切支丹物語
私達は九州ホテルの裏口から、地獄めぐりの逍遥道路を経て、一々の地獄を点検して行く。まず最初に天然記念物として保護されている泥火山がある。三、四坪の凹地に浅い湧泉を湛え、その底から青みがかった灰色の火山岩の分解物からなる泥土を一分間に数回ずつ噴出し、そこここに所謂泥火山を円錐形に作り上げ、それが流れて裾野となる有様は、火山から熔岩の流出する趣きと異らない。またそれが一定の高さに堆積し、ガスの噴騰力に打勝つと、ガスは山腹に新火口を求め、そこに小さな寄生火山を噴起せしめる。すべてが火山の活動状態と寸分の差がないので、小さいものではあるが、最も完全な標識的のものとして、その泥火山は学術上著名なものになっている。
地獄の沿道には三途の川、剣の山、死出の山、老の阪、賽河原などがあり、地獄には叫喚地獄、難産地獄、無間地獄、妄語地獄、殺生地獄、八万地獄、お糸地獄、清七地獄等々があって、微苦笑させられるが、それらの地獄の名にも似ず、環境の美くしさにはまた驚かされる。それ等の地獄を縁づけている丘陵には、地獄の煙のなびきかかるところに、岩石をはうようにして、葉のこまかい、園芸品種としても名高い雲仙つつじが、一面にはびこっていて、上の方へのぼるに従い、山つつじ、瑶珞つつじが、赤松の間に茂っている。その花時の美くしさは何ともいわれぬので、私のこの前来た時は、丁度つつじの花盛りだったのである。また秋になるといろいろの落葉灌木が紅葉し、殊に瑶珞つつじが真紅になる。地獄の上を血のように染めるもみじ時の美くしさは想像に難くない。
その瑶珞つつじは地獄附近では定時風で、いつも蒸気が激しく吹きつけるところに群落を作り、目立って繁茂していることが目につく。雲仙つつじは地下一尺の所まで熱気が来ている地上にも、平気ではびこっている。殊にまた硫黄を最も多く噴出し、四辺の岩石を黄色に染めている叫喚地獄や邪見地獄の上の、硫気が絶えず靡いて行く辺にある赤松の葉色が、取わけ鮮麗な緑色を呈しているのも面白い研究資料であろう。私はまた莎草科の一種である「しまてんつき」が熱湯の流れているところに最も鮮やかな色を見せて茂っており冷めた湯の流れているところでは貧弱な生存を続けているのを見た。更にまたさまざまの地獄から沸泉が湯煙を立てて流れて行く水路の底が美くしい碧玉の色に染まっていることを見逃すことは出来なかった。この碧玉色の本体も高温の湯の中に繁殖する単細胞の藻類であって、今はその繁殖時期であるため、一しおあざやかな碧色を呈しているのであった。自然の中、最も植物に心を惹かれる私に取ってはこうした現象に接することは興味深いことだった。
私は叫喚地獄の前に立ち、無間地獄の前に立った。いや、地獄の名などはどうでもいい。すさまじい囂音が、大地の底からうなりを立てて耳も聾するばかりに響く。硫化物や硅酸などを表面に沈澱させている岩石の下は、ぐらぐらと煮えくり返り、噴気孔から烈しい勢いで吐き出される硫化水素や、水蒸気がもうもうとして立昇る。灰色の池は全面沸々としてすさまじい音を立てている。一歩踏みあやまれば、全身は直に麋爛し尽くすであろうことを思うと身の毛もよだつ。
私が目をつむると、忽ちそこに恐ろしい幻影があらわれる――。
裸体にされた幾組の男女が、かしこの岩石の上、こなたの熱泉のほとりに引据えられている。牛頭馬頭に似た獄卒が、かれ等に苛責の鞭を加えている。かれ等はただ黙々として、その鞭にたえているので、地獄の地鳴りにも拘らず、死のような沈黙が四辺を支配する。かれ等の胸から一様に光を放って私の眼を射るのは小さな十字架であった。いな十字架の幻影であった。彼等のあるものは、手足を荒縄で縛られ腹這いに寝せられて、背中に熱泉を注ぎかけられている。彼等の焼けただれた皮膚の臭気が硫気にまじって私の鼻をつく。あるものは足を吊られて、逆さまに噴気孔に下げられている。それは一幅の凄惨な地獄絵図でなくて何であろう。
忽ち濛々たる白煙が、一切を私の目から拭き消したと見ると、すぐまた現れた地獄絵図には、一人の若ものが気息奄々の姿で、地獄の傍に横たえられてある。彼は十六日間責め通されてなお改宗を肯じないのだ。彼の全身は悉く腐爛し、口も眼も鼻も癩患者のようにただれ、彼より発する堪え難い悪臭が恐ろしく鼻をつく。それだのに彼はなお莞爾として、天の栄光をたたえているのだ、彼の上にはシメオンという教名が、イルミネーションの如く、空に燦として私の眼を射る。
けれども、私は更にまた驚くべき光景を見た。大叫喚の地鳴りを立てている岩石の上に、赤い湯もじ一つにされ、突立たせられている一人のうら若い女性がある。丈なす髪はかの女の踵まで届くかに見える。かの女のかぼそい首筋には巨大な重石が、ふっくりつぼみのように膨らんだかの女の双乳を隠すばかりに結びつけられてある。かの女はよろめく度に、幾度かたぎり立つ地獄の中に落ちこもうとしては、渾身の力をもって僅に支えている。けれどもかの女の顔色は自若として変らない。かの女はそうして幾日も幾日もためされている。かの女の上にもイルミネーションの文字鮮やかに、イサベラと記されたのが、私の眼に読まれる。ああ、けれどもかの女はいつまでそれにたえられるであろう!
私自ら、眩めくように覚えて、眼をあいた時は、ただ美くしい自然と地獄の噴煙とのみが目の前にあった。切支丹物語りと雲仙地獄、この二つを切離して考えることは出来ない。日本西教史の幾ページを彩る雲仙地獄の凄惨な物語りは、原城の歴史と共に雲仙を訪れるものの、必ずや記憶によみがえるところであろう。