Chapter 1 of 4

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岸田國士

菅沼るい

京野精一

土屋園子

ある海浜の寂れたホテル

四月のはじめ。晴れた静かな夕刻。

舞台は、ホールを兼ねただゞつ広い日光室の一隅。――正面、硝子戸を距てて、やゝ遠く別棟の食堂が見え、左手は、庭の芝生へ降りる扉。右手、いつぱいに奥へあがる階段――二階は客室である。その階段の降り口から、右へ、玄関へ続く薄暗い別のホール。

窓ぎはに、整然と、椅子テーブルが並び、テーブルには、鉢植の草花。室の中央に、ピンポン台。

階段の横に、大型の電気蓄音機。

一組の男女が、階段を降りて来る。

男は四十五六、女は二十八九、夫婦のやうにも見え、夫婦でないやうにも見える。男は頑丈な体格の、苦学生上りの役人とでも云ひたい風貌を備へ、女は、素人風をした商売女と云へば云へよう。二人は、一つのテーブルを夾んで腰をおろす。

室内は、外が暗くなるのにつれて暗くなる。やがて、食堂に燈火がつく。

女  あなた、このホテルへははじめてぢやないのね。男  どうして……。女  でも、あんまり勝手をよく知つてらつしやるから……。それに……。男  海がどつちに見えるかぐらゐ、すぐわかるさ。女  さうぢやないんですよ。あの、女中頭つていふのかしら、部屋を案内したお婆さんね。なんだか、馴れ馴れしい口の利き方をしてたぢやありませんか。男  あゝ、あゝいふ奴はよくゐるよ。いや、宿屋には限らない。客商売つていふもんは、そこが骨さ。初めて買物をした店で、毎度ありがたうつて云ふぢやないか。女  …………。男  二人とも知らないところへ行きたいといふから、わざわざこんなところへ出かけて来たんだ。それほど名案でもなかつた。時節外れの海岸は、まあ、こんなもんさ。女  ほんとに、あなたつて、どうしてさう、方々をお歩きになつたの? あたしが行きたいと思ふところを、みんな知つてるつておつしやるから、いやになるわ。男  お前は、また、どうして、さう、何処も彼処も知らないんだ?

廊下で鈴を鳴らす音。食堂が開いた報らせである。

女  ちよつと、顔をなほして来ますわ。男  部屋は十七号だよ。さ、鍵を持つてかなけれや……。

女、階段を上つて行く。その間に、女中頭の菅沼るい(五十歳)白い毛糸のジャケツを、肥つたからだに軽く羽織つて勿体らしく右手のホールから現はれる。男に会釈して、蓄音機の蓋を開け、レコードを択り、賑やかなタンゴをかける。そして、傍らの椅子に腰をおろし、眼をつぶつて聴き入る。

帳場の方から、「サン・ルームの電気!」といふマネーヂャアらしい声。

菅沼るいは、ハッとして、起ち上り、急いでスヰッチをひねる。こつちを見てゐる男と、視線が会ふ。

るい  海がいゝ塩梅に静かでございます。男  ホテルも静かだね。るい  はい、でも、一昨日までは、お部屋が足りないくらゐでございました。男  ほう、そんなこともあるかね。るい  新婚旅行のお客様が、大層お見えになります。それと、お子様がたの学校休みで……。こちらは、御家庭向きになつてをりますもんですから……。男  君は永くゐるの、このホテルに……?るい  はい、まる四年になります。只今も、そのことを考へてをりましたんです。此処へ参りましたのが、私の、五十一の春……と申しますと、変でございますが、やはり、時節が今頃で、玄関前の桜が、ちらほらと咲きかけてをりました。男  話が面白さうだね。僕は君の様子をみて、何か変つた生活をして来た人のやうに思つたのだが、すると、此処へ来るまでは、船にでも乗つてゐたの?るい  どうしてそんなことがおわかりになります。男  別にわかるわけぢやないが、その洋装の着こなしは、板についたところがある。どうしても、亜米利加通ひの船でなけれや見られないよ。るい  恐れ入りました。その船には、十六年乗つてをりました。あの時分のことは、一生忘れられません。

女が、化粧をすまして、階段を降りて来る。

男  食事にするかい。女  えゝ、あなたは?男  何時でもいゝよ。

男、起ち上つて、歩き出す。

二人の姿が消える。

入れ違ひに、若い男が二階から降りて来る。京野精一(二十一)である。

るい  ピンポンのお相手をいたしませうか。京野  今日は疲れた。また歩き過ぎたよ。(椅子にかける)るい  そんなにお弱いやうには見えませんがねえ。でも、御無理を遊ばしちやいけませんよ。折角御養生にいらしてるんですから……。京野  家庭教師みたいなことを云ふなよ。るい  あら、ほんとに今日は、不思議な日ですわ。京野  どうしてだい?るい  みなさんで、あたくしの前身をおあてになるんですもの。京野  君の前身なんか僕にや興味はないよ。家庭教師だつて、ホテルのハウス・キイパアだつて、大した変りはないだらう。るい  お煙草でございますか。取つて参りませう。京野  いゝよ、いゝよ。バアは開いてるだらうな。

起つて、右手にはひる。

長い間。

やがて、また、二階から、三十八九の、和服に現代風の好みをみせた女が、気取つた足取りで降りて来る。土屋園子夫人である。

るい  御退屈でございませう、奥さま。夫人  いゝのよ。どうせ、退屈をしに来たんですもの。(腰をおろす)るい  お話相手もなくつて、ほんとに……。夫人  さう云へば、今の書生さん、時々話をしかけたさうにするんだけど、あれ、どういふ人?るい  あら、まだ御存じないんでございますか。あの方、京野子爵の若様でいらつしやいますんですよ。夫人  と、称してるんぢやなくつて?るい  飛んでもない。始終、お邸の方々がお見えになります。さつぱりした、いゝ方でございますよ。夫人  学校は何処?るい  さあ、それは伺ひませんでしたけれど、もうたしか、大学へいらつしやる頃でございませうね。夫人  あゝいふのにさへなつてくれなけれや……。るい  なんでございますつて?夫人  いゝえ、こつちのことよ。どら、あたしも一度東京へ帰つて、坊やの顔でもみて来ませう。るい  ほんとに、時々はね。あちら様でもお淋しくつていらつしやいませう。夫人  あなた、子供さんは?るい  それが、わたくし、結婚つていふものを致しませんのです。これには、いろいろわけがございましてね。さきほども、あの御夫婦連れの、旦那様の方にお話しいたしましたんですけれど、わたくし、此処へ参りますまで、ずつと船へ乗つてをりましたもんですから……。夫人  船へ? あゝ、道理で……。るい  いえ、それがでございますよ。その船へは、あれで十六年でございますが、その前は、ある英国の方の御家庭に、ずつと御子様附をいたしてをりました。それが、十八の年からでございます。夫人  でも、お嫁に行かうと思へば行けたでせうに……。るい  さうは参りませんのですね。若い頃は、お嫁に行くなんてことを忘れてゐたんでございませうか、それに気がついた時は、もう、年を取り過ぎてをりましたんです。をかしな話もあればあるもんぢやございませんか。夫人  まつたくね。るい  それはさうと、船に乗つてをります頃が、花でございました。いゝえ、別に、そんな意味ぢやないんでございますけど、生活が楽しいと申しますか、仕事は荒うございますが、一番、人様のために尽し甲斐のある気がいたしました。航海の度毎にお客様のお顔は変りますけれど、ホテルのやうに頻繁ではございませんし、わたくしみたいなものでも、みなさまが重宝がつて下さいますんで、毎日、張合ひがございました。暴風雨にでもなりますと、あつちでも、こつちでも、御用が殖えます。船にお弱い方は、かう申しちやなんですが、あたくしを頼りに遊ばして、殊に、御婦人方は、なんでもわたくしでなければといふ風におつしやつて下さいますんで、こちらも、お世話をするのに、一所懸命なところがございました。船が最後の港へ着きますと、わたくしは、何時も、泣くんでございます。夫人  船員なんていふのには、相当頼母しい男がゐさうぢやないの。るい  それや、ゐないこともございません。でも、こつちは、三十を過ぎたお婆さんでございますもの。夫人  三十を過ぎたお婆さん……。るい  妙なもんで、多勢の男の中で一緒に働いてをりますと、そのうちの誰にも特別に親しくはできなくなります。夫人  こつちはさうでも、向うから、誰かが親しくして来るでせう。るい  まあ、お察しのいゝ……。では、恥ぢを申上げませうか。夫人  云つて頂戴。云ひ悪いことなら、云はなくたつていゝのよ。るい  奥さまには、秘す必要なんかございません。わたくしも、女ですもの。そんなことが一度ぐらゐあつたつて不思議はございますまい。申上げますわ。夫人  おや、おや、大変なことになりさうね。るい  いえ、いえ、決してそんなんぢやございません。奥様方のお耳にいれゝば、きつと、お吹き出しになるやうな話でございます。――えゝと、あれはたしか、わたくしが船へ乗りました翌年でございますから、三十一の年でございます。でも、その前のことをちよつとお話しておかなければ、わたくしつていふ人間がおわかりにならないと存じますけれど……。それも長くなつて、御迷惑でございませうね。まあ、どうして、今日はかう、お喋りがしたいんでせう。どなたかが聴いてゐて下さりさへすれば、生れてから今日までのことを、残らず云つてしまひたい気がいたします。夫人  おつしやいな。聴いててあげるわ。なんて、うそよ、聴かして頂戴……。それとも、食事のあとで、ゆつくり伺はうかしら……。るい  どちらでも結構でございます。夫人  それぢや、途中で失礼するかも知れないけれど、よくつて?るい  あらまあ、奥様、そんなにお改りになつちや、わたくし、舌が硬ばつてしまひますわ。夫人  蓄音機は、かけたまゝでいゝの?るい  これは、わたくしの受持で、食事の時間中、かけ続けてゐなければなりませんのです。さて、何処から始めたらよろしうございますか……わたくし、生れは、伊勢でございます。両親は、わたくしが七つの時に横浜へ出て参りました。夫人  ちよつと、そんなところからなの? まあ、いゝわ。えゝ、よくつてよ。るい  すみません。どうか御辛抱を……。横浜に参りまして、魚商を始めましたんですが、わたくしの覚えてをりますんでは、相当手広く商ひをしてゐたやうでございます。お蔭で、わたくしも、当時、珍しく小学校へも通つたりいたしまして、幾分、読み書きも覚えたんでございますが……なにしろ、時節が時節、周囲が周囲でございますから、異人さんと云へば、そこに使はれてゐるものまで羽振りがいゝといふわけで、わたくしの両親も、つい、一人娘のわたくしを、奉公にまで出す気になりましたんです。それを、どうしたものか、わたくしがいやがりまして……。なるほど、たまには、さういふ娘たちのうちで、よくない噂を立てられたりしたものもゐましたせゐでせうが、母など、口を酸くして勧めますものを、たゞ、いやいやで四五年を過してしまひました。

それが、ふとしたことから、急に気が折れまして……と申しますのは、その頃、姉妹のやうにいたしてをりました、近所の、おはつさんといふ娘が、わたくしに相談もせず、何処かの男と駈落をしてしまつたんでございます。まあ、そんなことから、家にゐてもつまらなくなりまして、幸ひ、たつてといふお話もあり、本牧の、ジョオジ・クレプトンさんとおつしやる、銀行家の御家庭へ上る決心をいたしましたんです。お子様が、十三を頭に、お三方いらつしやいました。旦那様は、今の言葉で申上げますと、立派な紳士、奥様は、貴族出のお方とかで、上品な、几帳面なお方でございました。一番上はお嬢さまで、次は坊つちやま、末のカザリンさまが、むろんお嬢さまで、これが、日本流のお八つ……そのお守を、わたくしが仰せつかりました。ちつともおむづかりにならないので、それや、驚きましたですよ。手がかゝらないと申しちやなんですが、半日、お庭で、にこにこ遊んでいらつしやいます。まるで、お人形さんでございますよ。そこへ行くと、日本のお子様方は、どうしてあゝ御無理をおつしやるんでございませうね。こちらへも随分立派な方々がお見えになりますけれど、お子様をお連れになると、お母さまや、お女中さんは、お子様の機嫌を取る工夫ばかりなすつてらつしやいます。見てゐて、お気の毒でございますわ。これは、とんだわき道へはひりました。

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