を見守っているのは、雲仙の懐かしい温容である。

愛野の地峡をぬけていよいよ半島に入ると、風景は更に一段の趣きを加える。道は雲仙の山脚が海に落ちこんでいる急峻な部分に通じているので、可なり険しい絶壁の上を、屡々通らなければならぬが、そのために風致は歩々展開して行く。

この沿岸道路の趣きが、ヨーロッパで最美の道路として知られているあのリビエラ沿岸、いわゆる碧色海岸のニースとモナコ間によく似ていると人はいう。私もこの前それに折紙をつけた一人である。軒蛇腹道とも別称されるほど、しかく絶壁の上につけられた海岸道路から、松の生えた小島などを、南欧特有の青い空の下、碧玉の海面に見出しながら、ドライブする趣きは、ここと少からぬ共通点を持つ。外人がこの沿岸道路を非常に喜ぶのもなる程とうなずかれる。この道路ではところどころコンクリートの柵を廻らし、危険に備えてある点も甚だよく彼に似ている。この沿線中、誰でも最初に深く印象づけられる景色は愛野の地峡をぬけて、断崖の上から千々岩灘の碧湾に直面した時の眺めである。

見下す眼の下には、見事な長い半円を描く千々岩の松原と、この半円に添うて、いつも二段位に長いカーブを作って縁取している白波が見える。白波と松原との中間に、緩やかな傾斜を持った大きな砂浜がある。それを見下しただけでもいい眺めであるが、少し眼を移すと松原の尽きる辺りに、雲仙火山群の一つである猿葉山の険しい山脚が、海に走って形作っている木津の半島が紺碧の海に突出しまたそれを隔てて更に、国崎半島が野母半島と相対して、大きく千々岩灘を抱擁していて、碧湾の中には白帆を張った無数の漁船がばら撒いたように散っているのだ。それは全くピトレスクで、眺望の佳麗を以て知らるる雲仙の序曲であるにふさわしい。

ここから小浜までの間は好風景の連続で、わけても富津の真上から、その小さい築港と、港の鼻に突き出している弁天崎の遊園地を見下した景色は宝石のような纏まった美しさを持つ。この愛野、小浜間には小浜鉄道が開通されてあって、私も一度試乗して見たが、それは短い間にいくつかの隧道を通じ、断崖の上のみを駛るので眺望の点において遥に自動車道以上であることを附記して置く。

小浜温泉場に着いたのが十二時。一角楼というのでゆるゆる昼食を取る。長崎方面からの雲仙上りは普通小浜からするので、千々岩から上る木場道というものもあるが小浜の方が道もよし便利でもある。小浜からは二里半の上りで、三間乃至二間半の立派な自動車道がついている。この二里半は上り一方の峠道で、曲折の多いだけ、景色の変化も多く、高くなるにつけ視界は美しくひろげられて行く。大分上ったところの「駕立場」は藩侯登山の折の休憩所で、ここの眺望は雲仙の第一景として知られている。雲仙の主峰普賢を初め妙見、仁田峠、絹笠、高岩、野岳と数えて来れば遥にそれ以上の展望美を有する地点は十指を屈するも足らぬが、さりとてここの展望にもまた特色があっていい、美くしい橘湾が目の下に見え、対岸の西彼杵、北高来の陸地を越した向うにはまた、湖水のように入込んでいる大村湾が瑠璃色をたたえている。野母半島の彼方には、玄界灘が果しもなく、別にまた橘湾と玄海を結びつける天草灘があり、大小の天草列島が、その間に星散碁布する。これだけの展望があればまず、旅客を魅するに十分といえよう。殊にまた手近の脚下を見ると、雲仙の山脚が長く遠くその尾根をひいている翠微の中に聯環湖であり山上湖であるところの諏訪池がたたえられ、それが曲玉のような形をして、翡翠の色を浮べているのが、さながら神秘の湖であるかの如く見える。この諏訪池がまたどれほど、駕立場の展望を美化しているか知れない。

駕立場から雲仙公園は近い。程なく二千二百尺を上って、県営のその公園につき、温泉旅館九州ホテルで靴の紐を解いた。私はこの前もその同じ部屋に泊ったので、旧知の宿は心易い。暫く休息している中、これも旧知である公園主事の園さんが見える。北海道の札幌と朝夕の温度が同じだというその涼しさに、私達は蘇生った気がする。兎も角一浴をとすすめられて、一度温泉に浸って来た上、浴衣がけになって、取あえず地獄めぐりを試みる。

ここの地獄は別府の海地獄、血の池地獄のような大きなものはないが、別府のように散在的でなく大小三十余の地獄が一ヶ所に集中されてあるので、却て壮観である。この点は北海道の登別温泉に似ているが、周囲の風致において、広さにおいて彼を凌いでいる。これ等の地獄は絹笠山と矢岳を火口壁とした爆裂火口丘の跡に存在するもので、大体において北方の大地獄群と南方の小地獄群とに帯山の丘陵によって分たれる。周囲は鬱蒼たる山や丘陵で囲まれ、いずれに向いても赤松の夥しい存在が、少からず風致を助ける。硫化水素の臭いが四辺をこめ、山や丘陵や、赤松や、濛々たる蒸気の間から、吹なびく風のまにまに隠見する趣きは、一種の地獄風景観を形作る。

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